2
2、
「二人そろって仲よく昼寝かい?気持ちよさそうだな」
ウトウトしかけた頃に、ギルバート・クローリーの声ではっと目が覚めた。
「ギル!」
嬉し気に恋人の名を呼ぶセシルは、握り合った俺の手を離し、素早く立ち上がり、ギルバートの傍に駆け寄った。
俺は魔方陣の中で上半身だけを起こし、ふたりを眺めた。
魔方陣の中に居ると魔術師の力は活性化する。
俺は嬉しそうに笑いあうふたりを多少の嫉妬を込めて眺めた。
カリスマ性はあっても魔力を持たないセシルと、ホーリーの名を持つこの学園の中ではそれ相当の魔法使いであるギルバート。
そして、ずば抜けた魔力を持つ学園一の高等位魔術師の俺。
なのにさ…
ふたりに比べたら愚か者は俺だってことは、誰にだって一目瞭然だ。
ふたりの思考やオーラが手に取るように判ったところで、ましてやふたりの仲を破壊する魔力を持っていたとしても、俺にはメリットもなければ、自惚れる気力もない。
まあ、魔術師ってもんはそんなもんだ。
どんなに強力な魔力を持ってみても、幸せになれるとは限らない。
どうかすると幸せすら掴み損ねそうな運の悪さが魔力の代償って事なのかもしれない…と、俺はよく思う。
人間は魔力なんていう都合のいい野心に振り回されるよりも、本来の無骨な姿で必死に己の力で足掻いて努力して、真摯に生きる姿が尊いのだと…十五年間を生きてきた俺の持論だ。
「レイ、綺麗だね」
「え?」
「俺も観るのは久しぶりだが…波動に揺れた銀色の髪が見事だ。銀色のレイの名のままに」
「…」
ギルとセシルはお互いの肩を寄せ合いながら、うっとりと魔方陣に座り込む俺を眺める。
色の度合いはよるが、この国では金髪白人が七割と、その他の人種を遥かに凌ぐ。昔は白人以外を見下す風潮も多かったと聞くが、今は公然たる差別は少なくなった。
最もな原因は学長であるアーシュが黒髪黒目でありながら、とりわけ異質な美を誇っているからだろう。
俺の髪は普段は老人のような白髪だが、魔力を使う時だけ銀色に輝くそうだ。また獅子の目のような琥珀の虹彩も、まばゆい金色に光るらしい…。
鏡を見ない限り俺に見えるわけもない。
青白い薄い肌も不健康そうだし、愛想も十分とは言えず、コミュ能力もそれ程に果たしていない俺は、なんとも欠陥だらけの男のような気がするが、周りから見たらやたら無駄な波動を発しているらしく、多くの生徒たちは遠巻きに好奇の目で俺を見る。
セシルに言わせれば、「レイに羨望の眼差しを向けているのがわからない?」と、言うが、俺にはよくわからない。
確かに、幾度か交際を申し込まれた事もあるが…、相手の心が純粋であればあるほど(それが見えてしまうからややこしい)、居たたまれない気持ちになり、即突っ撥ねてしまう。
俺には…とてもじゃないがあんな真剣な想いに応えられる覚悟はない。
次第に「イルミナティバビロン」のメンバーたちが屋上に集まりだす。
俺も魔方陣から出ると、目立たぬように屋上の端へ移った。
欠席も何人かいるらしいが、二十人程度が集まり、組織の説明と各々の簡単な自己紹介、そして、活動予定の報告などが行われた後、一時間ほどで解散となる。
一年生は俺とセシルの他にメンバーが三人。勿論三人とも初等部からの顔見知りだから、緊張はない。
セオドアは寄宿舎では同室だったこともあり、信頼できる奴だし、ウォレスは無口で多少偏屈だけど、勉強熱心で将来有望な魔術師だ。セイラは貴族の出身者のクセに、庶民的で愛嬌のある女子学生だ。
一年生五人で集まり和気あいあいと話していると、ギルバートが俺に近づいた。
「レイ。集会が終わったら、聖堂まで来るようにと学長からの伝言だよ」
