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紅女傑伝  作者: nagi
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 愈連叙の双掌が間一髪のところで周雁泰の蹴りを弾き飛ばす。周雁泰はふんっと鼻息一つ反撃に備え、弾き飛ばされた勢いも利用して円を描くように壁際から離れる。邪魔をされたのは苛立たしいが二人同時に掛かってこいと言ったのは周雁泰自身である。文句も言えない。

 対する愈兄弟は蹴りの威力を目の当たりにしているため迂闊に近づけない。

 蹴りを受けた愈三紋の両手は痺れ、先程の様には動かせないのだ。痺れが引くまでの数秒は実質的に愈連叙一人で周雁泰を相手とることになるだろう。しかし愈連叙の武功は兄ほどではない。一人で向かって行ったところで実力の差を思い知るだけだ。

 今、数瞬は手を出すべきではない。


 (まさかその若さでこれ程の武功とは、さすが架泉派の弟子だ。恐れ入った!)


 愈兄弟はこの時すでに周雁泰の武功に敬意を抱いていた。しかしそれで先の非礼がなかったことになるわけではない。

 そんな愈兄弟の心境の変化を知る由もない周雁泰も心の内では愈兄弟を認め始め、それに伴い怒りを少しずつではあるが冷やしていった。


 (官軍の一兵でこれ程の実力とは……相手を過小評価するとは愚にも程があるぞ周雁泰! こんなところで慢心して心乱すとは馬鹿かお前は! しかし師父を悪く言ったことは許されることではない! ここは勝たねばならない! ……とは言ったものの愈三紋の武功を考えるに二人同時に相手するのはいささか苦しいぞ……)


 実際には官軍が平均して愈兄弟ほどの腕を持っているわけではない。

 官軍と見て相手の実力を過小評価していた周雁泰はこの二人相手にどう立ち回るべきか思案した。二人同時だろうと勝てない相手ではない。しかし厳しい戦いを強いられることは確実だろう。


 (いや! ここはだからこそ早々にしてけりをつけるべきだ!)

 

 そう決断するが早いか周雁泰はまたたく間に愈兄弟との距離を詰め、滝のように激しく上段、中段、下段、と流れるような足蹴りを愈兄弟へと落していく。全段一撃ずつ。二人合わせて計六発もの必殺蹴りである。「飛瀑明脚ひばくみょうきゃく」架泉派の技がひとつで、どれか一つ受けようと躱そうと、ひとつでも突き刺されば勝負が決まる。歳の若い周雁泰は完全には習得していないため一度に繰り出せる蹴りの数は六発が限界だがそれでも驚くべき技である。

 しかし驚きの声を上げたのは周雁泰自身であった。


 「な……」


 理由は明確で愈兄弟に放った蹴りが全て受けられたのだ。


 (「槍撃手短槍型」であの恐ろしく内力の込めてある一蹴りに対して三手で受ける。愈の兄さん方は二人だと、とんでもなく強くなるぞ!)


 趙風が心内で唸る。

 軍派は数が力となる流派である。二人合わせて技を振るえば威力は増し、隙は攻撃に転じ、変化は相乗する。愈兄弟二人は協力したところで本来ならばその武功が周雁泰に勝ることはない。しかし軍派であればこそ本来得られるはずのない実力を発揮出来るのである。それも同じく軍派を扱う趙風が驚くほどの効果を発揮してだ。さすがは兄弟といったところだろう。結果として周雁泰の「飛瀑明脚」ですら撃ち落された次第だ。

 自身最大の技を破られた周雁泰は狼狽とともに劣勢へと押し入られる。

 愈兄弟の技は時が経つにつれ冴えわたり、凄みを増していくのに対し周贋泰は内力を全身全霊の気合で巡らせ防御に徹することに精一杯である。軍派は乱戦で使うことが前提の直線的な技が多く、愈兄弟がともに使い、力を増した「槍撃手短槍型」もこれに当てはまることが幸いして、なんとか防いでいるのであり、この分では到底長くは持たないだろう。

