第98話 帰還
力が、戻ってくる。周囲の皆の言葉が、通訳を介さなくても分かるようになる。久々に味わうその感覚が、今はたまらなく嬉しかった。
倒れているミエラの所へ向かう。戦っている内に少し空いた距離も、風のように進めてしまうのが爽快だ。しかしそんな気分は、倒れているミエラの姿を見ると吹き飛んでしまった。痛々しいほどの火傷の跡と、つぶてに打たれた傷。俺は即座に回復魔法を使った。
「ヒカ、ル……?」
あっという間に元に回復したミエラが、こちらを向く。
「力が、戻ったの……?よかった……よかったね……」
そのまま俺に抱きついて、ぽろぽろと涙をこぼした。
彼女の記憶はいじっていない。先程まで形容しがたいような痛みに襲われていたはずなのに、そんなことは微塵も出さず、ただ俺の復活を祝ってくれる。そんな様子のミエラを見て、嬉しくも、胸が痛くなった。
ひとしきり、ミエラをなだめてから、俺達はゼラード商会へと戻る。メヒーシカと名乗った魔法使いも一緒だ。俺の力を返した今、彼女は俺が約束をたがえない限りは敵に回ることもないだろう。そして、俺はまず一つ、義務を果たすことにした。
あまりきちんと埋葬する余裕のなかったミルルルの遺体に向き合い、俺は死者をも蘇らせる魔法、デスヒールを使う。前回これを使ったのが、ミルルルが殺した“ゼラー”を蘇らせるためであったことを思うとなんとも皮肉なことだと思いながら――
「……力を、返したのか」
生き返ったミルルルは、開口一番、メヒーシカに向けてそう言った。
「ええ――最後は、保険を使ってなんとか落とし所を見つけました。命を懸けて城島ヒカルを追っていた貴女に、こんな展開は不満かもしれませんが……」
「――別に、いいよ」
そう言ったミルルルは、返却された二本の愛剣でいきなり俺に切りかかって来た。しかしその動作を予期していた俺は、問題なくそれらをさばく。
「……やっぱり、勝てないか」
そう言ったミルルルの表情は、どこか清々しさをはらんでいた。
「ちょ、おねーさん折角生き返ったのに何また危ないことをっ!」
ヒックスが驚きのあまり叫ぶが、俺もミルルルも別に気になるようなことではなかった。力の戻った俺にとっては、もはや問題にならない攻撃だし、ミルルルにとってはそれを確認する儀式のようなものだっただろう。力を失っていた俺に負けた時点で、ミルルルと俺の格付けは完全に終わっていたのだ。
「まあ、お前ももう少しまともな方法で鉱山を運営してりゃ俺も何も言わないよ。今はドワーフ仲間の信頼も崩れてしまったろうが、真面目にやってりゃそのうち立場は戻るって」
俺に言われたくもないだろうが、他に言うことも思い浮かばず俺は彼女にそう言った。ミルルルはそれに微笑んで返す。
「いや、ボクは自分の実力を、ちゃんとドワーフの里に戻って示すさ。不名誉が先に立って、逃げるように出て来たけど、本来ボクが克服すべきはキミじゃない。ドワーフの皆と、場合によっては戦ってでも、もう一度ボクの力量を示すさ。そうすれば、ボクが弱かったんじゃなくて、相手が強かったんだと皆分かってくれるだろう」
それじゃあ、と言って執念の塊のように俺を追っていたドワーフは、実にあっけなく去って行った。最後に一つ言葉を残して。
「キミに言われずとも、前みたいな運営はしないさ。全てを“ゼラー”に押し付けたあれこそ、ボクの弱さの源だ」
それからの数日は壊れた建物の修理や、滞った業務の処理などに皆追われた。俺が力を使うことを提案したが、自分達でできることは自分達でやるからと全員一致で拒否され、手の空いた俺はぶらぶらと廊下を歩いていた。
角から、メヒーシカが曲がって来る。俺と目が合うと、そのまま通り過ぎようとしたが、俺から声をかけた。
「やあ、ここでの暮らしはどうだ?」
「お陰様で、随分快適に過ごさしてもらってますね」
「そりゃよかった」
ミルルルに続いてメヒーシカも立ち去ろうとしていたが、ヒックスに引き留められ数日間滞在していた。ミルルルほどタフではない彼女にとっては、準備も必要だしその方がよかったことだろう。
「――腹いせと保険に、殺されるんじゃないかと内心思ってたんですけどね」
メヒーシカがぽつりと口を開いた。言っている意味は分かる。他に俺の力を奪い得る者がいるのなら、メヒーシカを殺しても俺の安全は保障されないが、別にメヒーシカを殺さない意味もない。加えて、メヒーシカがハッタリを言っている可能性もある。その場合は、彼女を殺しておけば脅威はなくなるのだ。いずれの意味でも、彼女を生かしておく意味はあまり多くはなかった。多くはなかったが、
「そんなに恰好のつかないことができるかよ。だいたい、ジーシカでのことは反省してるって言ったじゃないか」
「それだけの言葉で済まそうとするあたりが問題だって、私も言った気がしますけどねえ」
そう言って、メヒーシカは溜息を吐いた。まあ確かに彼女の言うことも分からなくはない。しかし、俺としては結構本気で反省しているのだ。“ブラックバイトクラッシャー”の原点から、外れるようなことはもうしようとは思わない。
だから――間違ったことをしたときに、それを指摘してくれた人に対して逆切れするようなことは、恰好悪いと思うのだった。
「それじゃあ、もうすぐ帰るんだろう?ジーシカの女王陛下にもよろしくな」
「そんなこと言って、私が馬でゆっくり帰ってる間に力を使ってびゅんと先回りしようとしてるんじゃないですか?」
「しないってば。ジーシカについてはお前に任せるし、それからの話で俺が必要になるなら顔も出す」
「まあその時は、もう一度貴方の力を奪って袋叩きにするために呼び出すのかもしれないですけどね」
「怖っ!!そんなことされるなら何を言われても行かないぞ!」
まあ、これも軽口――だろう。多分。若干目が本気なのが気になるが。
「そんなことをされたくないなら、せいぜい大人しく過ごしていてください。それじゃ」
そう言って、メヒーシカは俺の横を通り抜けた。
そのまま進むと、さっきメヒーシカが曲がって来た角のところに、ミエラとヘルネがいた。
「ヒカル、さっきメヒーシカと何を話してたの?」
「何でもない。彼女はもう脅威じゃないさ」
「そう――ヒカルがそう言うなら、きっと大丈夫よね……」
二人は俺以上に、命を狙われていたときの恐怖が残っている。頭では分かっていても、なかなか彼女と腹を割って話すというわけにはいかないのだろう。
俺も、無理にそうしてくれとは言わなかった。
「まあまあ、メヒーシカはもう少ししたらジーシカに発つらしいし、安心してくれよ。それよりも、これからの話をしようぜ――どこで暮らすかも、まだちゃんと決めてないじゃないか。商会の建物じゃ、ちょっと賑やか過ぎるしな」
二人の手を取って、行儀悪く足を使って手ごろな部屋を開ける。
レベルがカンストした化物としてではなく、一人の青年として、これからもこの世界で生きて行くには、まだまだしなければならないことがたくさんあるのだった。
けれども、俺には二人がいる。他にもたくさんの仲間がいる。力なんてなくたって、一緒に戦ってくれる人達がいる。
だからきっと大丈夫だ。