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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未来を視る眸

作者: かとう みき

☆☆☆


 僕には視界がふたつある。多分、ひとつは脳内に拡がる映像なのだと思うけど、確かめた訳では無いから正確なところは不明だ。誰にも云うつもりも無い事だから、確かめようが無いとも云う。色違いの眸や、不自然なほど広い視野を持つ眸など、特殊な『め』を持つ人との邂逅はあれど、僕と同じ人は何処にも居ない。少なくとも、僕の人生が終わるその日まで、同類を見付ける事は『無かった』。

 アレを視る事が出来るのは、僕だけが持ちうる特殊な視界だと知ったのは、初めてマトモに長い映像を視た日だった。不意に黙り込んだ僕を見て、一緒に居た子が首を傾げて僕に話し掛けた。


「大丈夫?しょうくん?」


 その声は流れる映像の中でハウリングをおこし、クワンクワンと反響した。僕は、驚いて瞬きを繰り返した。

 一緒に居た男の子の顔を見れば判断できた。


――僕がアレを視ている間、もしかして殆ど時間が経っていない……の…で…しょう…か?


「あ、うん。どうしたの?」


 僕は周章てて応えた。出来るだけ、『僕らしい』口調を意識した。

 時間が経過していない。


――つまり、僕は、幼稚園に通う幼児で……目の前で僕に声を掛けて来た男の子は、仲の良い「おともだち」………ですよね。


 記憶は矛盾しない。僕は、4歳。この幼稚園では年中のモモ組みに所属している。この子はタカハシトオルくん。同じくモモ組みの、自由時間を共に過ごす事が多い、大人しい男の子。


――いちばん…なかの…いい、おとも…だち


 先ほどまでは違和感がなかった認識が、まるで夢の中みたいにオカシナモノに感じられた。現実と非現実を行き来して、視界がぶれる。


――僕は……確かに4歳…の、はず、です。でも。



――イマ、ボクハダレトイタ?


 ズキリと肉体では無い、何かが痛んだ。多分、心が。先ほど迄、視た映像を『経験』した僕が、苦しんでいた。


――気持ち……わる。


 僕は、既に変わってしまっていた。4歳の子供と三十路を越えた男が同じ筈も無い。

 僕の肉体は僕のままだけれど、心は違う。過ごした筈の無い人生を、既に生きた経験を持つ僕が、内側に存在した。


 仮に、アレを脳内に流れた映像だとしよう。それはまるで現実の様に僕の目の前で、僕の人生を映し出した。僕の視界に入る映像を、そのまま再生したかの様だった。これが映像だけならば、まだ僕は現実の僕のままでいられたのだろう。長い、長い映画を観たくらいの気持ちに………もしかしたらなれたかも知れなかった。

 無理だろうけど。何十年分の映像を観て、そのままでいられるとも思えない。それでも、その映像により、自分自身を見失う事は無い筈だった。

 それは知識を増やすだけで、経験する事とは大きな相違があるからだ。

 けれど、実際に僕が視たのは映像だけでは無かった。


 その人生は、僕が生きた記憶だった。いや、今から僕が生きる記憶なのだ。

 明日の朝起きる僕から始まり、日々の記憶が一気に加速する。しかし僕はその映像が加速していることすら気付かない。本来、脳の情報処理能力は、考えられないくらいのスピードを可能にするらしい。そんな事も、先ほど生きた記憶のナカで視た。


 最初に視た映像が悪かったのか。良かったのか。

 僕はその映像に引きずられて。



 映像のナカの僕が、現実の僕にナッタ。


――ウソダ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。ドウシテ。



 4歳児にはキツイ記憶だったのだ。



 映像のナカで、いや。記憶のナカで、僕は既に三十路を越えていた。その日は恋人と久し振りに遠出をした。

 年齢を感じさせない美貌に、僕はうっかり見惚れていた。揶揄う眼差しはイタズラっ子の様だった。少女の頃の彼女を思い出した。思い出の中の彼女よりも、ずっと穏やかな優しい顔立ちになったと思う。堤防に腰掛けて、僕は海を眺めるより、相手の顔ばかり見ていた。


 ボクハシッテイル。イマカラ……カノジョノミギテガウシナワレルコトヲ。


 恋人を見つめて、僕は失いたくないと思った。ボクハミライヲミルカラ、コレカラドウナルカシッテイタ。

 どうしたって変わらない未来を、僕は知っていた。


 強い風を受けて、長い前髪が眸に入ったのか右手が上がり。

 メヲコスッテアカクナルヒトミヲイタマシクオモウ。僕は手を伸ばして、彼女の右手を捉えた。人差し指が閉じた瞼に触れる前に、捕まえた。

 ソレデナニガカワルワケデモナイノニ。


「擦ったら眼を傷めます。」

「ん……。」


 不満そうに身動ぎ乍ら、彼女は、けれど僕の手を振り払わない。ヤハリカワナライ。ホラ。モウスグヤッテクル。

 泣きそうになり乍ら、僕は手の中の右手をそっと握り込む。カワラナイ。カワラナカッタ。カエタカッタノニ。


 握った右手を持ち上げて、尊いモノに触れるように、そっと唇を押し付けた。


 ビクリと、己が手の中で、その右手が震えた。思わずといった風に、彼女は僕を見た。彼女の眸が一瞬見開いたが、直ぐに痛そうに固く閉じられた。左目だけ再度開いて、反対側の眸が僕を映すために上体を反らす様に僕に向けられた。


