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短編集<学生編>

誰かの大事

作者: シンタグマ

 好きで好きで好きで。

 一日中その人のことを考えて、甘くて辛くて苦くて、切なくて死にそうで、でも幸せで。

 誰かに対してそんな感情を抱くことが出来る彼女が羨ましい、ただそれだけのはずだった。

●●●●●


「木島君」

 卒業式終了後の休憩時間、ざわつく廊下で背後からかけられた声は聞き慣れたものだった。オレはけだるげな表情で振り向く。

「おー、篠原」

 いつもながらの地味でダサい三つ編みヘアに、これまたダサいどこで入手したのか問いつめたくなるデザインの黒縁眼鏡をかけた女、それが一年の時だけクラスメイトだった篠原だ。

「相変わらずだねぇ」

「木島君もね」

 何度かイメージチェンジを提案してみたものの頑なにそれに逆らい続けた彼女との二年間を思い出し皮肉を込めて言ったセリフだが、彼女には全然効いていない。

 彼女は真面目な外見そのままに真面目な学校生活を送り、見事に一流大学への合格切符をゲットしたらしい。ちなみにオレはそこそこの努力の結果、そこそこの学校に入学することが決まった。まぁそんなのはどうでもいいことだけど。

 彼女は眼鏡越しにオレに視線を送った。彼女の黒目がちな瞳は何かを見つめると少し内側にずれる。近視用レンズのせいで実際よりずっと小さく見えるその瞳を見ながら、そのことを遠藤も知ってるのかな、なんてことをぼんやり思う。

 へんてこな眼鏡を外した篠原は案外悪くないって事も。

 小さく息を吸ってから照れたような表情で彼女はオレを見上げ、口を開いた。

「ホームルーム終わって先生が教室出たらメールくれないかな」

「……りょーかい」

「今まで、ありがと」

 ふわりと彼女は笑ってやわらかい声でオレに告げ、ぺこりと頭を下げた。

「木島君のおかげで本当に色々助かったよ、最後までありがとう。ちゃんと終わりにしてきます」


 遠藤先生ストーキング部の補佐、それ位のポジションが彼女から見たオレだ。

 去年の秋頃たまたま提出の遅れた日誌を担任である遠藤に渡すべく理科準備室のドアを開けた瞬間、オレの耳に飛び込んできたのは女生徒の声だった。

「先生のことが好きです」

 準備室のドアの前は背の高いロッカーが配置されていて、そこを横切らないと中の様子は見えないようになっている。だからそのときは女だってこと以外誰の声かなんて全然分らなかった。

 オレは漫画かテレビドラマでしかそんなはっきりした告白シーンを見たことが無かったから、何が起こっているのか理解不能状態に陥ってフリーズしてたんだと思う。聞かなかったことにしてさっさと退散してれば面倒なことに巻き込まれなかったのに。

 ドアノブを握ったまま固まるオレの耳に流れ込んできたのは、遠藤の余りにも平静な声だった。

「あー、オレも好きだよ。ありがとう」

「先生!」

 女生徒の声は非難が含まれていたが、十歳上の年の功というやつだろう。遠藤の声は優しくいさめる様に続いた。

「いつもお前は一生懸命だし授業きちんと聞いてるし、好ましい生徒だよ。用事はそれだけかー?」

「先生……」

「小テストの答え合わせしなきゃなんないし、先生忙しいんだよ。悪いけど、それだけなら用も済んだだろう。またな」

 うわーマジ遠藤って優しいけどきついわ、これが大人の対応ってやつか。オレがそんなことを思った直後、苦いものを食べた後のような表情でロッカーの端から姿を表したのが篠原だった。


「……とにかく、だ。皆元気に、事故や怪我だけには注意して……」

 最後のホームルームだというけど、遠藤の話を集中して聞いてる奴なんかそんなに居ない。大したこと言ってねぇし。長期休みの前と同じ、ソワソワした感じが朝からずっと続いている。

