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今まで誰にも話していない俺の過去を、知り合ったばかりの山野神也が知っていたことに俺は狼狽えていた。
続けて問いただすと、山野はそれ以上のことは知らないと言った。そして、何故俺が怒っているのかと、不思議な顔をする。
「別に…おまえに怒っているわけじゃねえよ」
山野に対する怒りよりも、俺の許可なく俺の事を話し聞かせたアーシュに腹が立つ。
だけど、俺だってわかっている。
俺が異邦人であることが他人に知られたとしても、引け目を感じることもないし、特別に思う事でもない。
ただ俺は…アーシュと同じ秘密を守りたかっただけなんだ。
俺とアーシュだけが分かち合える「何か」を、誰にも見せたくなかっただけ。
意地汚い手前勝手な独占欲なだけ…。
それでも腹の虫が治まらなくて、山野を寄宿舎へ連れ戻した後、アーシュが暮らす教員宿舎へひとりで向かった。
官舎の玄関で案内窓口に声を掛けようとすると、廊下を通りかかったスタイルの良い綺麗な女性が俺の前で立ち止まり、「学長は仕事の為、二、三日は戻りません」と、まだ何も喋っていない俺に言うのだ。
怪訝な顔で俺は見慣れない彼女をじっと眺めた。
一目で高級だとわかる服装とジュエリー。それに似合った豪華な金髪と緑色の瞳。派手な化粧の割に下品に見えないのは、真ん中に座った小さくて形の良い鼻が可愛らしいからだろうか。
突然彼女は手に持った洋扇をまっすぐ俺に向けた。
「レイ・ブラッドリー。あなたは学長に贔屓にされていると言って、安易に面会に来たり、勝手我儘を言うものじゃありませんよ」
「え?俺の名前?」
「知っているわよ。あなたはアーシュと同じ異次元の星から来たんでしょ?あのね、天の王は孤児院じゃないんだから、後ろ盾のない生徒は他の学生の模範となるように真面目に勉学に励む事。わかったわね」
「…」
なんだよ、こいつ。めちゃくちゃ美人のクセに、てんで気取りやがって…。美貌と性格の悪さは比例するって本当だな。それに能力が上乗せられて、この学園には高慢ちきな女ばかりが台頭する。結果、俺の女嫌いは酷くなるわけだ。
「あ…なたに言われる筋合いじゃないと思うんですが…」
「あら、私はこの学園の理事長ですから、生徒の品格にも口を挟む権利はあるのよ、銀色のレイ」
「理…事長?」
「理事長の顔も知らないの?…ったく、アーシュがいい加減だから、学生の風紀も乱れるのよねえ。私たちの頃は学園の幹部クラスの顔と名前ぐらいは、すべての生徒が知って当然だったのよ」
「…」
昔の話をされても、俺が知るか!と、罵りたかったけれど、その後の面倒さも想定できたので、俺は姿勢を正して「申し訳ありません」と頭を下げた。
彼女は少し驚いて「あら?アーシュと違って意外と素直じゃない。まあ、いいわ。いつかあなたが自分の故郷に還る時が来るまで、ここで沢山の経験を積んでいくことね。でもアーシュばかりを頼っちゃ駄目よ。あいつはこの学園だけじゃなく、この星の慈善事業家なんだから」
「慈善事業…」
「早くあいつに頼らない世界を確立しなきゃならないのに、どいつもこいつも自分の身の回りのことで精いっぱい…嫌になるわね。ああ、あなたには関係ない話だったわね。じゃあ、失礼するわ」
理事長と名乗る女性は俺の前を通り過ぎて行った。
窓口の管理人にあの理事長の名前を聞くと、この学園の出身者でアーシュと同級生だったリリ・ステファノ・セレスティナと言うサマシティの有力貴族らしい。
「リリさまはこの学園の経営ではなく、次期サマシティ市長の有力候補なんだよ。学長の信頼も特別に厚い御方だ」
アーシュの信頼に値するか…
馬鹿だなあ~。俺、妬いてる。
数え切れない尊敬と信頼を集めているアーシュ。誰からも愛されているアーシュ。そしてアーシュも多くの者たちを愛している。
俺はその多くの者のうちのひとりであって、決して唯一の者じゃないって、わかっているのに。
まるで親を取られて不貞腐れてる子供だ。
早く俺もひとりでも生きていける大人にならなきゃ…。
夜、山野は机に向かって恋人へ手紙を書く。
覗いてみても彼は嫌がらない。
