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挿絵(By みてみん)


3、


「きゃは!本気にしてからに。かわいいなあ~、レイは。…う~ん、やっぱ、若い子の肌はすべすべして気持ちいいわ」

 アーシュは俺を可愛がってくれるけれど、それはまるで犬か猫に対する扱いで、嫌がる俺をきつく抱き、髪がボサボサになるほどに頭を撫でまわし、痛くなるぐらいに頬ずりするのだ。

 こういうアーシュに一矢報いたくて、本気でアーシュへのサイコメトリーを実行するが、皮膚一枚の先も読むことは出来やしない。当たり前だけど、アーシュの前では、俺の魔力も無効なのだ。

 アーシュはそんな俺にニヤリと笑い、「ガッカリしなさんな。おまえが俺の頭を読めないのは俺に近い波動だからだ。同じスピードで平行に走れば、永久に交わることはないだろ?もし俺の頭を覗きたかったら、ハンドルをどちらかに回すことだよ。わかった?」

「…」

 たぶん、どちらにハンドルを切ろうが、アーシュは同じ方向にハンドルを回すんだから、俺の小さなレジスタンスはきっと一生報われないのだろう。


 俺の犯行に気分も害することもなくアーシュは、イールさまが焼いたクッキーと神殿の畑で摘んだお茶をお土産に持ってきたからとお茶に誘ってくれた。それを聞いた俺は一変に気を良くした。

 イールさま自ら焼かれたクッキーを頂けるなんて…やべえ、超嬉しい…。

「と、その前に…。おまえに大事な用事があったんだ。ちょっと来てくれないか」

すでに俺の口の中は涎で一杯になっているにも関わらず、アーシュは俺の期待を折ることに微塵の情もかけてはくれない。


 聖堂の北回廊の奥にある小部屋へとアーシュは足を向ける。

 壁の細工に同化して、よく見ないと判らないけれど、小さな金の取っ手があり、扉を開いたその先が、聖堂での代々の学長部屋になる。

 本棚と机とソファだけの簡素だが古めかしい修学堂だが、学長であるアーシュの個人的な控室のようなものだ。

 入室すると、ふたりの先客が居た。

 案の定、ふたりとも顔見知りだった。


 ひとりは中等科地理担当の教師、スバル・カーシモラル・メイエ先生。そして、こちらを振り向いた少年は…同学年の山野神也だ。

 二年前にこの「天の王」学園に転校してきた山野神也について…俺は詳しくは知らない。

 異質な見た目同様に、山野神也はこの国より遥か東の小さな辺境の島から、その才能を認められここへ来たということと、彼の恋人がスバル先生だと言う事ぐらいだ。

 ふたりは恋人同士の為、また、山野神也がこの地方の生活習慣に慣れていないということで、スバル先生と同居しているという特別待遇であり、それに対して反感を持つ学生も少なくない、と言う噂は聞いたことがあった。

 俺自身はと言うと…俺と同じくコミュ能力が芳しくない山野神也は、自分から話しかける様子も伺えず、まして今までクラスメイトでもなかった為、親密に話す機会には巡り会わなかった。

 山野神也は…人を寄せ付けない硬質な姿勢や表情と、だからこそ人を惹きつける特別なオーラを纏った尊い者に見えた。

 滅多に笑ったり怒ったりする感情を見ることはないが、ただ表情が乏しいという結論とは程遠い「何か」が山野神也には感じられるのだ。

 だからと言って、別にこちらも山野神也にそれ程の興味もなく、今まで近寄る気もなかった。だから、こんなところで顔を合わせるとなると、妙に緊張してこちらから彼に対して無駄な愛想笑いを浮かべてしまった。

 何故なら、こちらを振り向いた山野神也の顔にははっきりと涙の痕が残り、アーシュと同じような黒眼からも今にも零れ落ちそうな涙で濡れていたからだ。

 

