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「レイ、レイっ!大丈夫か?」
身体を揺さぶられ、俺は目を開けた。
「あ?」
青ざめた山野の顔が眼の前に在った。
「良かった。やっと起きてくれた…。何度声を掛けても起きないから、何か悪い病気にでもなったのかと心配した。…うん、熱も無いようだな」
山野は額を俺の額にくっつけ、そしてホッとしたように息を吐いた。
「俺…夢を見てたらしい…」
「そうか。うなされてはいなかったから悪い夢ではなさそうだが…。ところで急がないと朝食に間に合わなくなるが…気分が悪いのなら始業まで寝ているか?」
「いや、朝飯は絶対食っておく。抜いたら昼飯まで身体が持てないからな」
俺は大慌てで服を着替え、山野と食堂へ向かった。
山野の言う通りだった。
あれほど自分の過去と向かい合うことを怖れていたのに、あんなにはっきりと過去を直視したというのに、少しも嫌な気分じゃない。それよりもなんだかすべてを乗り越えてきたという充実感さえ感じる。
隣で彼なりに一生懸命に急ぎながら朝食を口に運んでいる山野を眺めた。
昨晩こいつからもらったペンダントがあの長い夢を俺に見せたのだろうか…
俺も山野も授業には何とか間に合った。
最初の山野の印象は、物事全てをマイペースでしか動かない自己中心的な奴だと思っていてが、彼はただ慣れるまで時間を掛けるだけで、慣れてしまえば簡潔にやれるし、方向音痴も繰り返し道を辿れば、間違わなくなる。
「何を驚くのだ?人間として当然だろう」と、クソ真面目に答えるところも、妙に可愛らしく見える。きっとスバル先生は山野のこういうところを愛しているのだろう。
放課後、図書館へ行くからと山野を見送った後、寄宿舎の広間で休んでいたところに、セシルがやってきた。
俺のペンダントに気づいたセシルは「珍しいね、レイがアクセをするなんて」と、言った。
「それ木の実か何かなの?なんかの願掛け?」
俺はよく考えもせずに「ああ、山野から貰ったんだ」と、答えた。答えた後、すぐに後悔した。この後のフォローが難しくなることを悟ったからだ。
思ったとおり穏やかなセシルの顔から微笑みが消えた。
「え…と、山野からもらったというか…山野はスバル先生からもらって、先生はアーシュからのプレゼントで…それから…」イールさまからの贈り物だとは言えなかった。
俺がこの星の住人じゃないってことを、セシルは知らない。
「それって、とっても大事なペンダントってことじゃない。それを山野くんが君にあげたってことは、好きだって告白しているんじゃないのかな…。それで君の方はどうなの?もう彼と寝たの?」
「はあ?寝るわけないだろ?山野にはスバル先生って言うれっきとした恋人がいるじゃん」
「先生は長期出張なんだろ?仲の良い人と離れてしまったら寂しくなる。恋人同士だったら尚更だよ。彼が君に寂しさを求めてもおかしくないし、君だって…山野のお守りは迷惑だって言ってたのに、今朝もふたり仲よくチコク寸前で教室へ来てたじゃないか」
「それは…」
夢を見てたからだって、言い訳にもなりゃしない。
「セシルは誤解してる。とにかく山野にはスバルしかなくて…。あいつの頭の中はいつだって『スバル愛してる』なんだから」
「レイ、また人の頭の中を勝手に覗いてるの?前も言ったけど、僕の頭の中は絶対覗かないでくれる?もしやったら絶交だから!」
「セシル…」
「人より優れた魔力を持っていたって、その力が人の心を傷つけるのなら、何のための魔力なのかレイはもう少し考えた方がいいよ。君の力は他人から見たら、脅威に感じることもある」
「俺はそんなつもりはない」
「だったら…何故人の考えを知ろうとするの?知ったところで君にすべてを解決できる力があるの?そういうの、傲慢って言わない?…僕は君を親友だって思っているから…こんな嫌なことも言うけれど、君の良くない噂だって聞くよ。君は力があるから気にしていないんだろうけど、僕は君が悪く言われるのは嫌だ。君が尊大な人間になるのはもっと嫌だけどね」
「…」
「山野くんがスバル先生の恋人だろうと恋愛は自由だよ。だけど、恋愛に魔力は使わないでくれ。そんなの卑怯じゃないか」
「ごめん、セシル。そういうつもりじゃなかった。もう、誰かの頭を覗いたりしないから…怒らないでくれ」
俺は自分の魔力に溺れているのだろうか。
人よりも優れた能力をどこかで誇っていたんだろうか…。
クナーアンに居た頃はこんな力を憎んでさえいたのに…。
人の頭の中を覗くことが相手にとってプライドを傷つけることになる…こんな簡単なことにも気づかないなんて…
セシルと別れた俺の足は、自然とアーシュの居る官舎へ向かった。
アーシュは仕事から戻っており、部屋で姿を見た時はこちらが凹んでいたこともあって、何だか泣きそうになってしまった。
俺の感情を知ってか知らずか、アーシュはすこぶる機嫌よくテーブルに並べられたお土産の類を俺に見せてくれた。