「なにしてんの。」


 困った様に、照れた様に、彼女の左目が僅かに揺れる。


「おまじないです。」


 ソンナモノハヤクニタタナイ。少しずつ、知っている未来に向かう映像から、自分の行動を変えていく。アノヒカラズット。変えても、変えても。カワラナカッタ。変わらない未来に続く。厳密に云えば、変えられた部分はある。


 枝分かれした未来。僕が、彼女の右手を庇えば。彼女は右手だけでは無く。


 シンデシマウ。


 僕が身代わりになれば、彼女は僕を庇うように覆い被さってきて。彼女の右手を切りつけた未来では、直ぐに悲鳴をあげて立ち去るのに。駆け出した男は、通りに出たところで、近所の主婦が走らせる車に跳ねられて、打ち所が悪くて死亡する。僕が庇えば、悲鳴をあげるのは同じだけれど。クルッタミタイニキリツケル。僕に覆い被さる彼女の背中を滅多矢鱈と刺しては抜いて。刃物を振り上げて。

 僕にしがみつく彼女を、僕は引き離す事が出来ないまま。


 クルッタミタイニワラウコエヲキイタ。


 意味をなさない声が自分の口からこぼれ出す。


 ドウシテドウシテドウシテ。彼女を失う記憶に比べれば。ミギテヲウシナワレル。その未来のほうが。まだ、マシだ。

 それでも、納得など、出来はしない。失いたくない。この手は、まだ温かいのに。モウスグナクナル。喪われてしまう。


 こんなところに、来なければ良かったのか。行かなければ良いと考えた日には、違う未来を視た。ヒドイヒドイヒドイミライヲ。いまよりも、ずっと酷い結末に、泣きたくなった。


 ドウシテ。カエラレナカッタ。


 変えられないのなら。視る事が出来なければ良かった。

 それは辛いだろうけれど、悲しいだろうけれど。

 右手を失った彼女と僕は、存外穏やかな未来を過ごせる事を知っている。



 そうだ。マモロウトシテ。彼女を失うくらいなら。僕は。ボクハ。彼女の右手を。ミギテヲ。諦めるしかないと知っている。それでも。諦め切れなくて。何度も泣いた。何度もやり直した。


 アア。ドウシテ?


 ドコデマチガッタ。


 未来が。

 枝分かれした未来に。


 彼女の生き残る路が…………ナクナッタ。ドウシテ。ドコデ?さっきまで。つい先ほどまでは。アッタ。アッタノニ。ナクナッタ。イナクナル。シンデシマウ。


 う そ で しょ う ?


 ボクハヒメイヲアゲタ。


 彼女が周章てた様に僕を抱き締めた。どうしたんだ?と、焦った声が聴こえる。ドウシテ。ドウスレバ。ボクハ。


 僕の彼女に対する執着が、ただ守りたいと思ったそれが。


 彼女の存在を。

 ケシテシマッタ。


 殺したのは。

 アノオトコ。


 ひとつの道筋で、彼女の右手を奪った男。ひとつの道筋で、僕の腕を切り裂いて、彼女の命を奪った男。

 最初の道筋は何故か失われて、刃物を振り上げた男が駆け寄ってくる。ボクメガケテフリオロサレタ。右目に鋭い痛みが疾る。彼女が僕を背中に庇うようにして、男に向き合えば、僕は周章てて、彼女を引き戻した。


 抱き締めた。背中が、熱い。痛い。彼女が悲鳴のような声をあげる。駄目だ。刺激しないで。お願いだから。静かにしてください。

 泣かないで。お願いだから。

 僕が力を失えば、彼女は、僕を抱き締めて泣いて。男に向き合った。


 アア。ホラ。ダメダッタ。モウスグナクナル。オワッテシマウ。


 この場合。救いは、僕が置いていかれなかった。ただ、それだけ。

 せめて、二人で。


 ドウシテモナクナルナラ。セメテ。


 でも、それは。もう時間なんか無くて、考えると云うよりも、感じたって程度の、本能が撰択した道筋だった。


 けれど。

 何故か、不意に視界を変える未来が視えた。僕の命も、既に喪われる事は決定していた筈なのに。


 僕だけ。


 生き残る未来が、視えた。


 ドウシテ!?カノジョハダメダッタノニ!!!!



 彼女の未来は変えられないのに、自分だけは助かってしまう。動けない躯で、昏くなる視界に彼女が崩れ落ちる姿を見た。

 病室で目覚めたら、僕の無事を喜ぶ友人が……僕の言葉に、首を横に振る未来を視た。


 声も出ないまま、僕は叫んだ。


 そして。





 その僕の人生は、まだ、単なるIFである事を。

 知った。



――4歳からやり直しですか。


 いや。もちろん。アレは可能性のひとつでしか無く、元より僕は4歳なのは理解しているのだが。


 4歳児は僕の記憶に耐えられず、ログアウトしてしまった。

 故に、僕が表に出てしまったのだが。どうしたものだろうか。



 未来のひとつ。IFを生きて、IFの可能性を追求して。


 失敗した僕が。


 未だIFがひとつも発生して無い……現在を得た。


 枝分かれした無数の未来のIF。


 僕は大学を卒業してから、本来の道筋を変える事が出来る事を知った。

 既に、彼女は、あの男に怨まれていた。


 今なら、まだ、怨みを買わない道に誘導する事は出来るだろう。


 それは。彼女を救う事が出来る未来の可能性を、提示していた。







 ソウシテ。

 ナンドモクリカエス。



☆☆☆




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