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第18話 “氷の姫君”

「ヘルネお姉様――ジャクス将軍がお見えですが――」

「今日は会う気にならないわ。適当にあしらってお帰り頂いて頂戴」

「かしこまりました」


 見習娼婦のユリィが告げた来客は、新進気鋭の若き将軍。しかし、ヘルネはそれを追い返すように命じた。

 大都市であるオートランドには、娼館の立ち並ぶ一角もある。ここはそのなかでも特に高級な店であり、来客は将軍や高位の貴族、大商人など財産と立場が兼ね備わっている者しかいなかった。

 その店の――更に看板。

 一日二日の店通いでは会うこともかなわず、一月二月貢ぎ続けてようやく語らうことができ、そこで気に入られればようやく次の段階へと進むことができ、一方少しでも機嫌を損ねれば以降は出入り禁止――陥落難易度のえげつない高さから、“氷の姫君”と詠われる高級娼婦こそ、ここにいるヘルネその人だった。

 “知識”Lv013,“算術”Lv008,“声楽”Lv010,“美術”Lv011……その他ありあまる高いレベルのステータス。加えてすれ違う者は男も女も誰もが振り返ると評されるほどの美貌。言い寄る男は後を絶たないものの、全て袖にされ続けていると巷ではもっぱらの噂である。


「お姉様、ジャクス将軍はお帰りになりました」

「そう、御苦労様――それは何かしら」

 ユリィが戻って来て、ヘルネに報告する。その手には、立派な木箱が抱えられていた」

「お姉様に送り物だそうです。ジャクス将軍の家に代々伝わる宝剣だとか……」

 ヘルネはやれやれとため息を吐いた。

「貢ぎ者に剣だとか。そんな風に無粋だから、軍人は気に入らないの」

「お姉様、前は宝石を貢ぐのが安易だから貴族は嫌いだとおっしゃってませんでしたっけ……?」

「そうだったかしらね、もう忘れたわ」

 そう言って、ヘルネは妖しげに笑った。その美しさに、同性のユリィも思わず息を飲む。


「それにしても――最近のお姉様は本当にお客様の相手をなさりませんのね」

「あら、私のやり方に口を出すのかしら?」

「――め、滅相もございません!単に感じたままを申し上げたまでにございます」

「この仕事をしていてそんなんじゃ、先が危ぶまれるわよ。もっと精進なさいな、ユリィ」

 ヘルネの弟子である娼婦見習は顔を赤くしてうつむいた。この程度の失言をしてしまうようでは、まだまだ一人前の娼婦として客を取ることはできないだろう。店の威信に傷が付いてしまう。持って生まれたLvの高さは彼女も相当なものだが、それはあくまで最低条件。実際に他人と深く関わりあうこのような職業では、そこからの修行が更に大事なのだった。

 普通の売春婦と高級娼婦では何もかもが違う。低俗な売春宿なら“ゼラー”かそれに毛の生えた程度の者達が他に生きる術もなくやって来る。しかし、高級娼館の娼婦たちはそのような者ではない。生まれが大した地位ではないが、ステータスが高かった者が自ら登りつめようとして選ぶ一つの道が、高級娼婦というものだった。

 ヘルネのような立場にまで至れば、国の根幹を支える将軍や大臣、果てはほとんど王族のような貴族までもが媚びを売りに来ることもある。彼らを操ることすらできる立場こそが、この道の最後にあるものだった。

 

 しかし――ヘルネは登りつめるに従って、徐々に虚しさを覚えだしてきた。

 何も持っていない頃は、権力にも憧れた。男達を弄び、一国すら自由に操れるような娼婦になってみたいとも考えた。

 でも、実際に立場を上げていくに従って――だんだんと彼女にも現実というものが見えてきた。確かに古来傾国の美女という存在はある、しかし、傾国の美女が本当に国を傾けた場合、その末路は反乱軍に殺されるか、忠臣に暗殺されるか――当然ながら、彼女自身も国の一員である以上、自分の住む国を乱していいことなど一つもない。短期的には楽しむことができたとしても、いずれは自分の身に降りかかって来る。

 娼婦として、様々な歴史も学ぶうちに、そのような現実は否応なしに目に入って来た。それらを自分のこととして理解できる謙虚さも、彼女には備わっていた。それこそが彼女を成り上がらせる原因でもあったが、同時に彼女に現実を見つめさせることにもなってしまった。

 勿論その名はオートランド中に広がった。それだけではなく、最近は吟遊詩人にもその名を詠われる始末で、ありもしないラブロマンスが大量発生している。だが、知性豊かな彼女にとっては、それもまた一夜の夢であることが理解できた。百年前の高級娼婦の名前なんて、誰も聞いたことがない。ならば自分も百年後には忘れ去られ、どこかの墓場にひっそりと埋められているのだろう。


 世の虚しさを感じ、ふう――と一つ、溜息を吐く。

 それを聞いたユリィの顔が強張った。どうやらさっきの叱責が尾を引いて、自分に対する失望を表した溜息だと勘違いしたらしい。

「ユリィ、別にあなたにあてつけたわけじゃないわ。安心なさい」

「え、えと、それじゃあ、どうなさったのですか?」

「大したことじゃないわ。ただ、これからどうやって生きていこうかな、なんて思っていただけよ」

 この業界で成功を夢見るユリィの夢を壊すべきではない。あまり具体的なことは言わず、少し違う話題でヘルネは誤魔化した。

「これから――ですか?」

「そう、花の色はいずれ移り、咲き誇る花畑もやがては散るのみ――いずれは私も、あなたたちに道を譲らなければならないわ」

「お姉様――」

 ユリィは、思案するような顔になった。少し悩むような顔をした後、口を開く。

「引退された方の中には――気に入る男を手に入れて養いながら過ごしている方もいらっしゃるとお聞きしますが」

 それを聞いてヘルネは思わず噴き出しそうになる。

「いわゆるヒモを養うって奴ね。ふふっ、面白い案をありがとう、ユリィ。でもね――」

 ヘルネは、ユリィが持って来た木箱を見ながら言う。

「私、誰かに尽してみたいって気持ちが、本当にわからないの。そんな物を貢いでまで、誰かを手に入れたい、って気持ちがね。だから――男を養うなんて絶対にできないわ」




「――すいません、出過ぎたことを……」

「いいえ、今の貴女は悪くないわ。私に思いつかなかった案を出してくれたし、話相手としては上等よ」

 しゅんとなるユリィに、ヘルネはフォローを入れる。

「私こそ、変な溜息なんかついて気を使わせてしまったわね。こんな部屋に一日中いたから、気が滅入ってしまったのかしら。ちょっと夜風に当たって来るわ。もう今日は誰も来ないと思うけど、もし誰か来たら外出中だと言っておいて頂戴」

 少し気まずさもあり、ヘルネはそう言って自室を出た。

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