 高校を卒業する程度で人間として大きく変わるわけがないことを皆知ってるのだ。

 何人か鼻をすすりながら泣いている女子も居るが、雰囲気に流されているのと友人の目を気にしての涙に見えてしまうのはオレの性格が曲がっているからだろうか。

 たいしたことは無い。つまらない日常から新しい日常へ移動するだけだ。あっという間に今を忘れて新しい日常が退屈な「いつも」に変わるだけ。

「……であって……本当に……」

 そんな事をぼんやり思いながら、歯切れ良く喋る遠藤を見る。

 とりたてて格好がいい訳ではない。しかし清潔感ある服装と短髪、頭の切れが良さそうな話し方は好感が持てた。字は下手だったな、先生のくせに。


 日直になるたびに、オレは学級日誌を篠原の所に持っていったことを思い出す。クソの役にも立たない遠藤が日誌に書いたコメントを読みたいと言うからだった。

 結果的に告白を立ち聞きしてしまったオレは、なぜか篠原のために遠藤情報を提供するようになっていた。今日の授業内の小話とかメールしたり。

 遠藤がオレの担任で、篠原はうちのクラスに親しい友人が居ないようだったからっていうのが主な原因だと思うが、何でそんな関係になったのかは良く思い出せない。遠藤の存在は心の底からどうでも良かったが、それでも彼女の頼みを聞いていたのは告白を覗き見てしまった後ろめたさからだったんだと思う。

「苺狩りいいですねー、だって! 先生苺好きなのかな」

「……しらねぇし」

 彼女が日誌に目を通す昼休みは人通りが少ない裏階段に少し距離を開けて並んで座って退屈な時を過ごしたように思う。遠藤の書いた文字をいちいち人差し指でなぞりながらはしゃぐ篠原を横目で見て、オレは羨ましい気持ちにもなっていた。

 同じクラスだったときの篠原は、テンション低めであまり目立たないやつだった。これ程明るく、くるくる表情を変えるタイプじゃなかった。

「恋ってやつ、ねぇ……」

 ため息と同時に小さくつぶやくと篠原は少し恥ずかしそうに笑った。穏やかな時間だった。


 篠原にまつわる記憶を辿りながらぼんやりしていたらホームルームは終わりそうになっていた。先に終わったクラスの奴らが教室から出たようで、廊下がざわざわしている。

「じゃ、皆元気でやれよー。春休み、馬鹿なことをするなよ。また機会があれば会おう。最後の号令、よろしく」

 遠藤のどこかほっとしたような口調による最後の指示に従い、学級委員が号令をかける。

 『おわった』という愛想の無いショートメールを首だけのお辞儀をしながら手早く篠原に送った。これが最後のメールになるのだろう。遠藤のことで頭が一杯であろう篠原からの返信は期待出来ないな。オレは息をついて、メール画面を閉じ携帯をポケットにしまった。


 部活仲間とゲラゲラ笑って、他愛の無い会話をして、後輩に挨拶されてそれに答えたりしてるうちに昼も近くなった。これから友人達と昼飯食いに行って、一回家に帰って着替えてからクラスでの打ち上げだ。

 不意に篠原のことを思い出し携帯をチェックするが、予想の通り新着のメールは無かった。……なんとなく、面白くない。かなり、面白くない。

「トイレ行って来る、先に靴はいてて」

 友人に言って、一階のトイレへ向かう。卒業なんて大したこと無いと思いながらも、廊下や階段を見るとやけに感傷的になっている自分に気がつく。

 自分が廊下を歩く足音がペタペタと響く。この汚い上履きを履くのも今日で最後か。一階には教室が無いのとほとんどの生徒は帰宅したようで、人通りは無かったから余計に足音が響く。

 部活しんどかったなぁとか、雨の日の体育館は雑巾みたいな匂いが漂っていて体育イヤだったなぁ、なんてことを取り留めなく考える。

 篠原のことも、思い出す。

 基本、先生のことばっかり話していたけど、必ずオレのセーターの色とか髪の色とかちょっとだったけど話題にしてくれてた。眼鏡のレンズ、いつもピカピカだったからオレが指紋つけるとマジギレしてグーでパンチしてきたなぁ、とかそんな下らない色んなことを思い出す。

 そう、最後の日ぐらい良いだろう。篠原のこと、色々考えたって良いだろう。どうせ無駄だから、そう思って考えないようにしてたけど。

 不意に視界がにじんでぽたりと落ちたモノを手のひらで受ける。さっきまでニヤニヤ思い出し笑いしてたのに、自分の感情の不安定さにビビる。

「バカじゃん」

 小さく笑いながらゆっくり一度瞬きして、涙で潤んだ視界をごまかした。

 別に誰でも良いから彼女欲しいって訳じゃないから。

 どう表現すれば良いのか分からないけど、急に胸の中に湧き上がったこの衝動は何だろう。涙は一滴で止まったけど、胸が痛んでどうしようもない。

「好きだったんかなー」

 呟いて、廊下の天井を見上げる。

 気がついたのは、あまりにも今更。

 いつか夢中で思えるような大切な誰かを見つけたい。そして見つけたらそんな相手に同じような強い気持ちで思い返されたい。臆病だから、篠原みたいには勝ち目の無い戦いは出来そうにない。

 オレは苦笑してポケットの鳴らない携帯に触れた。

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