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10分間トリップ

作者: blazeblue






「この電車は急行秋月行き、次は月夜台まで停車しません」


 確保した座席でホッと息をつき、電車の天井を見上げる。通勤電車とはいえど田舎から都心部に出る便のしかも始点だから、人が少なくてほとんどの席が空いていた。つまりは端の座席の取り合いに勝ったというだけのことだが、これから長々と座っていなくてはならない関係上、とても重要なことだ。


「ドア閉まります。駆け込み乗車はご遠慮ください」


 駆け込み乗車などと言っている車掌の声をついつい半笑いで聞いてしまった。なにしろ探さなくても空席がそこかしこにある車内だ。駆け込む人間などほとんどいまい。

 はくり、と浮かんだあくびをごまかして、手元のカバンに視線を落とす。先月の給料で買った少し高いブランド物だ。どう見てもオシャレではない私だからこそ小物には凝るべきで、これは中々良い買い物をしたと自負している。それを抱き込むようにして、私は目を瞑った。

 月光台までは約十分。そこからなだれ込んでくる賑やかな団体様に遭う前に、寝てしまわなくては。









「……は」


 風の流れを感じて目を開けた。ぱちぱちと瞬きをして、おや、と思う。地面が地面だった。比喩でもなんでもなく、電車の床ではない『大地』がそこにあったのだ。

 想定よりもよく寝てしまったのだろう。うすぼんやりとした意識を振り払いながら周りを伺えば、そこには見たこともない景色が広がっていた。


「なにこれ」


 周りにはすこし背の低い木々があり、その隙間から見えるのは海外ドキュメンタリーでよく見るような農村だ。二十、三十ほどの平屋と、そこにぽつぽつ混じる二階建て。中心には鐘が付いている高台。あれは、屋根がなくてもいいのだろうか。私が座っている大木——憎いことに電車のシートとほぼ同じ寸法に伸びた根っこに私はいた。ご丁寧なことだ——から、そこは少し低い位置にある。むしろこの大木がちょっとした丘にあるというべきか。

 この大木は意味があるのだろうか。見える範囲では木を囲むように丸く十メートルくらい広く整地されていて、すこし離れているところに祠のようなものもある。大木信仰というべきか。この木をご神体にしているように見えてしまうのは日本人の性だろう。


 もちろん自宅から勤務先までの間にこんな場所はないし、そもそも周りに電車もない。降りた覚えもない。まさか自分に起こると思わなかったが、神かくしや……異世界トリップ、の、類か。いい年の大人としては認めたくもないが。


「も、持ち物確認しよう」


 人は無言での行動に不安を覚えると聞いたことがある。自分の震えた声には気づかないふりをして、木の根に座ったままお気に入りのカバンをひっくり返した。書類に、手帳に、スマホに、持ち運び用の小さな制汗スプレー。あと、飴玉一袋と、お茶の入ったペットボトルとタブレット。ほとんどがここでは役に立たないものだ。


「ちょっとー、文明の利器も全然だめじゃん」


 スーツを着た会社員の女一人になにを期待しているというのか。例え科学力を期待されたところで、ネットに甘やかされた現代日本人には荷が重い。それとも期待していた人間は別にいて、私はただ巻き込まれただけか。わからない。まったく、わからない。


「ここにいても何にも変わらないし。あの村にでも行ってみようかな」


 少なくとも自分に利があるか危険しかないのか、それくらいはわかるだろう。何かあればその時だ。どのみち私一人では、何の地盤もない土地で生きていくことはできない。

 立ち上がろうとしたその時。私の正面付近の低木がガサガサと揺れた。低木と背の高い雑草、その間からひょっこりと顔を出したのは、五歳程度の女の子。幼稚園に通っている姪と同じほどに見える。


 日本ではない場所、確定である。


 麻のような、目の粗い布で作られた丈夫そうな服はまさに『村人の服』で、日本ではお目にかかることがない。その髪は薄い茶色で、遠くて分からないが、瞳も日本人のこげ茶や黒とは違うようだ。


「ぁ……!」


 ひどく驚いたような女の子が、言葉を見つけないまま駆け寄ってくる。そのまま抱きついてきた体はひどく薄い。しゃくりあげる背を宥めるように撫でて、私は女の子の前にしゃがんだ。


「こんにちは、大丈夫?」

「うん、うん、だいじょうぶ。お姉ちゃんはめがみさま?」

「女神様……うーん、違うと思うよ」


 ボロボロと涙をこぼしながら聞いてくる言葉を否定するのは心苦しいが、女神を詐称するのも問題がある。曖昧に笑ってそう言うと、がっかりしたように女の子は下を向いてしまった。


