第80話 帰国
ジーシカにいるとき、窓に映る俺自身の姿を見た。
それが、誰かに似ているような気がして、でも誰だか分からなかった。
今なら分かる。あれは、“ゼラー”を見下すこの世界の奴らの顔だった。
デウリスであり、シャラムンであり、ミルルルだった。自分の力を信じ、持たない者を見下している、実に愚かな人間の顔だった。
そうやって、増長して、足元を掬われる人間を、何人も見てきたというのに――
俺もまた、そいつらと、同じ道を辿ってしまったわけだ。
ジーシカで何が起こったのか、どんなからくりがあるのかは分からないが、俺はカンストしていた力を全て失い、正真正銘の“ゼラー”となった。そのまま襲撃を受けた俺は、何がなんだか分からないままにミエラやヘルネ達と宮殿から逃げ出した。直前に助けた少女に、今度は逆に手助けされ、川を下って逃げ出したときには意識を失い死にかけた。
来るときには移動魔法で簡単に来れたものを、帰りは馬にも乗れず徒歩でのろのろと歩き、追手の影に怯えていた。
怖かった。
一度は死んだ身でありながら、死ぬのがなお怖かった。絶対的な力を持っていたが故に、それを失って逃げる道が、怖かった。
“語学”Lv10000を失った俺は、言葉も通じず、雰囲気だけでなんとなく状況を察していた。周囲の状況が分からないのも怖かった。言葉を覚えようとしても、かつて元の世界で英語を覚えたように覚えられないのが苦痛だった。
最悪の気分になりながら――それでも日々は過ぎ、俺達は逃げなければならなかった。荷物になってしまった俺を見捨てなかったヘルネとミエラには感謝してもしきれない。三人でのろのろとオートランドへ向かっている途中に、刺客が現れた。かつて俺が対決したドワーフ……ミルルル。彼女はどうやら俺が力を失ったことを知らなかったようで、少しはハッタリが効いたがそれでも、偶然シュリ達が合流してくれなければ間違いなく命を取られていただろう。しかし運命はまだこちらに味方して、俺達はその後、刺客と鉢合わせすることもなく――無事オートランドに辿り着いた。
ゼラード商会に戻ってきた俺は、一人部屋で寝転んでいる。正直、もう何も考えたくはない。けれど、きっと俺は狙われているし、何もせずにこれから生きていくのはプライドが許さないしそれに――
と、色々考えるのもおっくうな俺の部屋の扉が、そこで開かれた。
「ヒカルが力を失った」
ミエラの端的な言葉は、しかしその場にいる皆を驚かせるには充分だった。事情を聴いているシュリですら、改めて聞かされると顔をしかめる。
ここはゼラード商会の一室。その場にいるのは、ヘルネとデウリス商会で“ゼラー”としてヒカルやミエラと一緒にいた面々――つまりは、ゼラード商会の創設メンバーである。
「……力を失ったって、具体的にはどのくらい?」
“交渉”Lv010のジャイコスが、ミエラに尋ねる。いつもの笑顔も今は無かった。
「全部。言葉も全く意味の分からない言葉しか話せなくなってる――今、少しずつ覚えなおそうとしているけど、状況は芳しくないよ。端的に言えば、ヒカルは正真正銘の“ゼラー”になってしまった」
ミエラの言葉に、また全員が息を飲む。しかし、ヒカルのことを考えれば、もっと厳しい状況を言っていかねばならない。
「恐らくこれは何かの偶然ではなく、ヒカルに悪意を持つ何者かによってなされたもの。しかも、私達には頼れる人がほとんどいない――今の王様だって、ヒカルの力がなくなったって知ったら何をしてくるか分からないのは、みんなもよく知ってるよね?」
現国王チャリーズ達とヒカルがかつて戦ったのは皆の知るところである。その際もっともミエラ達を苦しめたディフジァコローヮレンという男は、ヒカルと同じような力を持っているようだったので、彼ならヒカルの力の仕組みや、もしかしたら無くした力を取り戻す方法までわかるかもしれないが、とても聞く気にはなれない。
重苦しい沈黙が、その場を支配する。その中で、それを破る声があった。
「ま、そういうことはヒカルの旦那に話を聞かなきゃ始まらねえよな」
声の主をミエラが見る。そこにいたのは、皆の中で一番若い少年、ヤティだった。
「何を言っているの、ヒカルとの会話ができなくなっていることは今言ったばかりでしょう?」
「ああ、だけど、ヒカルの旦那は口が動かなくなったわけじゃなくて、“全く意味の分からない言葉しか話せなくなってる”わけなんだろう?――だったら、俺がヒカルの旦那の使う言葉を覚えてやる」
そう言って、かつて城島ヒカルのおかげで“ゼラー”から“語学”Lv010となった少年は部屋の扉を開け、ヒカルのいる部屋へと向かった。