第92話 後悔
ヘルネは後悔していた。頭によぎるのは、出発の前にミエラに言われた言葉。
『魔導石は置いて行く。けれど、私は皆と一緒に行くよ』
奇襲のために戦力を集めたいが、予想外の事態にも備えるため、最低一人は守りに人員を割きたい。ヘルネは魔導石をヒカルから預けられているミエラがその役を担うのが最良だと思いそう打診した。しかし、それに対するミエラの返答は彼女の想像を越えていた。
『何を言ってるの、ミエラ――それじゃあ貴女は、丸腰で戦いに赴くことになってしまうわ』
『そうだね。でも、相手はそうは思わないかもしれない。幸いと言っていいか分からないけど――私の顔はよく知られているから』
そこで初めて、ヘルネはミエラの意図を理解した。ミエラが顔を出すことで魔導石を彼女が持っていると誤解させ、奇襲部隊の脅威を実際よりも増やして感じさせるとともに、ゼラード商会にも魔導石という罠を仕掛けておこうというのだ。作戦としては有効かもしれないと思ったが、同時にミエラの危険が大き過ぎた。
『駄目よ。貴女にかかる負担が大きすぎる。戦闘系に関する部分は“ゼラー”だった頃と何も変わらないのに、あんな二人と最前線で戦わせられない』
そう否定するヘルネに、しかしミエラは食い下がってきた。
『もともと私達にとっては命がかかっているようなものじゃない。ヘルネがそれ以上に有効な策を思いつかないなら、私は断固として魔導石を置いて行く』
頑固にそう主張するミエラに対し、思いとどまるように言ったのだが遂に聞き入れられず、ミエラはろくに戦う力のないままヘルネ達について来たのだった。
ミエラの策は実際の所有効に働いた。さっきまで魔法使いの動きを制限していたのもそうだし、ヘルネが宿に侵入し、ドワーフと鉢合わせしたあと、彼女はしっかりとミエラのことを確認してから去って行った。ゼラード商会に向かわれたのは最悪に近いが、それでも魔導石のことを誤解してくれさえすれば倒すチャンスはあると思う。ヒカルの安否も気になるところであったが――それより先に、ミエラが傷ついてしまった。
ちらりと横目で倒れているミエラの方を確認する。息はかろうじてしているようだが、炎魔法であぶられ、石つぶての雨を浴びせられた体が無傷な訳もなかった。放っておけば死に至ることは確実で、一刻も早く手当てをしたい。しかし――
「さあ、さっきまでの勢いはどうしましたかあ?ほらほらほら!ボヤボヤしていると焼かれちゃいますよお!!」
飛んできた炎を慌てて避ける。
魔法という飛び道具の優位性、ハッタリが破れ一人が欠けるという人数比の変化。状況は一気に不利になり、ミエラの手当てなどしようものなら逆に自分もやられてしまうのが目に見えていた。
そのことは相手も分かっていて――その上で言う。
「お仲間が怪我しちゃっていますよ?手当てしなくていいんですかあ?」
まるでヘルネの焦燥を見透かしたような挑発。ヘルネも人の心については詳しい課業であり、そんなものには乗らないが――
「まあ、貴女と彼女じゃあ、もともと城島ヒカルを取り合ってるような仲ですもんね――別に彼女が怪我してようが死のうがむしろありがたいって――」
「――ふざけるなあああああああああっ!!!」
さすがに感情を制御できなかった。安い挑発だと自分では分かってるが、自分達のことを何も知らない相手にそんな風に言われる筋合いはない。最初からミエラとの関係はぎすぎすしたもんじゃなかったし、ヒカルとミエラとの三人でジーシカからの逃亡を経験してからは、余計に絆が深まったような気もしていた。
だからこそ、彼女の気持ちが分かってしまい、今日ここに連れて来てしまった意味もある。
だからこそ、それを踏みにじられると、頭では分かっていても乗せられてしまう――
ナイフを懐から出し、ヘルネは飛びかかる。シュリの制止が聞こえてくるが、従えない。そのまま懐に飛び込むと見せかけて、炎魔法を誘いつつ、体をねじってそれを避ける。相手が次の魔法に移る前にそのまま距離を詰めてナイフを降り――
「甘いですねっ!!」
強烈な蹴りを入れられた。思わず態勢が崩れる。魔法のよい的になりかけたところ、シュリが短剣で切りかかり間に入ってくれた。慌てて姿勢を正し、距離を取って相手の魔法を警戒する。
「貴女はバランスが取れているのが長所。それを忘れないで」
シュリの言葉が胸に刺さった。シュリやレガスのようにある特定のステータスがずば抜けているわけではない自分は、単調な攻撃をしては相手の思うつぼだ。
「気持ちは一つじゃ。冷静にいこう」
レガスも言葉をかけてくる。焦りや怒り、苦しみなど様々な感情が渦巻くなか、ヘルネはなんとか自分を保とうとした。