第84話 ヒックスとユリィ
ヒックスは何やら自分のやったことが、思わぬほど大騒ぎを起こしていることに気づいてびっくりしていた。自分としては、ただの親切のつもりで困っていた二人の道案内をしたつもりなのに、その報告をしていたらいきなり綺麗な女の人が顔を真っ青にしながら割って入って来て、道案内をした二人について根掘り葉掘り聞いて来た。その後は表面上いつも通り商会が動いているようだが、どことなく不穏な空気が漂っている。
「あら?ヒックスじゃない、どうしたの?」
やる予定だった仕事もキャンセルになり、所在なさげにぶらぶらとしていたところに声をかけられた。相手を見て、ドキンと心臓が高鳴る。そこにいたのはヒックスが絶賛片想い中の相手、ユリィだった。
「あ、ユ、ユ、ユリィさん今日はいいお天気で」
「曇ってるけど……それよりも、そんな顔してどうしたの?さっき、ヘルネお姉様が随分慌てて色んな人とお話ししていたけれど、何か関係があるのかしら?」
そうユリィに言われて、さっきの女の人があの“ヘルネお姉様”だと気付く。ユリィと話をしたときに必ず話題に出てくる、ユリィが心酔しきっている女性だ。
「その……道案内をしたんっすよ……女のドワーフ?って言うんすかね、背の低い種族の、すっげーステータスの高い方と、もう一人“魔力”の高い女の人と」
「高レベルのドワーフに、魔法使いの女性……危ないからって、私も詳しくは教えてもらっていないのだけど、そんな二人をヘルネお姉様が探しているらしいっていう話はここのところ少々聞こえてきているわね……」
ユリィの顔に、一瞬不満そうな色が見えた。ヘルネに全貌を教えてもらっていないからだろうか?聞く限りでは二人の信頼関係は相当強固なもののようなので、そのヘルネが“危ないから”という理由でユリィに何も教えていないというのは、相当危険な案件なのではないだろうか。
子供の“ゼラー”の身で、浮浪児として生きていたこともあるヒックスの研ぎ澄まされた危機管理能力は、背後に見え隠れするおぞましさを感じ取った。
しかし同時に、それがあの二人と、ゼラード商会の皆の対立を意味するのならば、嫌だとも思う。少し出会っただけの二人だが、ヒックスにはあの二人が決して悪い人間には見えなかった。
「なんなんっすかね……俺、道案内した本人なのに、聞くだけ聞いて何も教えてもらってないっす……」
「貴方も、巻き込んだら危ないと思われたんじゃないかしら。見た限り、ここの古参のメンバーとヘルネお姉様以外の人は何も知らないみたいね」
「――ユリィさんは、それでいいんっすか?子供扱いされて、何も知らされないまま放って置かれて――」
「そうね……ちょっと寂しいって思うこともあるかな……でも、私の身を案じてもらってるのも、きっと事実なんだろうって思うし、それでもいいかなっとも、思える――ヒックスこそ、どうしたいの?」
どうしたいの――その言葉に、ヒックスの心は揺れる。現状を嘆くのではなく、自分が今どうしたいか考える。ゼラード商会に来る前の自分のこと、ゼラード商会の皆のこと、そして、つい先程まで道案内をしていた二人のことが、順に頭の中を巡る。
少し悩んで、もう少し悩んで――そして彼は決意する。
下げかけていた顔を再び上げて、ヒックスは歩きだす。
「どこに行くの?」
ヒックスのその様子を黙って見ていたユリィに声をかけられた。いつもならそれだけで心臓が跳ね上がるのだが、今日は何故か落ち着いている。
「さっき――その二人を送り届けたところに、俺も行こうかなって。もうヘルネさん達は向かった後だし、全て手遅れかもしれないし、俺は何が正しくて何が間違っているのかなんて分からないけど――それでも、俺は嫌だ。自分が道案内した人が、自分の知らない所で自分の仲間と戦うようなことがあったら嫌だ。だから、何ができるか分からないけど、俺はその場に行きたい」
それを、ユリィは否定も肯定もしなかった。ただ、黙って彼女は微笑んだ。
「じゃあ、私も行くわ。一人より、二人のほうがいいでしょう?」
「え、でもさっきは、このままでもいいって――」
「そうね、でも、今度は貴方っていう心配事ができてしまったから、私も一緒に行こうと思ったの」
そう言って――実に自然に、ユリィはヒックスの手を取った。
「……え?ちょっ!ユリィさん手っ、あ、いや別に嫌なわけじゃないけどっ!心の準備がっ!」
ようやく心臓のどぎまぎが戻ってきたヒックスの火照る手を引っ張り、ユリィも一歩を踏み出した。