「ご、ごめんね。あ、そうだ。代わりに」


 カバンから飴玉をひとつ取り出す。透き通った赤は多分イチゴ。フィルムを剥がして、女の子の小さな口に放り込む。


「なにこれ、あまくておいしい!」

「気に入ってくれた?」

「うん! おかえしに、ミシュのたいせつなものをあげる」


 涙が残る目をキラキラさせて、子どもらしい可愛い顔で見上げてくる女の子。その差し出す手には綺麗な水色に透き通った石が二つ、まるでソーダの飴のようだ。顔を見れば嬉しそうで、断るのも悪いだろう。片方だけをつまんでカバンの内ポケットにしまいこんでから、小さな頭をそっと撫でた。


「ごめんねぇ。お姉ちゃん、あなたの待ってた人とは違うみたいで」

「ううん、いいの。めがみさまがミシュたちを助けてくれるまで、がんばっておそうじするから」


 どうやら何かの事情を持っているようだが、深入りせずにいよう。女の子、ミシュの仕事だという祠そうじを終わった頃に、私はまた声をかけた。


「あのね、お姉ちゃん、道に迷っちゃったんだ。ミシュちゃんの村までついていってもいい?」

「うん、いいよ。ついてきて」


 我ながら怪しすぎるお願いである。日本なら即通報ものだ。それを何とも思わなかったのか、ミシュはにっこりと笑って頷いた。

 ガサガサと草をかき分けて、ミシュはすいすいと進む。毎日通っているというのも嘘ではないらしく、私をフォローすらして歩く姿は堂々としていた。


「ミシュ、ミシュ……ごめん、まだ?」

「えっとね、もうちょっとだよ」


 対する私は移動に電車を使い、雑草のほとんど生えていないコンクリ世界を歩む日本人だ。何ならば歩く量だって学生時代に比べると恐ろしく減っている。ヘトヘトの私をすこし笑って、ミシュは最後の低木をかき分けた。


「ほら、あれが村だよ」


 やっと着いた。その思いは、すぐに押しつぶされた。武装した村人たちがズラリとお出迎えである。くわ、すき、時々剣。剣の人は多分戦うことを知っている人で、村人たちの一番前にいる。


「ミシュ! 早くこっちに来なさい!」

「え、おかあさん?」


 武装した男の後ろから叫ぶのは私よりいくつか若そうな女性。ミシュと同じ髪の色で、多分似ている優しげな要望を、今は鬼のように歪めて叫んでいた。女性に対する比喩表現としては失礼だが。


「お前の後に森に入ったやつから、怪しい女を連れていると聞いた! そんな見たこともない服を着ているのは、悪魔に違いない!」

「あー、失敗だったかぁ」


 誰にともなく呟いた。どうやらここは、私には優しくない世界だったらしい。しかし初手で悪魔認定か。身だしなみには気をつけていただけに複雑だ。髪とか皮膚とか目とか、その辺りで人外扱いされる予想はしていたけれど。服装もチェック対象だなんて面倒なことだ。ポケットの中で、念のため忍ばせていた制汗スプレーを握りこむ。これを顔面に噴射すればそれだけでもずいぶんな威力になるはず。


「死ね、悪魔!」

「——!」


 いくらスプレーを装備していたところで、いざという時に出なければ意味がない。とっさにポケットから引き抜いた右手をかざして、私を損なおうとしている剣を遠ざけようと——









「間も無く、月夜台、月夜台。お出口は右側です。お忘れ物がないようご注意ください」



 はっ、と、した。



 右隣に座っている人が大きく体を震わせた私を迷惑そうに見る。変化と言えばそれくらいで、向かい側の人も、右隣の人だってすぐに興味を失ったようにスマホを見る。


 夢、か。勘弁してよ。


 それにしても生々しいものだ。森を歩き続けた疲れも、斬り殺されそうになった恐怖も、すくんだ体も、全部が全部、まるで本当にあったことのよう。あのタイミングで起きなかったら一体どうなっていたのだろう。頭をよぎったその想像をすぐに振り払う。


「夢は、夢だったから」


 細く長く息を吐ききって、お気に入りのカバンからペットボトルを取り出す。キャップを開けて一口飲めば、すぐにいつも通りの会社員だ。なにもなかった。ただの、夢だった。









 一人の女が歪みを越えて往来した事実は、ひとつ減った飴と汚れた靴、そしてカバンの中の透明な石が知っている。しかしそれもすぐに、日常に埋もれて忘れ去られたのだった。




作業時間:1.5時間

お題:10分間、夢オチ疑惑

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― 新着の感想 ―
[一言] 『して、ミシュの口に放り込む。 「なにこれ、あまくておいしい!」 「気に入ってくれた?」 「うん! おかえしに、ミシュのたいせつなものをあげる」』 女の子が名乗る前に、ミシュという名前が出…
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