 それについてはこの場にいる者全員がすでに察してはいたが、これで終わりだとは優勢を収める愈兄弟も思ってはいない。むしろその心は焦っていた。


 (いくら周贋泰が言ったと弁解したところで、我らが二人がかりで攻め立てていることには違いない。町の喧嘩ならばいざ知らず、もはやこの戦いは架泉派と軍派の名を懸けた戦いと成ってしまった。このまま勝ったところで江湖こうこで恥を欠くのは我らのほうだ! しかし負ければそれは我が派が負けたことになる……それはいかん!)


 愈兄弟は普段は軽口も叩くが本心では官に属して正道を行くことを誇りとしている為、江湖の決まりにも重きを置いているのである。故に優勢でありながら勝ちを収めに行くのが躊躇われた。かといってここで退いても勝ったことになってしまうだろう。

 しかしその懸念もすぐに消え失せた。


 「周四師弟!」


 周贋泰の劣勢に慌てて躍り出てきたのは大柄な男、緑碌りょくりょくである。その顔は焦りでいっぱいであり、弟弟子の戦いに随分と気を揉んだのだろう、窮地と知って居ても立ってもいられなくなったのが直様に見て取れた。

 緑碌は周贋泰越しに愈三紋目掛けて掌打を放つ、愈三紋の内力は周贋泰に及ばないものの、十分な厚みがあり愈兄弟二人を上回るものだ。また掌力の巧みさについては兄弟弟子一である。受けて立つ愈三紋は一貫して愈連叙と共に使い続ける「槍撃手短槍型」で対抗する。これ程長い間同じ技を使っていれば大抵は技筋が見えてくるものだが、その組み合わせによる変化にいまだ終わりはないようで、周贋泰を牽制しながらも緑碌の掌打を三本の腕が槍と化して撃ち落とす。

 兄弟子の手助けに周贋泰は感謝したが、それで勝機が見えたかといえばそうとは言えない。緑碌は見た目通りの心優しく相手を痛めつけることを嫌う性質たちなので、好戦的な周贋泰とは相性が悪い。それに対し相手は緑碌が加わったことにより懸念が消え存分に腕を振るっている。勝負は分からない。

 しかしここで攻勢に出なければ勝てるものも勝てないと自らを奮い立たせ周贋泰は攻撃に転じ、連撃を繰り出し合間に必殺の蹴り技を混ぜる。それに呼応するように緑碌も掌打に蹴りと次々に技を打ち出していった。

 こうなってくると愈兄弟と周贋泰ら架線派との戦いは激しさを増し、猛烈な打ち合いへと成る。


 「加勢する」


 激戦をその目に映しながら口元を隠した男、渾諭こんろん一番弟子尹広波いんこうはに話しかける。

 これを耳聡く聞きつけ驚いたのはこの場で一人平然と酒を飲む趙風だ。


 (なんだと! 奴らは江湖の決まりを蔑にする気か! しかし負けては元も子もない……なるほど道理ではあるか……)


 趙風はつい最近まで戦場を駆けていた兵士である。江湖の習慣は無論知ってはいたが勝利に勝るものではないと思っている。しかし今、架泉派に加勢されては愈兄弟は確実に敗北するだろう。思わず趙風は苦い表情となる。

 その趙風の表情の変化に気が付いたのは尹広波ただ一人であった。他の者たちが己の戦いに夢中な中、彼だけは常に平然と酒を飲む趙風に気を配っていたのである。


 (何者だ? 逃げ出さないところを見ると武芸の心得はあるのだろう。渾三師弟の言葉を聞いて不快になったか? もっともな話だ。ここで恥をかくわけにもいくまい。今は渾三師弟を止めてあの者には後で騒がせたことを謝罪しよう)