「今まで毎晩のように、寝る前にはスバルにその日一日、私が気になったり感じたことを話していたのだ。だから同じようにスバルに手紙を書いている。でも、言葉と違って文章にするのは難しいものだな。どうしても考えてしまうから、言葉ほど正直にはなれないし、繰り返し読まれたりするのかと思うと、益々考え込んでしまう。それに、これを読むであろうスバルを想像すると、心配や悲しませたくなかったりするものだから、嘘も必要になる。でも、大好きな人が笑顔になる嘘の文章であるならば、それにはきっと意味があるのだろうな」
そう言って、また便箋に向かう山野を俺はこの上もなく羨ましいと思うのだ。
きっと俺は…俺の想いを受け取ってくれる「誰か」を、ずっと待っているのだろう。
ただ待っていたって見つかるはずもないことは、わかっているはずなのに…
「なあ、山野。おまえ、うちの学園の理事長って知ってるか?」
「リリ・ステファノ・セレスティナの事か?もちろんだ。リリとは仲が良くてな。家に招待されたことも何度かある。リリは強い女性だが、優しい人だ。彼女の手作りのお菓子はどれも美味しい。リリだけじゃない。この学園の理事は十人ほどいるけれど、皆、とても面倒見がいいんだ。私は有難いと思っている」
「…みんな、おまえには特別扱いなんだな。特権だらけじゃねえか」
「私がアーシュの後を引き継げる器かどうか、皆、見計らっているのだよ。…正直に言えば…私自身もアーシュの代わりになれるとは、とても思えない。だが未来の不安を数えても仕方がないことだ。それならば賢人達の期待に沿えるように、懸命に頑張ろうと思う。私にはそれしか恩返しができないからな」
「…」
山野の言う「恩返し」が引っ掛かったけれど、山野への嫉妬の所為で余計なことを考えたくなかった。
部屋の灯りを消して、ベッドに潜り込み、毛布を鼻まで掛けた。
机の電気スタンドの灯りに照らされた山野は、一旦鉛筆を持ったがそれを置くと抽斗を開け、何かを取り出した。
そして俺のベッドに近づき、手に持ったそれを寝ている俺の目の前に差し出した。
「何?」
「このペンダントをレイにあげよう」
「…」
汚い紐に小さなクルミのようなペンダントトップがぶら下がっている。
「あげようって言われても、こんなもん別にいらねえし」
「クナーアンの木になるマナという実の種らしいぞ」
「え?」
「この学園に来た時に、アーシュがスバルを介して私にくれたのだ。だが元はと言えば、クナーアンのアーシュの運命の恋人であるイールからの贈り物なのだ。イールは予見の力に優れていて、会ったことのない私の為にこのペンダントをくれたのだ。…私が今、これをレイに渡すという事も、もしかしたらイールは当の昔に知っていたのかもしれない。そうでなければ、今この時に、こんなにもおまえに渡したいという気持ちに突き動かされる理由がなかろう。きっとこのマナの種は、レイを求めている…いや、レイがこれを求めているのだ。だからこれはレイのものにならなければならない。さあ、受け取ってくれ」
「受け取ってって…。アーシュ…イールさまから頂いたものを許可なく俺がもらえるわけねえじゃん」
「私が許可したのだ。大丈夫だ。きっとイールは怒ったりしない」
「イールさまと呼べよ」
「…何故?」
「クナーアンの神さまだからだよ」
「レイにとっては神さまだろうけれど、私にとってはアーシュもイールも良き指導者であり、友人だ。だが、神さまを敬う気持ちは理解するぞ。私も山の神だった頃…」
「ああ、もうわかったから。おまえの話はもういいよ。俺、もう寝るから」
「では、このペンダントを付けて寝るといい。きっと良い夢を見れる」
「…」
山野の強引な押し付けに俺は仕方なくそれを首に付けた。
…仕方なくではない。本当は…馬鹿みたいに胸がときめいて仕方なかった。
山野の言葉を全面的に信じるならば…このペンダントはイールさまとアーシュしか口に出来ないと言い伝えられるクナーアンの神木のマナの実の種と言うことになる。
そんな宝物を山野が持っていることが羨ましく腹立たしくもなるけれど、もし山野が俺を気遣って…そしてイールさまの予見が俺への心配りならば(十分におこがましい夢物語とは理解している)俺は泣いてしまうくらいに嬉しいんだ。
どこかで誰かが自分を想い、いたわってくれることに感謝しない愚か者はいない。
うれし涙を見られたくなくて、俺は山野に背中を向けて寝たふりをした。
両手に握りしめたペンダントのマナの種からは、僅かだがクナーアンの風の匂いがした。
『お母さん…』
いつのまにか俺はこの「天の王」に来て以来呼んだことのない名を、繰り返し呼んでいたんだ。
そう、夢を見る事さえ拒んだあの頃の俺を…思い出していた。