第59話 見た物を見たままに
その日の夜は特使達とその配偶者が集まって食事を取る初めての機会だった。
各国が俺に忠誠を誓ったからといって、急に何かが変わるわけでもない。立食形式の晩餐は予定通りに執り行われる。表向きは、さも何事もなかったかのように。勿論、ちらちらと俺の様子を遠巻きに特使達は見てくるのだが、いきなり会議の席で圧倒的な力を振るう存在に、話しかけて来る勇気のある者はいないようだった。
なので特に気にせず、俺もミエラとヘルネを引き連れて豪華な食事に舌鼓を打っていた。毒など考えない。どうせ俺にはカンストレベルがある。
「ヒカル、オートランドだけじゃなくて、世界中の国を配下にしたって、本当……?」
ミエラが俺に尋ねた。その瞳には、どこか怖れの色があるようにも思えたけれど、きっと彼女もいずれは分かってくれるだろう。
「ああ、これで余計な火の粉もなくなるだろうぜ」
「そう――ねえ、ヒカル、その顔……」
「顔?顔がどうかしたか?」
「……ううん、何でもない。きっと気のせいよね。ヒカルはあんな人達と違う。今回だって、ヒカルはみんなのためを思ってのことだもの――」
「なんだよ、何か言いたいことがあるなら言ってくれればいいのに」
ミエラは何か言いたそうだったが、結局何も言わず食事に戻った。
ふと、窓を見る。
この世界では珍しいガラス張りの窓が、鏡となって俺の顔を映していた。その顔に――俺ではない、誰かの面影が見える。いったい誰だったか、どこかで見たような顔なのだが――それが誰なのかは、結局分からなかった。
「まさかここまで上り詰めることになるとはね。流石に思ってもみなかったわ」
今度は上品に食事をしていたヘルネが、一端手を止めて俺に話しかける。
「物語や冒険が好きなヘルネにとっては、最高だろう?」
「確かに、世界を手にする人の妻として食事ができるとは思っていなかったわ――でも、本当にこれでいいの?貴方、私と出会ったときには、もっと自分の力を自制していた気がする。ここまでの人だったなんて、思ってもいなかったもの」
急に真剣な表情になったヘルネに対し、俺は一瞬言葉に詰まる。だが、なんとか唇を動かした。
「――最近は色々と、突発的に面倒なことがあったからな。今回までだよ。これが終わったら、また“ゼラー”のふりでもしてつつましく暮らすさ」
その返答に、ヘルネの微笑みが戻る。
「――そう、それならよかった。なんだかヒカルが、私たちの知らないほど遠くまで行ってしまいそうだったから――」
「はは、何を言ってるんだよ、俺は俺だ。それに変わりはないさ」
そう、俺が俺であることには変わりない。これまでも、そしてこれからも、俺は俺として、日々をこの世界で歩んでいけばいい――
そう、思って、そして
「――見た物を見たままに」
ぼわっと、何かが変わったような気がした。
全身に、何か膜のような者がまとわりついたような感覚。一瞬だけ、時間が止まってしまったかのような感覚。だが次の瞬間、俺はヘルネと向き合う現実に戻って来ていた。彼女は何も変わらず俺に微笑みかけ――
「●△□※×●●◎■※+@● ■△※##●※×」
ヘルネが、何を言っているのか分からなかった。
耳から音は入ってくる。しかしそれが言葉として変換されない。日本語ではない他の国の言語?否、元々この世界の言語は日本語ではない。ただ、俺の“語学”Lv10000のおかげで難なく変換されていただけで――
「お、おいヘルネ何を言ってるんだよ?」
俺の口からは、何故か日本語しか出て来ない。そしてヘルネの口からは、相変わらず訳の分からない言葉紡ぎだされる。
「ヒカル、■◎●×※×? ■△●○◎@?」
俺の顔色に気づいたのか、ヘルネが心配そうに何かを言う。だがそれは俺には聞き取れない。かろうじて自分の名前が呼ばれたのだけがわかった。
別の音が聞こえたと思ったら、それは自分の心臓の音だった。動悸が激しくなる。嫌な汗が体中から噴き出て止まらない。体が震える。なんだ、これは。恐怖?馬鹿な、そんな感情、俺はこれまで――そう、“感情調整”Lv10000があるじゃないか。俺は何を焦っているんだ。“感情調整”だ。“感情調整”すればいい――クソッ、できない。何故できない!
「あああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!」
気付けば、勝手に声が出ていた。何だこれは、醜態もいいところじゃないか。周囲の視線が俺に集まっているようだ。恥ずかしい。だが俺の体の震えは止まらない。そして俺は――そのまま、ヘルネに抱きとめられるようにしながら、意識を失った。
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明日(9月10日)、明後日(9月11日)は連続更新2ヶ月達成記念短編祭りを行い、9月12日より新章“失われたカンスト”に突入予定です!どうぞよろしくお願いいたします!




