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互換性がなくなる理由

作者: かのん
掲載日:2026/10/02


「これ、もう使えなくなるのか」


午前二時、佐伯はモニターの前で独りごちた。


灯りを落とした部屋に、画面の仄白い光が滲んでいる。飲みかけの缶も、埃を被った筐体も、その光の縁でかろうじて輪郭を保っていた。夜の底で目を覚ましているのは、佐伯と、低く唸りつづけるファンばかりだ。


新調するつもりでいたCPUは、三年前のマザーボードには載らなかった。



ソケットが違う。


ただそれだけのことだった。


性能に不足はない。電気的な仕様に僅かな手を加えれば、動きそうにさえ見える。だがメーカーは互換性を保証しない。


商品写真の中で、金色の接点が整然と居並び、鈍い光を湛えている。ピンが数本、溝が数ミリ。その僅かな齟齬のために、鍵は鍵穴に拒まれる。



「昔はもっと長く使えたのにな」


佐伯はそう零して、通販サイトを閉じた。


昏い壁紙の面に、朧な顔が浮かんだ。三年前より、いくぶん色褪せて見えた。


近頃は、何もかもがそうだ。



OSは古いCPUを切る。


CPUは古いマザーボードを切る。


マザーボードは古いメモリを切る。


古いソフトは新しいOSで動かない。


新しい周辺機器は古い端子に挿さらない。



世界は律儀に歩を進め、進むごとに、背後の扉を一枚ずつ閉ざしてゆく。



「古い規格では利用できませんって……」


乾いた笑いは、ファンの唸りに呑まれて消えた。


「世の中、互換性なくなりすぎだろ」



◇



明くる日、駅前の喫茶店で、佐伯は奇妙な男に声をかけられた。


昼下がりの店内には、煮詰まったコーヒーの香と、誰の耳にも届かぬ有線の旋律とが澱んでいた。ガラス越しの陽がテーブルに白く落ちている。佐伯はその陽溜まりのなかで、寝不足の頭を、冷めかけたブレンドで宥めていた。



