番外9 魔導学院にて~メヒーシカとエパナの場合~(その2)
試験当日。二人は森の中を歩いていた。
歩いている――と思う。
迷ってはない――と思う。
「迷ってないですよねっ!私達大丈夫なんですよねっ!」
メヒーシカが心配げな声を上げるが、エパナは気にしない。気にしないふりをする。なんと言っても彼女は次期女王候補なのだ。こんなところで迷うわけにはいかない。
「――メヒーシカ、迷うとは何だと思う?」
なので彼女は哲学的な問いを口にした。
「自分のいるところがどこか分からなくなることですよっ!」
「そう、そして私は先程からずっと、メヒーシカの隣にいる。つまり自分の居場所はわからなくなっていない。つまり迷っていない!」
「屁理屈すぎますっ!位置確認については心得があるからって任せていたのに……」
「すまん、まさか木々から変な魔力が立ち上るような森だとは思っていなかった」
「魔導学院の試験ですよぉ……そんなに単純なわけないじゃないですか……」
はあ、と二人して溜息を吐く。ここはいったいどこなのだろうか。気付けば、霧も出てきている。適当に手ごわそうな害獣を見つけて倒すか、場合によっては盗賊でも――と考えていたのだが、どうやら話はそんなに甘くはなさそうだった。なんだか、胸がむかむかするような臭いもする。不快で、早く帰りたい。
「ちなみに、このまま帰れなかった場合はどうなるんだったかな」
「討伐自体は簡単な試験ではないですからね、数日は待ってもらえるはずですよ」
「なるほど、その間に何か適当な獲物を見つければいいわけだ」
「都合よくいるんですかねぇ……むしろもう今季は落第でいい、ってくらいの気分になってきましたよ」
「何を言ってるんだ、私はジーシカの王女、魔導学院で落第したなどとあっては経歴に傷が付くではないか!」
「そう思うんだったらもっとちゃんと準備してください!」
まだ、冗談半分の口喧嘩だが、それでも徐々に気分の余裕がなくなってきているのがお互い分かる。このままでは、精神的にもやがて限界に陥ることだろう。何か、二人の精神がまとまるような出来事が起こればいいのだが――と、そんなことを思ったせいかは分からないが、二人の耳に、ズシン、という音が聞こえてきた。
「な、な、何なんですかあの音はああ、ま、まさかじゃ、じゃ、邪竜――」
「落ち着けメヒーシカ、日頃の才媛っぷりはどうした。ここは邪竜の生息地ではない」
「で、でもでも、“世界の奇妙な出来事 ありえない場所にありえない物が 移動魔法で説明できない謎現象”とかいうオカルト本には、邪竜の生息地ではないところでの邪竜目撃現象がたくさん紹介されてて……」
「オカルト本はオカルト本だ!そうそうそんなことが起こってたまるか!」
二人がそんなことを言っている間にも、ズシン、ズシンという音は徐々に大きくなってきた。
そして――霧の中からそいつは姿を現した。
「……猪!?嘘っ!大きい!!」
姿形は、確かに猪だった。しかし、その高さが尋常ではない。彼女たちの背丈の、優に三倍ほどの高さの所に瞳がある。
「――逃げるぞっ!」
エパナはそう言って、メヒーシカの腕をつかんで駆けだした。そのまま、木の陰に隠れる。
「……あ、あれはいったい何なのでしょうか。あんな魔獣がいるなんて聞いたこともありませんけれども」
「そなたの方が博識なのだから、そなたが知らんのではどうしようもないな」
言いながら、エパナは周囲を警戒する。いつあの足音が聞こえるかも分からない。すると今度は、先程とまったく違ったぶーんという音が聞こえてきた。
「――これは?」
嫌な予感がしながら、後ろを振り返る。目の前にいたのは、鷲の数倍の大きさのある蝶々だった。
「畜生!!なんて場所だ!」
王女には相応しくない言葉で罵りながら、またエパナはメヒーシカと転がるように逃げ出した。二人とも、顔を青くしながら一つの結論に辿り着く。
「……この辺り、動物が巨大化しているんですか?」
「私に聞かないでくれ、しかし、その可能性が高そうだな」
相変わらず道に迷ったまま、エパナとメヒーシカはおっかなびっくり森の中を歩く。じめっとした森の中は暗くて臭くて辛い。すでに巨大化した鼠、兎、蜂と出会っていた。いずれもなんとかやり過ごしたが、攻撃されれば命の危機だっただろう。
「……原因は、土なのか水なのか――」
巨大化の要因も分からぬまま、二人は当てもなく逃げる。疲労は限界に達しようかとしていた。
「――いや、チャンスかもしれんぞ、あの中から一頭でも仕留めることができれば、討伐任務は達成と言ってもいい」
「じゃあエパナ頑張ってください、私は後ろで応援しています」
「そなたの方がどう見ても魔力のレベルが高いだろう!」
「レベルが高いからって矢面に立たせるんですか!ジーシカの次期女王ってそういう方なんですか!?女王だからこそまずはご自分が最前線に立ちましょうよ!」
「女王たるもの、総合的に見て最も勝利を得られそうな作戦を立てねばならぬのだ!例え冷酷に見えたとしてもだ!」
言い争っているうちに、また遠くからがさごそがさごそと音が聞こえてくる。いい加減ノイローゼになりつつも、二人はその音の主に出会わぬよう、こそこそと逃げ出した。
足取りが重い。二人とも本当にしんどく、辛く、何より森の臭いが――臭い?
「ちょっと待てメヒーシカ、さっきから思っていたんだが、なんだか臭くないか?」
「……森の中なんて、こんなもんじゃないですか?」
「いや、それにしても臭い。この臭いの元を辿ってみないか?」
何を思ったのか自分でも分からないが、本能的にその先が気になった。あるいは、今まで避けていた場所に行くことで突破口を見つけられるかもしれないと思ったのだろうか。
ともかく、二人してこれまで通ったことのないであろうルートを選び、臭いの元を辿る。そして二人の目に入って来たのは――巨大な糞の山だった。




