第37話 洗脳
この旅に出る直前のこと。
「チャリーズ、ちょっといいか」
「――いきなり宮殿の窓から入って来ないでもらいたいね。ここは五階なんだけど」
「気にするな。俺じゃなけりゃ防犯対策は万全だ」
やれやれ、とチャリーズ新王は肩をすくめた。
「それで、何の用だい?」
「この国では、“洗脳”を使える奴を囲っているか?」
「――何を今さら。そんなことも知らないで、うちを保護国にしたのかい?人々の心を操る“洗脳”はとても大事な力だ。使い手を抑えておくのは当然のことだろう。どこの国でもやっているよ。――まあ、僕にとってはディフジァコローヮレンがいるから、問題はないのだけど」
そう言って目配せをする。いつの間にか、彼の背後には幽霊のような男が立っていた。
「なるほど、な。ちなみに、そいつらが反旗を翻して国中を洗脳して、自分達の国にする可能性は?」
「君達のような規格外ならともかく、普通は洗脳に時間がかかるし、対象となる人数も限られている。無理としたものだろう」
「ふむふむ」
だいたい予測通りの言葉が返ってきた。とはいえきちんと確認が取れるのはいいことだ。
「もう一つ――出来れば今日か明日にでも、“洗脳”の現場を見たいんだけど、予定はあるか?」
「君の性格なら予定がなくてもねじ込むかと思ったけどね」
「某所で人体実験してる奴を否定したから二枚舌になりたくないんだよ、皮肉はいいから教えてくれ」
「はあ、そんなに都合よくあるわけないだろう……と言いたいところだけど、君は運もいいのかい?ちょうど今日、宮殿務めを退職する者がいるから、彼に“洗脳”をかけるところだ」
「それでは、今から私が貴方を洗脳します。これが終わったとき、貴方はここで得た機密事項に関する記憶を失います。もし今後復職したくなった場合は、私が生きていれば貴方の記憶を取り戻すことができます。ただしもしも私が死んでいた場合、貴方の記憶は永遠に失われ、一からの再就職しか認められません、よろしいですね?」
「はい」
「では、始めま――」
「ちょっと待ってくれないか」
突然かけられた声に男は振り向き、声の主の顔を確認して驚いた。
「こ、国王陛下!」
今から洗脳をかけられそうになっていた男も、慌てて姿勢を正す。
「仕事の邪魔をしてすまないね。今回の“洗脳”なんだが、少し色々な手続きをしてもらいたい。勿論、二人にかかる報酬は払おう」
そう言って、チャリーズは金貨袋を二人に手渡した。
「こ、こんなもの頂くわけには――」
「いいから貰っておけって。発案者からの礼だ。まあ、今から言う内容に二人が同意してくれればだけど――」
「つまり、途中にいくつか挟むだけで、最終的には私の記憶が消されることには変わらないんですね。結果が変わらないなら私は構いません。退職金の他に追加でこれだけいただけるなら、結婚資金になりますし」
話を聞いて、まず洗脳を受ける方の男が同意した。結婚を機に妻の故郷へ移るため、宮殿での仕事を辞めることになったらしい。
「私もそれくらいなら能力に負担はかかりませんし……構いませんが」
“洗脳”レベル012の男も同意した。そして、改めて二人は洗脳を開始する。
俺はそれを遠くで見守っていた。
俺が頼んだのは、洗脳で記憶を失わせた後、一度記憶を戻す所を見させてくれ、ということと、記憶を戻さずに別の記憶を入れるところを見させてくれ、というところの一つだ。それらにおいて何か違いが見つかれば、先々シュリの洗脳を解く際にも、術をかけた者が不正を行わないかが判定できる。結果として俺は、いくつか洗脳を解く際と、別の記憶を入れるときとで違いらしきものを見つけることができた。俺の能力は規格外なので、俺がシュリの洗脳を解こうとすると変な記憶を植え付けてしまう可能性は否定できないままだったが、少なくとも、シュリに洗脳をかけた者が変なことをしないかどうかは判定できるようになったはずだった。
そして、俺はその切り札を隠したまま、彼女に洗脳を施したというジークという男と向き合っていた。
第一印象は気のいい老人。とても高い“洗脳”レベルで表に裏に活躍してきた人間とは思えなかった。
「やあ、“洗脳”レベル015なんて持ってると、あまりお客さんも来てくれなくてねえ。歓迎するよ。今日はいったいどういう用件だい?」
気さくに俺達を迎え入れるジーク。しかし、グフリーマンの眼は緊張の色を帯びた。
何故彼がこれほどまでに警戒されているのか――単純な話である。
通常、宮殿勤めを終えた者は機密を忘れるように“洗脳”を施される。
だが――宮殿勤めを終える者が、高位の“洗脳”の使い手だったら?国で一番の、“洗脳”の使い手から記憶を抹消することなど、出来はしない。ならば殺す?そんな不穏なことをして、逆に本人にばれたら大変な争いが始まることは想像に難くない。普通なら勝算の得られる戦いでなくとも、命がかかるとならば打って出る“洗脳”使いもいるだろう。
つまり――ほとんどの者に対して“洗脳”を用い国の安全を計っている中で、唯一、まるで爆弾をそのまま放置するかのように、何の処置もできないまま引退を認めざるを得ない相手――それが国家最高峰の“洗脳”使いであり……今俺達の前にいる男、ジークなのだった。