 山野神也はスンと鼻を啜り、指で目を押えた。

「なんだよ、スバル。また神也を泣かせたのか?」

「ち、違うよ…」

「…だから神也も一緒に連れて行けばいいって、言ってるじゃん。三か月も離れ離れじゃ、寂しいに決まっているだろ?勉強なんか旅行の最中にでも教えてやりゃいいじゃないか」

「ニッポン支部の咲耶さんに直々に頼まれた大切な仕事だし、神也くんにとっても故郷へ帰れるから都合はいいけれどね。でも、神也くんにはまだここで色んな勉強を頑張って欲しいし、高等部に進級した機会に他の学生同様に寄宿舎での生活も経験した方がいいと思ったんだ」

「スバルもやっと子離れ…か?神也はそれでいいのか?」

「心配してくれて有難う、アーシュ。スバルがしばらく居なくなることは、仕事の為だから仕方ないし、私をここに残していく事情も私は納得している。だから…寂しくなるけれど、懸命に勤めを果たそうと思う」

「そうか。…良い子だな、神也は」

 そう言ってアーシュは山野神也の頭を撫でた。俺とは違う手つきで愛おしむように優しく大事そうに…

 クソッ!妬けるじゃねえか。

 アーシュは…同じクナーアンで生まれた俺のもんなんだぞっ!

 つまらない自惚れって、結構精神的な支えになったりするから面倒だ。誰かよりも自分を好いて欲しいなんて…まさにエゴの塊じゃねえか。

 

「では神也、明日から学生の寄宿舎で暮らす覚悟はあるのだね?」

「うん、若干の不安はあるが、私も成長せねばならない。スバルの期待にも応えたい。だから辛くても耐えてみせよう」

「そうか…。じゃあ、まずは二人部屋で暮らしてみるといいよ。レイ・ブラッドリー、彼がルームメイトだ。同級生だし、顔ぐらいは知っているだろ?」

「うん、顔ぐらいならわかる」

「それは良かった。レイは非常にレベルの高いアルト(魔術師)だ。頼りになるし、何か困ったことがあったら親身になって相談に乗ってくれるだろう」

「そうか、有難いな」

「え?…ちょ…」

「レイ・ブラッドリー。私は山野神也だ。よろしく頼む」

 山野神也は俺の目の前に立ち、ニコリともせずに俺に握手を求める為の右手を差し出した。

「…」

 俺の耳元あたりしかない身長、クセのない黒髪と真っ直ぐ黒目が俺を見上げる。

 東洋人は見た目が幼いと言うけれど、山野神也もまた俺よりも五歳ほど若く見える。

 

 俺はまだアーシュの勝手な決定に納得もしていないのに、何故か山野神也の手を握り返した。若干の愛想笑いを浮かべて…


「では、これですべて決定だ。スバルは心置きなく出張に出発できるし、神也はレイという心強い友が出来た。レイもまた新しいルームメイトと輝ける新学期を迎えることが出来る。万々歳だな」

「…あのなあ~」

「じゃあ、僕達はお先に失礼するよ。神也くんの荷物を片づけなきゃならないし…明日にはレイくんの部屋に移れるようにするから…。レイくん」

「は?」

「神也くんの事、なにとぞよろしくお願いします!」

 スバル先生は俺の右手を両手で握りしめ、深く深く頭を下げた。握りしめた両手からは、山野神也を想う感情が溢れた。一人残していく不安やら、寂しさ、それに勝る愛おしさ…他人をこんなに思いやれるなんて…。とても、敵わない。


