第86話 開戦
ミエラは自分の緊張で自分の心臓の音が聞こえてくるようだった。
例の追手と思われる二人がヒックスの案内により消えていったという宿を見ながら、物陰に体を潜める。他の面々も似たような感じで、遠巻きに宿を見張っているはずだ。
“格闘術”Lv010のレガス、“短剣術”Lv010のシュリ、それからヘルネ――例の二人を相手にするには少し――いや、かなり戦力不足なのは否めない。自分達に利があるとすれば、不意を打てるかもしれないことと、相手がこちらの戦力を把握していないところ。レガスなどはまだ彼らと戦っていないし、見た目はただの老人なので相手にステータスを読む暇がなければ奇襲もかけられるかもしれない。そんなことを考えながら、ミエラは緊張を切らさないようにしていた。
しばらく待って、何もリアクションがないことを確認する。そこで、物陰にいたヘルネが立ち上がった。事前に立てた計画では、まず宿に近づき、相手に見つからなければヘルネが客を装って宿に侵入するということになっている。そして宿泊客を調べ、あの二人がいれば中で騒ぎを起こし、出てきたところを一気に仕留めるというわけだ。予定通り、ヘルネは宿に入ろうとする――
その瞬間、宿の二階で動く影があった。小柄な人影が、窓から顔を覗かせる。慌てて体を縮こめるミエラには、見覚えのある顔だった。
「あのドワーフ……」
間違いない。ジーシカからの逃走で、何度もミエラ達を脅かしたドワーフ。ここにいるということはやはりヒックスの案内で来たのは彼女達だったのか。
ヘルネに合図を送ろうとするが、彼女はもう宿の中にいる。そうこうしているうちに、ドワーフは顔を引っ込めた。
もし自分達の存在がばれてしまっていては不味い。宿の方に行って一度ヘルネを引き戻すべきだろうか。しかし今窓から見えるところを動くのは返って危ない気も――
人影。
先程まで注視していた窓から、再び誰かが顔を出した――
と思ったら、それがいきなり窓から飛び降りて来た。炎を四方八方に撒き散らしながら。
「さてさてーネズミのようにこそこそと人の宿を覗き見して、趣味が悪いですねー皆さん、何か御用でしたら言ってくださいませんかねえ――っと」
その声にも嫌と言うほど心当たりがある。最初は給仕の振りをして、次は追手の魔法使いとして。散々追いかけて来られた相手が、宿の前の空間に仁王立ちしていた。
隠れていた場所を焼き打たれたレガスとシュリが顔を出し、二人でじりじりと間合いを計っている。
「二人で全員ですか?そうだったら嬉しいんですけどねえ……ジーシカではべらせていた女二人もいないことだし――あ、そこですか?」
突然魔法使いがこちらを向く。と思ったら、炎の蛇がミエラの眼前に飛んで来た。慌てて転がり出る。
「魔導石使いの方ですか。もう一人は城島ヒカルの子守り?それとも――」
「きゃあっ!!」
その言葉が終わらない内に、今度は宿の入り口からヘルネが転がり落ちて来た。その上からドワーフが飛び降りて来て、ヘルネを踏みつけこちらをちらりと見た後、すぐさま走り去って行く。
「ま――」
追おうとするヘルネに、魔法使いはまたも炎の蛇を放った。慌てて立ち止まるヘルネにドワーフはもう目もくれない。
「行かせませんよ――この四人で全部か、他にもいるのか分かりませんが――魔導学院首席をあまり舐めないで欲しいものですねえ――」
そう言うなり、今度は地面が揺れる。石つぶてが魔法使いの周囲四方八方に飛び散った。
周囲を囲む四人は腕で顔を守る。それを見ながら魔法使いは嘲るように言う。
「そんなんじゃミルルルどころか私も足止めすることはできませんねえ!ミルルルが着いてしまいますよ、ゼラード商会に!!」
その言葉を聞いて、ミエラは思わずはっと顔を上げる。その反応を見て、魔法使いは満足そうに笑った。
「やっぱりゼラード商会で正しいんですね!九割方正しいと思っていましたけど、こうやって確信が持てるとやはり安心するものです」
しまったと思ってももう遅い。相手の不安を一つ払拭させてしまったと気付いたときには、再び石つぶてと炎の蛇が飛んでいた。
「さあ始めましょうか最後の戦いを!どっちが勝っても恨みっこなしです。もっとも――貴女達が私を殺してしまったら、もう城島ヒカルの力は二度と蘇らないかもしれないですけどねえ!!!」