番外11 ドワーフと大蛇(上)
「くそう……ヒカルめ……覚えてろよ……」
朝起きて、もう何回目になるか分からない呪詛を、ミルルルは吐き出す。優秀なドワーフとして一つの鉱山を任されていたころの自信はどこへやら、今の彼女はただの復讐に飢える獣のようなものだった。ヤリー鉱山地帯で“ゼラー”の反乱を受け、ドワーフ達の中にも居場所を失った彼女にとって、自らの誇りと立場を取り戻すには城島ヒカルを倒すことが必要不可欠だった。
しかし肝心の彼の消息が分からない。どうやらヤリー鉱山地帯にはもういないようだ、ということは分かっているのだが、その後の行き先が皆目分からないのだった。なので、ミルルルも一か所に留まることなく、いつ終わるとも知れぬ旅をしながら、情報収集に努めていた。
今彼女がいるのはジーシカという国だ。思えば、生まれ故郷やヤリー鉱山地帯からは随分離れてしまったものである。いくらなんでもこんなところに、城島ヒカルの噂は転がっていないと思うのだが、気付けばここまで来てしまっていた。
宿の食堂へと向かう。高いレベルのステータスを持っている彼女は、仕事を探そうと思えばすぐにでも様々な依頼を受けることができ、お金には困っていなかった。
席に腰掛ける。基本的に朝と夜にしか食事をしない彼女にとって、ここで栄養を充分に摂ることは大切なことだった。肉に野菜に魚にと、宿が提供できるありったけの種類の料理を貪る。宿には初めてドワーフを見る客もいるようで、体の大きさ自体は子供程度な彼女の食べっぷりには少し注目が集まっていた。ミルルル本人はそんなこと気にしない。
しかし、そこで声をかけられる。
「なあ、あんた、相当“剣術”のレベルが高いね。ああ、勿論、それ以外のステータスを侮辱するような意図はない、気を悪くせんでくれ」
声をかけてきたのは、初老の人間だった。彼女は種族が異なるので、これまでさほど声をかけられたことはない。一応、食事の手を止めて何の用だと聞いてみる。
「いやね、実は最近、城壁の外に大蛇がおるんだよ。奴のせいでジーシカの人間は困っておる。もしよければ、奴を退治してはもらえないか。勿論、倒すことに成功すれば少なからず金も保障されておる」
男の言うことに嘘や罠はなさそうだった。腕試しにはいいかもしれない。
「……わかった、詳しく話を聞かせて」
そうしてミルルルは、大蛇狩りに挑戦することになった。
城門を出て、しばらく探すと確かに大蛇がいた。不快感をもよおすような紫色の巨体が、とてつもなく長く横たわっている。音に聞く邪竜と比べても、見劣りしないような気さえした。まだまだ距離はあるにも関わらず、その全身を視界に入れるのは既に不可能なほどだ。見たこともないような巨大な魔物に、全身を武者震いが走る。
「さてと……いっけるっかなー」
愛剣“竜の牙”を鞘から抜く。彼女が鍛えた名剣はギラリと日の光を受けて輝いた。大蛇は日向ぼっこをしているのか、気を抜いているようでこちらにも特に注意を向けて来ない。紛れもないチャンスである。
ミルルルは駈け出した。長い距離を一気に詰め、“竜の牙”をそのまま頭に突き立てんと、大蛇に迫る。しかし、次の瞬間――地面が大きく揺れた。地震かと思うような衝撃、土埃が舞い、視界を遮る。それだけでなく、強い揺れのせいで脳まで揺さぶられ、船酔いをしているような気分になった。頭がくらくらする。
「なっ……!」
それを引き起こしたのは、大蛇の尾。土煙の向こうに微かに見えるそれが、上下に激しく脈打ち、ミルルルの身体を立てなくしていた。どうやら攻撃の意図を感じ取られたらしい。
どうするか、と思った矢先、煙の中からギラリと光るものが見えた気がした。――大蛇の瞳!?こちらに向かって来ている!?
「まずいっ!」
慌てて逃げかわすが、まだ船酔いしたような状況でバランスが取れない。食われたら終わる、という恐怖感からなんとか体をよじると、まさに鼻先を大蛇の鱗が通り過ぎていった。手に構えた“竜の牙”と大蛇の鱗が接触する。じいん、としびれるような感覚があったと思ったら、ミルルルは愛剣を取り落としていた。相手の体には、どうやら傷も付けられていない。
慌てて“竜の牙”を拾うミルルル。一方の大蛇は、方向転換をしようとしていた。もう一度攻撃を受けては、どうなってしまうか分からない。悔しいながら、ミルルルは慌てて逃げ出した。振り向かれたらお終いだが、幸いなことに大蛇は関心を失ったようだった。
「城島ヒカルから逃げて……今度は大蛇からもまた逃げるのか」
自嘲の笑みが、頬からこぼれ落ちる。今まで自分が生きて来た世界の、いかにちっぽけだったことか。それをまざまざと思い知らされるような気がした。
とぼとぼと、帰路に着く。手に持った“竜の牙”は情けない自分自身の顔を映し出していた。
「ボクは、もっと様々なことを知るべきだったのかな……」
今さら遅いが、そんなことを考えてしまう。ちゃんとした攻撃を一太刀も浴びせられなかった恥ずかしさで、明日にでもジーシカから逃げ出そうかと考えていた。ろくに視線も定まらず歩いていたせいで、何かに躓く。見ると、紫色の大きな石のような物が落ちていた。
「変な色だな、こんな鉱物……」
じっくりと見て、ふと一つの可能性に思い当たる。もしや、先程の大蛇の鱗ではなかろうか。この辺りまで来ていたときに、一枚落としていったとか。見れば見るほど、その可能性が大きいような気がした。
手に取ってみる。ドワーフである自分が両手で持っても、その質量をしっかりと感じられるほどに中身の詰まった素材のようだった。
しばらくそれを見つめていたが、ミルルルはやがて何かを思いついたような顔をし、逃げ出してしまいたかったジーシカの街へと帰って行った。