佐伯は顔を上げた。


「……なんですか?」


三十がらみの男が立っている。黒いコートを纏っていた。この季節に。


窓外の陽光とは、およそ相容れぬ黒だった。男ひとり、季節の規格を違えている。


「質問があります」


男は向かいの席に腰を下ろした。


「2047年のOSについて、興味はありますか?」


妙なことを言う男だ。


「まあ、なくはないが……」


男は微かに笑った。


「では、これを」


テーブルの下から、小さな黒いものが取り出された。USBメモリと見えた。


親指ほどの大きさしかない。陽の射すテーブルの上にあって、それは一条の光も返さなかった。


「これ、何です?」


「ファイルです」


「ウイルス?」


「もっと悪い」


男は言った。


「未来です」


戯れ言だと思った。


出処の知れぬものを、迂闊に挿すべきではない。それくらいの分別は、佐伯にもある。まして手許にあるのは、仕事用のノートパソコン一台きりだ。


だが男は急かしもせず、ただ向かいに座している。瞬きの少ない眼が、佐伯の手許に据えられていた。その、ただならぬ静けさに呑まれて、気づけば鞄を開けていた。



挿し込んだ端子は、拍子抜けするほど従順に認識された。フォルダをひとつ開くごとに、画面の奥へ、見知らぬ図面が果てもなく展けてゆく。


そこに収められていたのは、現在のコンピューターではいまだ実用に至らぬ技術の、設計データだった。



半導体。


新型バッテリー。


量子暗号。


画像圧縮。


そして、この時代にはいまだ存在せぬAIアルゴリズム。



佐伯は震えた。


指先がトラックパッドの上で定まらない。店内の旋律は遠のき、己の鼓動ばかりが耳朶を打った。


「……これ、本物だったら」


「本物です」


「売れる?」


「あなたが思っているより、ずっと」


男は言った。


「ただし、一つ条件があります」


「何です?」


「未来のことを、未来に追いつけない人間へ渡さないこと」


「つまり?」


「あなたが金持ちになる程度なら構いません」


佐伯は笑った。


「ずいぶん変な条件ですね」


「そうでしょうか」



男は席を立った。


「では、成功を祈ります」


「ちょっと待ってください」


佐伯は呼び止めた。


「あなたは何者なんです?」



男はしばし思案した。



「密輸業者です」



それだけを言い残して、店を出ていった。


ドアベルが鳴り、黒いコートは午後の光のなかへ溶け入った。


手許に遺されたのは、冷えきったコーヒーと、いまだ微かな熱を孕んだUSBメモリだった。




◇




一年後。


佐伯は億万長者となっていた。



未来の技術をそのまま売り捌いたわけではない。それでは怪しまれる。彼が用いたのは、未来の設計思想のみである。現在の技術で再現しうる部分を見出し、既存の技術と織り合わせて、特許を取った。


誰にも理解できぬほど未来的ではない。しかし、誰ひとり思い至らなかった。それが最も儲かった。


会社を興し、技術者を雇った。投資家が群がった。ニュースにも取り上げられた。


「次世代技術の旗手」


「日本の技術革新を変える男」


そんな見出しが紙面を飾った。


社長室の窓から睥睨する街は、一枚の巨大な基板に似ていた。その隅々にまで、己がために電流が通っている。そう思えてならぬ朝が、幾度もあった。


だが、ある日。



会社の全端末が、同時に停止した。



画面が黒一色に塗り潰された。



停電ではない。電源ランプは灯っている。マウスも動く。


しかし、何ひとつ映らない。


居並ぶモニターが、一斉に瞼を閉ざしている。その闇の面に、立ち竦む社員たちの顔が、そして佐伯自身の顔が、蒼ざめて浮かんでいた。空調の音が、いやに耳につく。



一台や二台ではない。


社内のあらゆるPCが、時を同じくして沈黙していた。



そのとき、受付から声がした。



「社長にお客様です」


「誰?」


「……警察だそうです」



佐伯は腰を上げた。


廊下に出る。スーツ姿の男が二人いた。寸分違わぬ姿勢で佇んでいる。警察手帳が示された。


だが、そこに記された文字が奇妙だった。



「時間管理局?」


「はい」


「何ですか、それ」


男の一人が答えた。


「あなたは違法な未来技術を取得しました」


佐伯は笑った。


「未来?」


「そうです」


「何を馬鹿な」


男は一枚の紙を差し出した。そこには、佐伯の与り知らぬ数字が連なっていた。


「これはあなたの会社が取得した特許の一覧です」


「それが?」


「あなたの特許のうち、二十七件は、現在より先の人類が独自に発明するはずだったものです」



佐伯は口を噤んだ。



「あなたが早く発明したことで、歴史が変わりました」


「……でも、それだけでしょう?」


「いいえ」


男は言った。


「あなたの会社が成功したことで、別の会社が潰れました」


「それが経済でしょう」


「その会社にいた研究者が別の研究を始める予定でした」


「だから?」


「その研究が、六十七年後のタイムマシンにつながります」



佐伯の顔から、笑みが失せた。



「……待ってください」


「あなたの行動によって、タイムマシンが予定より二十年早く完成する可能性があります」


もう一人の男が言葉を継いだ。


「その場合、過去への干渉が制御できなくなる」



佐伯は窓外に目を遣った。


ガラス一枚を隔てて、街は常と変わらず流れていた。車は走り、信号は移ろい、人は渡る。昨日まで己がために通電していたはずの基板は、佐伯ひとりが脱落しかけていようと、些かの遅滞もなく巡りつづけている。


