第83話 語学
「なるほどなるほど、じゃあ旦那、俺達が作った、このグループのことは旦那の言葉じゃなんて言うんだ?」
「そうだな……“ゼラード商会”、かな」
「“ゼラード”は固有名詞扱いにして、最後に“商会”か。商いをするグループって意味でいいんだよな?」
「ああ、その理解で合っている」
「わかった、“ゼラード商会”だな、じゃあ、俺達が前にいたのは“デウリス商会”でいいのか?」
「そうだな……そう呼ぶのが正しいだろう」
“語学”Lv010は恐ろしい。
ヤティが俺の部屋に来てから数日で、彼は日本語を習得しつつあった。
勿論発音は悪いし、文法を間違うこともある。語彙もまだまだ足りない。それでも、単純な会話くらいは難なくこなせるようになっていた。
自分がオートランドの言葉を喋れない中、すぐに日本語を習得していくヤティの姿を見て、正直なところ嫉妬を覚えかけるが、それを懸命に抑える。様々な人に散々見せて来たものを、今さら見せられて嫉妬だなんて器が小さいにもほどがある。
「でだ、ヘルネがリーダーになって、敵を注意しているから、ヒカルの旦那は気にしなくていいってよ」
「そうか……助かる」
「今のところ敵を見つけたって報告はなしだ。気にはなるだろうけど、気にしていても仕方がない、旦那はしばらく養生していてくれ」
会話がある程度成立することで、状況が大分理解できるようになった。それだけでも、あの足元が定かでない霧の道のような不安を味わわなくて済む。
先にどんどん日本語を習得するヤティに、今度はオートランドの言葉を教えてもらいながら、時間が過ぎて行く。正直追手のことやその他もろもろ気になることはあったが、今の俺には皆に大部分を任せるほかないようだった。
ガタガタっと、周囲がやかましくなったのは、そんな練習をしているある日のことである。普段は静かな部屋に、外から大きな声が聞こえる。中身は理解できないが、何やら切羽詰まっているようで嫌な予感がした。
何事かとヤティに聞く間もなく、ミエラが部屋に駆けこんで来た。蒼い顔をしながら、ヤティに何事か話す。ほとんどの言葉はまだ理解できないが、聞き取れた単語は“敵”だとか“危険”だとか、およそ平和には程遠いものだった。
しばらく話をしたあと、険しい顔をしたヤティが俺に向き合って日本語を使う。
「ヒカルの旦那……ある見習が、女のドワーフと魔法使いの二人組の道案内をしたらしい――」
俺の危機については、ゼラード商会の中でもごく一部の者にしか知れ渡っていない。ヒックスという見習が、ドワーフと魔法使いの道案内をしたのも、俺のことを知っていてではなく純粋に善意から道案内を申し出たそうだった。その後、商会に帰って来てあったことを色々と話す中で、その話題も出て、偶然通りがかったヘルネがそれを聞きつけ、慌てて主だった面々を集めて今後の対策を練っているところとのことだった。
正直なところ、追手がオートランドに入っていること自体はさほど驚くべきではない。彼女達の追撃を振り切ったときの逃げ道の先にはオートランドしかなかったし、俺がオートランドからの使者としてジーシカに行っていたこともある。問題なのは、彼女達のアクションの早さだった。俺がオートランドの代表になっていることからも、オートランド内での俺の支配範囲を計りかねて、行動はもっと慎重にしてくるかと思ったのだが、見ず知らずの“ゼラー”の少年に道案内を頼んでいるとなると、もはや一刻の猶予もない。誰かれかまわず聞いて回ることを躊躇しないのならば、いずれは“ゼラー”が設立に携わったらしい謎の商会のことなど、聞きつけてやってくるだろう。あるいは、逆にチャリーズ国王辺りに俺の情報が漏れても、やはり命に関わる。もう少し時間は稼げるだろうと思っていただけに、商会の内部も慌ただしい雰囲気になっていた。
「ヒカルの旦那、とりあえず調査と対策は俺達がヘルネを中心にやっておくから、何も心配しないで任せるんだ」
「あ、ああ……わかった」
また、何もできない。力を失った自分が、ただの荷物になってしまっていることが悔しい。それを察したか、ヤティが笑顔を向けて来た。
「旦那らしくもねぇ、何を辛気臭い面してるんだよ、人生、持ちつ持たれつだって。旦那は俺達にたくさんのものをくれたんだから、今度は俺達がお返しする番だよ」
その言葉に甘えていいものかも分からないまま、俺は曖昧に頷いた。