 尹広波は加勢に行こうとする渾論を止めようと口を開く。


 「渾三師弟、ここでお前が手を出せば我らは江湖の笑いものだぞ。慎め」


 しかし渾論は戦いの情勢から目を離さずに言い返す。


 「師兄……江湖の決まりなど古い習慣にすぎぬ。それよりもここで架泉派が負けたという事実を作ってしまえば。江湖で我らが軽んじられることとなる。四大流派にこれ以上差を付けさせる訳にはいくまい」


 四大流派、江湖で武術の筆頭として上げられる流派、武道教『功女聡派こうじょそうは』、湖陣山『湖陣派こじんは』、想情湖『想情派そうじょうは』、劉家『玄霜一品派げんそういっぴんは』のことである。


 「確かに一理あるがよしておけ。負けは取り返すのは容易いが汚名を返上するのは一筋縄ではいかんぞ?」

 「言わせてもらえば、師弟二人では愈兄弟の合わせ技には勝てん。負けるか多勢にて勝つか、ここまできてはどちらにしても汚名は免れない。これは感情的になった俺達への罰だ。となれば多勢の汚名はあえて被るべきものだ。実際大した汚名にはならないだろう。しかし負けは駄目だ。我らだけでなく師父の技が負けたことになる」


 寡黙な渾論がここまで雄弁に語るのを聞いて尹広波の心も揺れた。渾論の主張はもっともなのだ。しかし死闘でもなく悪党を懲らしめているわけでもない今の状況は純粋な勝負。多勢は卑怯である。渾論の言葉は理解しているが、感情が許さない。普段ならば渾論を一喝して終わることではあるが、師を持ちだされては尹広波も言葉が出てこない。

そこでふと思いつく。


 (渾三師弟が加勢して情勢を見て私が戦いを止めればよい。こちらが勝っている上で引き分けということにすれば負けたことにはならないし、多少は愈兄弟もわかってくれるだろう)


 多勢ではあるが、最初の言い争いさえ水に流せれば老正狭の弟子が手心を加えたということで相手も酒を飲む趙風も、こちらの立ち位置を酌んでわざわざ悪いようにはしないだろうと尹広波は思い立ったのだ。それが最善だろうとすぐさま手で加勢に行くように渾論に伝える。

 意を得た渾論が抜群の軽功を見せ天井に張り付く程の位置取りで愈兄弟の後ろへと飛び込む。相手に加勢の気があることに愈兄弟は驚愕したが、そこはかつて戦場の強者であり今は王宮の守りを任されている者である。瞬時のうちに相手の利を悟り納得したうえで冷静さを取り戻す。


 (やはり架泉派は負けられんか……。自分達の汚名はあえて被ろうが、架泉派の技まで口出しはさせないつもりだな……。そう言うことなら嫌いではない。まぁ周贋泰だけは今だ当初の理由で戦っていそうだがな)


 あえて負けるつもりはないが周贋泰と緑碌相手で手一杯なのだ。渾論が加勢してきたことで愈兄弟は負けを確信した。背後からの渾論の『撃手』が迫る。あえて手数の多い技で責められてはどれだけ早く動こうと愈兄弟だけでは手が足りないというものだ。


 (もはやこれまでか……)


 愈兄弟が負けを認めようとした。

 まさにその時、周贋泰を彷彿とさせる若々しい感情の籠った声が響く。


 「愈の兄さん方、この趙風、不肖ながら加勢させていただく!」


この後は投稿が遅くなります。週に一度でも更新できれば様かなと思います。

江湖は武狭小説だけの用語で、一般的には違う意味があります。しかしこの武狭小説だけの用語としても意味はおおざっぱであり、分かりずらいです。武術界と用語集には書きましたが実際には、荒くれ者たちがバトルする界隈といった感じです。感覚的に分かりやすい例でいえば「家の地元では〇〇が強いぜ!」的な世界です。要するに江湖の世界では原則的に良くも悪くも強い者の名が通る世界ということですね。

 わかりづらいかもですがご勘弁ください。

 今回も少しでも楽しんでいただけたら幸いです。



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