第5話 ミエラ
人を人とも思わないような環境で働かされているとはいえ、この世界の“ゼラー”の生活はどこもそんなものだ。それゆえに、逃亡を企てるような人間は意外と少ない。もっとも、“ゼラー”の住む小屋はデウリス商会の敷地の中にあり、敷地全体が高い塀で囲われていることから、逃げ出すのは容易なことではないということもある。ということで、小屋の周囲なら“ゼラー”達はある程度自由に動くことはできるようになっていた。許可されていないところをぶらつけば容赦なく鉄拳が飛んでくるが。
さて、俺は気付かれないようにミエラの後を追うことにした。彼女はとぼとぼと歩いており、嫌々どこかに向かっているようにも見える。しかし貴重な睡眠時間を削ってのこと、よほど大事な用に違いないが――と、そう思いながら隠密系の魔法を使いつつ、光と風の魔法を使って視野を昼間並みにし、聴力を研ぎ澄ませれば、ミエラの行く先に一人の人が待ち構えていることに気づいた。
「やあミエラ。待っていたよ」
物置小屋の陰から、声が聞こえる。囁くような小さな声だったのだろうが、魔法で聴力を強化した俺にはなんなく聞きとることができた。
「デュラ、様」
怯えたように言うミエラ。彼女の眼の前にいるのは、俺たちのボスであるデュラだった。
「さあ、こっちへおいで」
普段俺たちに見せる高圧的な態度はどこへやら、デュラはご機嫌な表情でミエラを小屋の中へ招き入れようとしている。ミエラは少し抵抗するような素振りを見せかけたが、すぐに諦めてデュラに従った。このまま聴力を強化しておけば、二人の交わりを余すところなく聞くことができるだろう。生憎、思春期に入ったばかりの中学生でもない俺は、そんなものを聞く気がない。見なかったことにしてこのまま帰ろうか、と思った矢先に、その言葉が聞こえた。
「わ、私が……言うとおりにしていれば、他のみんなには手を出さないでいてくれるんですよね?」
「そうだよ、ミエラ、だから力を抜いて、僕に身を任せるんだ――」
なんだろうか。
とても腹が立った。
自分がお目こぼしをもらうためじゃなくて、他の人を守るためだって?
他の人が傷つかないために、自分がどうなってもいいって言うのかよ。
なんだよそれ。
ふざけるな――
気付いたら、物置小屋の扉を蹴破って押し入っていた。
コトに及ぶ直前で、半裸にまでなっていた二人が硬直する。
「何だテメェ!新しく入った“ゼラー”じゃねえか!」
デュラがこちらを向いて何か喚く。正直なんだろうとどうでもいい。
「ヒカルなんでここに……」
「なんでここにじゃねーよ!ミエラこそ何やってんだ!悲劇のヒロインぶってんじゃねーよ!自己満足に浸ってりゃ辛い人生でも聖女になったような気になって満足できるってか!!」
「ちがっ、そんなんじゃ、ないからっ、もう、帰ってっ、折角私がっ」
「その折角私がってのが腹立つんだよ!勝手に施しを与えた気になってんじゃねえ!他の奴らは知ってたのか!?知ってて黙認していたならご苦労様なこった!だけど俺は認めないからな!そうやって分かったように施されるのは嫌いなんだよ!だから――」
横から拳が飛んできた。俺の言葉が遮られる。
「おい、“ゼラー”。貴様何をやっているかわかっているのか?お前らの命はこのデュラ様が握っていることも分かってないのかよ。これだから“ゼラー”は頭も悪くて嫌いなんだ――もういい、死ね」
そう言って、デュラは再び俺に殴りかけてくる。だが俺はそれを人差し指一本で受け止めた。
「なっ!ぐああっ」
逆にデュラの拳が砕ける。さすが“体術Lv10000”は伊達じゃない。
「ふ、ふざけやがってええええええええええ!!!!!!!!!!」
もう片方の手で闇雲に殴りかかってくるが、今度は手の平で受け止め、そのまま投げ飛ばしてひっくり返した。こちらも拳が砕け、ついでに肩の関節が外れた感触もある。
「ぐあああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
苦悶に満ちた叫び声を上げるデュラ。俺はそれを冷ややかに見つめながら、風魔法を使って小屋の中の音が周囲に漏れないようにした。
「ひっ……!」
状況が読めないようで、困惑するミエラ。無理もない。俺自身、やってしまったなと感じていた。デウリスを潰すための方法を考えようとしていたというのに、まさかこんな小物相手に実力を露呈させてしまうとは。ミエラの取った行動に対して頭に血が上ってのことだが、もっと精神を鍛えなければならないなと感じた。
「ほら、ミエラ。立てよ」
「ヒカル……“ゼラー”なのよね?なのになんで……あんなことができるの?」
「どうだっていいだろ、そんなこと。ミエラは何もできないのかよ」
「できないよ――だって“ゼラー”なんだもん」
「案外そう思い込んでるだけで、やってみたら色々できるかもしれないぜ」
「……そんなわけないじゃない!私だって、私だって色々頑張って……何のレベルでもいいから上がれって必死になってやってきて……それでもずっとゼロのままだったのに……今さら、どうして夢を見せるようなことをするのよ……」
ミエラの瞳からは涙がこぼれていた。やはり、彼女も心の底では今の生活に不満を持っていたのだ。それを押し殺していただけだということが、今の彼女には現れていた。それを見て――というわけではないが、俺は一つの案を試してみようと思った。
「――ミエラ、ならもしどんな分野でも、レベルがゼロでなくなったら、別の生き方を考えてみる気になるか?」
「――えっ?」
「もしそうなら、俺が君を“ゼラー”じゃなくしてやるよ」
うずくまるデュラに、俺は近寄って行く。
「う、やめろ、俺に何をする気だ!」
「安心しろ、お前みたいな下っ端には興味ないんだよ」
言いながら、俺はデュラの頭に手を置いた。まだ試したことはなかったが、理論的には問題ない
し、“知識”も使用して裏付けは取ってある。そんな魔法実験を、折角なので目の前のデュラで行うことにする。
まずは意識を奪い、雷属性の魔法を注意深くデュラの脳にかける。回復魔法を同時使用して、余計な個所への攻撃はすぐにキャンセルされるようにした上で、“医術”レベルや“知識”をフル活用し――
「何を、したの?」
「デュラの記憶を少しいじくった。明日の朝には目を覚ますだろうが、何が起こったかも覚えてないと思うよ」
勿論、高位の回復魔法を用いて怪我も全て治している。その姿を、ミエラは目を丸くして見つめていた。
「本当に、“ゼラー”のやることじゃないわ」
「じゃあ“ゼラー”じゃないんだろう。ステータスウィンドウが間違ってるんじゃないのかな」
「そんな話聞いたことない!誤魔化さないでよ!」
「別に誤魔化してはいないさ。要は、自分の見ているものを信じるかどうか、ってことだけだろう」
そんな風に言って、俺はミエラからの追及をしのぐ。そもそもカンストなどと言って分かってはもらえないだろうし、分かってもらうつもりもなかった。
「それよりも、“ゼラー”からきちんと卒業してもらうぜ」