「ベルの結婚式に出席したんだぜ。めっちゃ感動的だった~。あ、写真見るか?オラフィスの古城でみんなに祝福されてさあ~。気乗りしないベルでも、嫁さんがあんまり可愛いから、思わず嬉しそうな顔をするんだけど、必死で不機嫌な顔を繕うんだぜ。なんせ俺を一番に愛してるって公言してる手前、結婚も仕方なくって嫁さんに承知してもらっているらしい。愛すべき馬鹿っていうのはああいう男かもしれんな。しかし、俺はふたりの結婚には大歓迎なんだ。なんせ生きてる間にベルの子供を見れるんだ。俺の息子みたいにめっちゃ可愛がってやるぜ。名前も決めているんだ。彼の古い祖先の爺の名前でウィリアムってな。ウィリアム・ナサナエル・セイヴァリ…いい名前だろ?しかし何と言っても、古城って雰囲気あってすげえ良かったわ。俺も一度はイールとああいう場所で結婚式してみてえなあ~」
「…(毎年してるじゃん、収穫祭はあんたらふたりを祝う結婚式みたいなものじゃん)」
「なんだよ。ご機嫌ななめか?セシルとケンカでもしたのか?」
「どうしてわかるのさ。俺の頭を覗いたの?」
「そんなの魔力を使わなくたって、おまえの顔に書いてあるよ、ガキ」
「…」
そうさ、アーシュの言う通り、俺は甘ったれのガキなんだ。アーシュはそれを許してくれるから、俺はまた甘えてしまうんだ。
「それより神也とは仲良くやっているか?あいつ、変わっているけどいい子だろ?」
「…これ、山野からもらったんだけど…」と、俺は首に付けたペンダントを外して、アーシュに差し出した。
「アーシュがスバル先生にあげたんだろ?先生がそれを山野に…。山野は俺を気遣ってこれをくれたんだけど、元々はイールさまのものだと聞いた。そんな大切なものを俺が持ってていいのか…ちょっと困ってるんだ」
「ふ~ん、神也がおまえを気遣って…ってところが引っかかるね。何かあったのか?」
「別に…でも昨晩これを付けて寝たら夢を見たんだ」
「どんな?」
「昔の…クナーアンで生きてきた俺のすべてが走馬灯みたいに…嫌な事も良い事も全部いっぺんに夢に出てきたんだ。でも…今までみたいに胸が抉られるような痛みは感じなかった。なんだか…すべてが今の自分に必要な出来事のように思える。こんな風に感じられる自分が不思議なんだ。きっとこのペンダントの所為だ。クナーアンの神木の実の種だって山野が言ってたけど…」
「ああ、あれはマナの実の種だけど、おまえの夢と全く関係ないね」
「はあ?」
「マナの実は媚薬の魔力を持つ典型的な催淫剤だ。当時、スバルと神也がなかなかセックスに進めなくて悩んでいたから、スバルにあげたんだよ。効果抜群であいつらその夜にめでたく結ばれたんだが…。ついでに俺とイールもマナの実をよく食べてセックスしてるよ。あれすげえ気持ち良くなるんだよなあ~」
「…」
マナの種が媚薬だとは理解したけど、アーシュとイールさまのセックスの話は、こちらが気恥ずかしくてたまらない。
「アーシュはさあ…。俺を神殿に連れて来た頃、俺が寝てるからってイールさまと抱き合ってたよね。あれ、俺、寝たフリして見てたんだけどさあ、わざと?…」
「おまえに見せるためじゃねえよ。俺とイールはいつだって抱き合っていたいの。お互いが欲しくてたまんねえからな。まあ、おまえを他の場所に置いとけなかったと言う理由もあるよ。あの頃のおまえは、いつ魔力が暴走してもおかしくなかったから、俺とイールの傍に居ることが一番安全だった。…つうか、俺、イールとのセックスは最重要だから、別におまえが気を使うことじゃねえし」
「…」
いや、あの、ちげえし…。
「まあ、セックスの素晴らしさは俺とイールのを見てわかっただろ?おまえも早くいい男とセックスしろよ」
大きなお世話、つうかなんで男限定?
「じゃあ、なんであんな夢見たのかなあ…」
「おまえにとってのキーワードはねえ…山野神也。それ以上教えないから自分で答えを出せ。ほら、これやるよ。結婚式の引き出物のクマのぬいぐるみのストラップ。嫁さんのクリスティーナの手作りだそうだ。きっとレイの恋運も上昇だね」
無理矢理に手渡されたストラップのクマは、確かに可愛いけれど、微塵も魔力を感じないただのぬいぐるみで、それを恋運云々いうアーシュが本気なのかどうかわかるわけもなく、だけど、なんだか沈んでいた気持ちが浮上していくものだから、改めてアーシュの存在の偉大さを確認しなきゃならない自分が悔しかった。
いつか俺もアーシュのように、人を明るく元気にしてあげれるような魅力ある人間になりたい。
魔力を持った魔術師として怖れられるのではなく、ただの人間として…。
寄宿舎へ帰り途中、図書館から帰る山野と偶然出会った。
「アーシュに会ったのか?」
「どうしてわかる?」
「レイの顔が明るくなった」
「…そうかな。ああ、アーシュの親友のベルさんの結婚式の話を、延々と聞かされたんだ」
「ベルには私もよくしてもらっている。そうか、結婚したのか…。私もお祝いに行きたかったな…」
夕暮れに赤く染まる山野の横顔に少しだけときめいてしまったのは、きっと、アーシュが話した事が頭に残っていた所為だ。
この媚薬のペンダントと、キーワードは山野神也…本当に?
俺はこの山野を愛してしまうのだろうか…