第二章 螺旋のLares(ラレース) 11
第二章 螺旋のLares
11、
憂鬱な気持ちでセシルを見送った後、俺は仕方なしに山野とギルバートの居る部屋へ戻った。
ギルバートは俺を見て「セシルはどうかしたのかい?」と尋ねるから、てめえの恋人なんだろ?心配なら自分で追いかけろよ、と、罵ろうと思ったけれど、すでに俺の怒りは通り過ぎて、どちらかと言えば落ち込み加減だったし、ギルに楯突くにしてもお門違いのような気がして「セシルは少し気分が悪いから、先に部屋に帰って休むって」と、おとなしく答えた。
「そうか…。神也の話はセシルには少し重かったかもしれないな。あいつは元々ナイーブだし。俺にはすごく面白かったけどね」
「…」
まるで他人事のように話すギルに、俺の苛立ちは治まらない。
「なあ、ギルバート。セシルはあんたの恋人なんだろう?もう少し親身に心配してもいいんじゃないのか?」
「…恋人…って、セシルが君に言ったのか?」
ギルは訝しむように首を少し傾けて俺を凝視するから、俺もムキになって睨めつけてやった。
「セシルの他に言う奴がいるかよ」
「ふ~ん。まあ、確かに…俺はセシルと付き合ってはいるが、恋人同士ではないな」
「え?」
「つまり愛し合ってはいない、はずなんだがなあ~」
「だって…あんたはセシルと寝てるんだろ?」
「おいおい、レイ。今更ガキのような戯言を言うなよ。天の王じゃセックスはスキンシップのひとつだって初等科の一年でも知っている。まあ、極端なロマンチストにはまた違ったこだわりもあるだろうが…俺は無害な俗人でさ。そりゃ、好みの子に求められれば有難くお相手をするのが礼儀だ。尤もレイは賢人らしいと聞いている。セシルと穢れの無い友情で付き合っているんだからな」
「ギルは俺を見くびっているのか?」
「反対だよ。セシルみたいな綺麗な子と一緒に居て、欲情しない君は称賛に値する。だが俺にとってはセシルは性欲を満たしてくれるに十分に魅力的で従順で柔らかい、何度抱いても飽きが来ない相性のいいセフレだよ。愛してるなんて言葉を、お互い交わしたことは一度だってないぜ」
「…どういうことだよ」
「つまり俺とセシルは肌の合う親しい先輩後輩の関係でしかないって事」
「そんな…」
それじゃセシルが可哀想じゃないか…。
と、いうよりも、今までギルバートを信頼していた自分に腹が立ってくる。こんなに薄情な男だったなんて、俺もとんだ見込み違いをしたもんだ。
「レイ、君は俺とセシルの関係をどう想像していたのか知らないけれど、セシルと俺は愛情で繋がれているわけじゃない。親愛なる友情で互いを慰め合っても不実だと言われる道理はない」
「…」
「セシルは誰かに甘えたいんだ。たまたま俺が都合よく居ただけで、セシルは俺じゃなくても良かったのかもしれないね。…こう言ってはなんだが…君たちみたいな施設で育った子は、年上の愛情を求める者が多い。違うとは言わせないよ。君だって学長にベッタリだろ?君が学長と寝ていたとしても、誰もが当然だと思うだろうね。真実は知らないけれど」
「お、俺がアーシュと寝るわけねえだろっ!」
「そう言う噂が絶えないって話をしているんだよ。そして、俺は君が学長の恋人でないことも知っている」
「…」
腹が立つ!なんでセシルの事を聞いているのに、俺とアーシュの話になるんだ。
「レイ」
神也の手が俺の手を握りしめた。
「そろそろ、部屋に帰らないか?私も少し話し疲れた」
「…」
神也は俺の怒りを受け止める様に、静かな瞳で俺を見つめた。
「ああ、神也。長い時間引き留めて悪かったね。今夜は楽しい話をありがとう。今度は集会で会おう」
「わかった。では、ギルバート、またな」
俺は神也に促され、足取りも重いままに部屋に帰った。
部屋に帰った途端、ドッと疲れが押し寄せた俺は溜息を吐きながら倒れ込んだ。
神也は何も言わずに、ただ俺の為にお茶を淹れ、机の上に置いてくれた。
不思議なものだ。神也の慰めは俺を傷つけない。