「わ、わかりました。神也…くんの事は任せてください」

「ありがとう!これで僕も安心して旅立てるよ」

「つうか、俺が居るから大丈夫だって言ってるじゃん。神也は俺に任せとけ」

「アーシュは確かに大した魔術師だよ。だけど無神経だから頼りにしなくないんだ。とにかく君は執拗に神也くんには近づかないでくれ」

「…はあ?」

「じゃあ、また後で」

 スバル先生は山野神也を連れて、いそいそと部屋から出ていった。

 残されたアーシュは腕を組み、ぶつぶつと不平を垂れている。


 アーシュを黙らせるなんてスバル先生もやるじゃん。

 今まで陰気で自信無さ気で、面白くない授業をさせたら学園一と名高いポンコツ先生と決めつけていた認識を見直さなければならないだろう。



 ふたりきりになった後、約束通りアーシュは、イールさまのお土産を俺に披露してくれた。

 綺麗な緑色のお茶と、香ばしい大麦のクッキーはとても口に合い、何だかクナーアンの空を思い出した。

 クナーアンは二つの月が空に上がる。そのふたつが寄り添うように並ぶ時、人々はイールとアスタロトの両神を奉るのだ。

 秋の高い空に白く光る真昼のふたつの月。その空の下、秋の大祭にクナーアンの大地は喜びに沸く。


「どうだ?美味いか?」

「うん…クナーアンを思い出すね」

「レイの記憶が良い思い出に変わることは、良い事だね」

「…うん」

 アーシュの言葉は重い。だから噛みしめて味合わないとどんな隠し味があるのかわからない。俺の記憶にはまだ暗闇がある。心の棘もまだ刺さったままだ。それを抜いたところで痛みが消えるとは思えない。

 でも、そろそろこの痛みにも飽きてしまう自分がいる。

 ねえ、アーシュ。俺はもう自分を許していいのかな?

 黙ってアーシュに問いかけても、アーシュは優しく微笑むだけだ。答えは自分で見つけ出せ。運命は自分で選べ。No Surrenderの名のもとに…。

 わかっているよ。わかっているけど、まだこの閉じられた居心地の良い空間から出たくないんだ。


「…アーシュの話って、山野神也の事だったの?」

「そうだよ」

「あの子って…そんなに重要なの?」

「この地上の未来を託すひとりとして、俺は神也を選んでいるからね」

「…そんなに?」

「だから神也のお守りにレイを選んだ。スバルの代わりをできる身近な生徒はレイしかいないからね」

「高等部に移って二人部屋なんて変だなって思ったんだよ。全部アーシュの手配通りってわけ」

「いや、同室に決めたのは俺じゃないよ。レイと神也の未来を考えて、セキレイが決めたんだ」

「ルシファー先生が…」

 アーシュはルシファー・レーゼ・シメオン先生を「セキレイ」と呼ぶ。

 他の誰も呼ばない名前でルゥ先生を呼ぶ意味を、俺は知らないけれど、アーシュの「セキレイ」と言う声音はいつも暖かで、甘えるようで、どこか切ないんだ。

 そしてルシファー先生は、信頼に値する人格者ってことだ。


「ルシファー先生が決められたのなら…仕方ないね。できるだけ仲よくするよ」

「うん、よろしく頼んだよ。レイ。それから…セシルは…どうだい?」

「相変わらずだよ。調子もいいみたいだし、俺よりもみんなと気が合うし、仲良くやってるよ」

「おまえは徹底した個人主義だからなあ~。神也もそんなところがあるから、馬が合うかもな」

「アーシュは…神也とセシル。どちらかを選べって言ってるの?」

「…なんで?」

「だって…やたら神也を押すからさ」

「選ぶのはおまえだろ?俺はテーブルに並べてるだけだぜ」

「不味いもんを食べさせられそうで怖いね」

「腹を壊すのも経験のうち…ってね。まあ、レイは用心深いから心配してないよ」

「充分楽しんでるじゃん」

「バレた?」



 そういうわけで、翌日、山野神也は俺のルームメイトになった。

 スバル先生を見送った後だった所為か、山野は今日も真っ赤に目を腫らしていた。なのに彼はただ黙々と部屋の荷物を整理を続けていた。

 

 夜、隣りのベッドで寝ている山野の顔を覗いた。そっと額に手を充てて、頭の中を覗いてみる。

 ただ一途に愛する恋人を想い、その旅路の無事を祈る真摯さに打たれ、俺は自分の卑屈さを詰った。




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