「えっ!アーシュ…戻ってるの?」
「ああ、ここに来る前に会って来たけど…おいっ!」
ギルの言葉を最後まで聞く暇はない。
「んじゃあ、俺、先に行くわ」と、友人たちに言い残し、俺は屋上の端に向かって走り出し、そのまま空に向かって飛び立つ。
魔力で身体の周りの風圧を調整し、鳥と同じように揚力を生み出し飛翔するのだ。
屋上にいる仲間たちが皆、口をポカンと開けて俺を見上げている中、セシルだけが「行ってらっしゃい!」と、笑いながら手を振り見送る。
俺もそれに応え軽く手を振り、構内の中心に建つ聖堂へ飛ぶ。
そうさ、俺のように飛翔できる奴は、アーシュ以外にはこの学園には居ない。
アーシュに会うのは二か月ぶりだ。
一部の者しか知らないけれど、彼は年に二、三度この地上とは異なる次元の惑星クナーアンに還るのだ。
俺が生まれ、七歳まで育った惑星クナーアンの神さま、アーシュ。
俺をこの「天の王」へ連れてきたアーシュ。
俺に飛翔する技術を教えてくれたのもアーシュだった。
あの頃…
「天の王」学園に来たばかりの頃の俺は、この世のなにもかもが…何よりも自分が嫌いで仕方がなかった。周りの生徒たちと違う見た目も異常な魔力を持っていることも、何よりこの世界が自分の居場所じゃないってことが、俺の引け目となり、部屋に引きこもってばかりいた。
俺はアーシュに頼んだ。
クナーアンで生きてきた俺の記憶のすべてを消してくれと。そうじゃないと、これから先を生きるのが辛いのだと。
アーシュは呆れ顔で俺に指を指しながら、横柄な態度で言った。
「あのなあ~…よく聞けよ。おまえねえ、一度消した記憶はもう二度と取り戻せないんだぜ?俺なんかさ、自業自得なんだけど、生まれ変わっちまったおかげで、イールと過ごした一千年の記憶を失くしてしまった。一千年だぜ?イールに聞けばいちいち細かく教えてくれるけどさ、同じものをイールが見て感じた記憶と、俺が感じた記憶は絶対違うだろ?そりゃな、一千年も神さま業をやってりゃ嫌な事も山ほどあったに決まっているんだろうけどさ、どんな酷い過去の記憶も無かったことにするよりも、どこかにしまっておいた方が良いのさ。たまに引きだして反省したりさ。そんでどうしても思い出すのが嫌だったら、忘れる努力をするんだ。どんな嫌な記憶だってさ、人間は忘れることも、思い出す事も出来るんだ。なあ、どんなに思い出したくても取り戻せない俺の不幸と比べたら…おまえ、超ラッキーじゃねえ?」
「…そう…かな…」
アーシュと話していると、悩んでいる自分がどうでもよくなってくるから不思議だ。
「それじゃあ、レイの為に…」
そう言うと、アーシュは俺の両腕を掴み、そのまますうっと空へと飛び立った。
「わああ~!」
両足が、身体が地上から離れる不安定さに、俺はアーシュの身体にしがみついた。
あっという間にアーシュと俺は学園のすべての建物を見下ろせる場所まで舞い上がった。
「どうだ?空を飛ぶって気持ちいいだろ?」
「い、いけど…ちょっと怖いよ」
「どうしようもない時はこうやって飛んで頭を空っぽにするといいさ」
「ひ、ひとりじゃできない」
「できるさ」
「俺は…アーシュみたいな神さまじゃない!」
「…レイは特別の才能を持った魔術師だ。俺が言うんだから間違いないぜ。自信を持てよ。なあ、他の者にない力を持つことはそれだけの責任があるし役目も持っているのだと自覚するんだ。皆がおまえを必要とする時が来る。じっと堪えているんじゃなく、自分が出来る者だと認めさせることも大切だ。もう一度だけ言ってやる。おまえは才能ある魔術師だ。誰もがそれを認識する為には、ひと目でわかる方法が一番いいのさ。ほら、見て見ろよ。みんながおまえを羨ましそうに見上げているぞ」