子供みたいな容姿のクセに、神也の中身は俺よりもずっと立派な大人だ。
「なあ、神也はどう思う?」
仰向けになった俺は、自分の椅子に座ってお茶を啜る神也に話しかけた。
「え?…レイが私を名前で呼ぶのを初めて聞いた」
黒目を見開いて驚くから、俺も苦笑して応えた。
そうだよ、苗字じゃなく、おまえの名前を呼びたいんだ。
信頼の情を込めて。
「そう呼んでも構わない?」
「勿論だ」
神也は珍しく目を細めて笑うから、益々年下の子供に見える。
「で、ギルの話だよ。セシルは恋人じゃないって…あんなに仲がいいのに、信じられるかよ」
「あの男は嘘をついてはいない。それはレイもわかっているはずだ。じゃあ、どうしてセシルはレイに恋人だって言ったのか…。馬鹿でもわかる話だ」
「…俺は馬鹿かよ」
「セシルが本当に好きなのはレイだってことだな」
「…そんな…こと…。俺は人の心が読める力を持つ魔術師だぜ?セシルが本気で俺を好きなら…それくらい俺にだって気づくさ」
「昔から恋は盲目と言ってな。純粋に人を愛してしまうと、相手の心が見えなくなるものだ。純愛か…ふむ、なるほど確かに神秘的で心ときめく良い響きだ」
「…勝手に言ってろ。俺が盲目だって?…俺がセシルに恋を…セシルの心を読めない程のピュアな恋をしてるって言うのか?…んなことあるかよ」
「何故だ?何故宣言できる?」
「だって俺は…俺はいつかはクナーアンに戻らなきゃならないんだ。だから…」
本気で誰かを愛したりしない。
…できない。
「レイは自分の弱さを故郷へ還る事にすり替えているだけだ。本気で誰かを好きになれば、自分の運命を変えることもできる。私のように」
「…」
「レイは良い人間だが、少し優しすぎる。私やアーシュのように世の中は自分を中心に回っている…と、思って生きてみるのも悪くないぞ。まあ、回りすぎるのも良くないが…」
「…」
神也の言葉は、俺に新しい風を運んでくれる。俺の考え付かない目線や思考は、折りたたんだ俺の羽を広げてくれる。
勿論、飛翔するのは俺の意志と勇気だってことはわかっている。
「じゃあ、神也の言葉に力を借りて、明日からは自分の思いのままに生きてみることにするよ。神也の友情を裏切らない為にも…」
「それはいいが…。私はギルバートのように友情ではセックスは求めていない。だからレイの相手はできないぞ」
「…」
冗談なのか真面目なのか、表情を変えない神也を見て俺は声を出して笑った。
「それは残念だよ、神也。でも俺も最初のセックスの相手は、友人よりも恋人の方が性に合ってる」
「同感だな」
俺と神也は握手をして笑いあった。これで俺達は気の置けない親友同士になった。
じゃあ、セシルはどうなんだ?
今までのようにセシルを親友と呼べるのか?
本当に俺がセシルに恋をしているのなら、セシルに会って確かめるしかないのだろう。けれど…今更なんとなく気恥ずかしい。
それに何よりもセシルは俺に触れられるのを怖れている。俺を信頼できないとセシルは感じている。
まずそれをクリアしないと、愛し合う恋人同士…なんて、まだまだ遠い気がする。
その晩、セシルの事が気になって眠れない俺は、静かに自室を出てセシルの部屋のドアをノックし名前を呼んでみた。
もしセシルが答えてくれたなら、俺は自分の想いを正直に(多分上手く話せないだろうけれど…)打ち明けようと思った。
人の想いは永遠ではない。
今、俺がセシルを好きだと思っても、俺がクナーアンに戻る頃にはどうなっているのかはわからない。ただ、この気持ちを伝えなければ、俺はきっと後悔するだろう。
「セシル?開けてくれないか?少しでいいから話があるんだ」
張り裂けそうな緊張も、返事のない静けさに段々と沈んでいった。
「セシル…」
どんな状況であっても、セシルが俺の呼びかけに応えない時はなかったはずなのに…
翌日、セシルは学校を休んだ。
そして俺に一度も顔を見せることなく、翌日に外出届を出し、「天の王」学園から姿を消したのだ。