誰もこちらを見ていない。



「じゃあ……俺は?」


「処置を行います」


「……なかったことにする気か」



「ええ。あなたの記憶ごと」




◇




佐伯は抗った。



廊下を走った。


階段を駆け下りた。靴音が吹き抜けに幾重にも谺する。


外へ出る。白日が目を射る。


雑踏に紛れる。



だが、どこへ逃れても、すでに先回りされている。



駅。


コンビニ。


タクシー。


地下道。



改札の彼方に。


自動ドアの内に。


運転席の鏡の奥に。


蛍光灯の明滅する通路の果てに。



逃げても逃げても、逃げた先に男たちが待ち受けていた。


未来に半身を浸した佐伯という端子は、今日の街のどの口とも噛み合わなかった。



最後に佐伯が逃げ込んだのは、初めてあの男と会った喫茶店だった。


誰もいない。客も、店員も。有線の旋律が、一年前と同じ曲を奏でている気がした。


佐伯は荒い息のまま、椅子に身を沈めた。肺腑が熱い。シャツが背に貼りついて離れない。



そして気づいた。


テーブルの上に、小さな黒いものが置かれている。



あのUSBメモリだ。


窓から射す陽のなかで、それはあの日と同じく、一条の光も返さずに横たわっていた。



「……これがあるなら」



佐伯は手を伸ばした。


その瞬間、背後から声がした。



「それを持って帰ることもできます」



佐伯が振り返る。


未来人が立っていた。



「ただし、持って帰ればまた同じことになります」


「じゃあ、どうすればいい」


「忘れてください」


「ふざけるな」


「あなたは、もう十分に未来を見ました」



未来人は、いくらか哀しげに笑った。



「あなたが悪かったわけではありません」


「じゃあ、なんで」



未来人はUSBを取り上げた。



「では」



白い光が見えた。


暁の光に似ていた。あるいは、電源を入れた刹那の、いまだ何ものをも映さぬ画面に。




◇




佐伯は目を覚ました。


午前二時だった。



モニターの前に座っていた。通販サイトが開いている。


仄白い光が、飲みかけの缶と、埃を被った筐体とを照らしている。ファンが低く唸っている。


新しいCPU。対応する新しいマザーボード。


その値を見て、佐伯は溜息をついた。


「まるごと買い替えた方が安いか」



三年前のマザーボードには載らない。致し方ない。


佐伯はカートからCPUを削除した。



「昔はもっと長く使えたのにな」


そう呟いて、通販サイトを閉じる。


冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。扉の灯りが、束の間、台所に白昼を呼び戻した。プルタブの音が、深夜の静寂に小さく響く。


ニュースを眺める。画面は、見知らぬ誰かの栄達と、見知らぬ誰かの凋落とを、同じ抑揚で流していた。


明日は仕事がある。



取り立てて何事もない人生だ。


億万長者になったこともない。会社を興したこともない。未来人に会ったこともない。


すべては、夢だったのだろう。



佐伯は床に就いた。


天井の闇に、待機ランプの小さな光がひとつ、消え残っている。


眠りに落ちる間際、ふと思った。



――そういえば。


最近のパソコンって、なんでこんなに古い規格を切るんだっけ。



だが、睡魔に敗れた。




◇




そのころ。


時間管理局では、ひとりの職員が報告書に目を通していた。



「2026年の佐伯事件、処理完了」


「記憶修正は?」


「問題ありません」


「技術流出は?」


「すべて回収しました」



職員は報告書を閉じた。


画面には、早くも次の指令が灯っていた。



【1995年へ派遣】


【対象:USB規格策定委員会】


【命令:互換性を維持しすぎないこと】



職員は溜息を洩らした。



「……またこの時代か」



そして、低く言い添えた。



「どうして昔の人間は、何でも互換性を残したがるんだろうな」



それを耳にした新人職員が訊ねた。



「それって、そんなに危険なんですか?」


職員は答えた。


「危険だよ」


「どうして?」


「過去と未来が繋がってしまうからだ」



彼は立ち上がった。



「それに――」



肩越しに、一度だけ振り返る。



「追いつかれたら、俺たちはもう未来人じゃない」



扉が閉ざされた。


そして1995年の世界へ向けて、時間転移装置が起動した。


お読みいただきありがとうございました。

「古い規格が使えなくなる」という身近な不満から、こんな話になりました。


もし面白いと思っていただけましたら、評価や感想をいただけると励みになります。

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