「…」
確かに学園の生徒や先生たちが構内の庭や運動場や教室の窓から、空に浮かんでいる俺達を見つめている。
「手を離すぞ、レイ」
「ちょ!無理!」
「大丈夫だ。自分の力を信じろ」
アーシュは握りしめた両手をゆっくりと離した。
俺はアーシュを信じ、自分の力を信じようと決心した。
今でも…俺は自分の人目を引く外見や魔力を持ったことを幸運だとは思わない。だけど、自分の運命を事も無げに受け止めているアーシュを見ていると、俺の魔力が何かの役に立つのなら、それは生きていく意義になるのかもしれない…と、信じるようになった。
聖堂の門の前に降り立ち、重い扉を開ける。
西側のステンドグラスから差し込む光が鮮やかな彩りを床に照らしている。
中央の魔方陣はさっきまで居た高搭のそれよりもひとまわり大きく、魔方陣の模様も金で描かれている。アーシュはその中央に後ろ向きに立っていた。
「おかえりなさい!アーシュ!」
俺の声にアーシュはゆっくりと振り返った。
「やあ、レイ」
少しだけ寂しげな声音に、俺はとっさに気づいてしまった。
きっとアーシュはここで恋人を見送ったのだ。
「…ルゥ先生、もう行っちゃったの?」
「うん。折角俺が帰ってきたんだから、二、三日ぐらい一緒に居てくれても良さそうなのにさ、あいつ、イールに気兼ねしちゃって、どうしても行くって聞かねえの」
「…」
こればかりはなんとも返答しようがない。
ルゥ先生…ルシファー・レーゼ・シメオンはアーシュの恋人だった。
過去形になるには複雑な理由がある。
アーシュがクナーアンの神さまであることを忘れ(自分自身を魔力で生まれ変わらせた)、人間としてこの学園で過ごしていた頃の恋人がルシファーだった。
そしてルシファーは自分がクナーアンで生まれたことを知り、アーシュがクナーアンの神であり、もうひとりのクナーアンの神イールがアーシュの真実の半身と知った時、自分が身を引く決心をしたのだ。
俺はイールさまの尊さを知っている。
アスタロトとイールさまがクナーアンにとって、天上の恋人であり、地上の民に信仰となっていたことも。
彼らがどんなに愛し合っているのかも…
ルシファー先生もまた俺にはかけがえのない素晴らしい人だ。
天の王に来て間もない頃、アーシュ以外は懐かない俺を、「僕もクナーアンから来たんだよ」と、慰め、励ましてくれた。
だから…イールさまを思うにしても、ルゥ先生を思うにしても、同情してしまうし、結果、すべてはアーシュの所為だと責めたくなるのだ。
「なんだよ。レイまで落ち込む事ないじゃん」
「…うん」
「こっち来いよ」
両腕を広げて迎えてくれるアーシュの胸に、少し恥らいながら寄り添った。
「よしよし…レイはかわいいなあ~」
アーシュは俺を抱きしめ、頭を撫でてくれる。俺は深呼吸をする。アーシュの身体からクナーアンの残り香を嗅ぐ為だ。
でもクナーアンの匂いなんか、俺はもう忘れてしまった。
俺の故郷の匂いはアーシュから臭う薄荷草の香りなんだ。
「クンクン…レイ、おまえ、なんか臭うな」
「え?変だな。毎日、ちゃんとシャワーで洗ってるけど…」
「クンクン…これは…間違いない!童貞の匂いだ!おまえ、まだ誰ともセックスしてねえのかよ。このヘタレガキ」
「な…」
「なんだったら、この俺が直々に相手してやってもいいんだぜ?いつでも天国へ直行させてやるからさ」
「う…うっせよっ!エロ馬鹿野郎っ!」
今更だとわかってはいるが、こいつのデリカシーの無さには、毎度のことながら殴りつけたくなる。
全く…イールさまとルシファー先生の不運を不憫に思うと同時に、こいつの悪運を呪わずにはいられない。