第6話 闇に咲く徒花
セーラの地下実験室。そこは「賢者」の二つ名とは裏腹に、腐臭と血の気が混じり合う、地獄の縮図のような場所だった。アルスは魔力を遮断するミスリルの鎖で四肢を拘束され、冷たい実験台の上に横たわっていた。壁にはセーラがこれまでに切り刻んできたであろう魔族や亜人の標本が並び、狂気の色を帯びている。
「……くっ、あ……」
身体に打ち込まれた「魔力吸引の楔」が、アルスの体内の闇を絶え間なく吸い出し続けていた。意識は朦朧とし、思考を維持することすら困難な状況。セーラはアルスの隣で、鼻歌を交じりながら手術具を吟味している。
「ふふ、驚異的な再生力ね。心臓を一度止めても、すぐに脈を打ち直す。あなたのその『略奪』の根源、魂のどの部分に刻まれているのかしら。楽しみだわ、明日から本格的に脳を弄らせてもらうから」
セーラはアルスの頬を冷たく撫で、実験室の奥にある巨大な檻に目を向けた。
「それまでは、この子たちに遊んでもらって。私の魔法の威力を測るための、都合の良い『動く肉塊』たちにね」
セーラが部屋を去ると、薄暗い檻の中から「ギギ……」と下卑た鳴き声が響いた。
そこにいたのは、セーラが魔法実験の標的として捕らえ、薬物で無理やり筋力と繁殖力を強化した数体の「強化ゴブリン」だった。彼女にとって、ゴブリンは知性なき害獣であり、最も見下している存在。しかし、その慢心こそが彼女の致命傷となる。
◇◆◇
セーラがいなくなり、檻の扉が魔法で解錠された。筋骨隆々とした、通常の三倍はある巨躯のゴブリンたちが、空腹を抱えてアルスに近づいてくる。
「ギヒ……ギヒヒヒッ!」
鋭い爪がアルスの腹を裂こうとしたその時、アルスの片目が血のように赤く輝いた。
「……黙れ、ゴミ共」
【固有スキル:略奪者の眼】
【派生スキル:支配者の威圧を発動】
本来、拘束されているアルスに抵抗の術はないはずだった。しかし、セーラが奪い続けていた「闇の魔力」は、楔を通じて逆に施設全体の魔力循環と繋がっていたのだ。アルスは吸い取られた自分の力を逆流させ、一瞬だけ拘束を無効化した。
「お前たちの……その底なしの欲情と、醜悪なまでの生命力……。俺がさらに『強化』してやる。その代わり、あいつを……あの女を、お前たちの好きにしろ」
アルスの影から伸びた黒い触手が、ゴブリンたちの脳へと直接突き刺さる。
それは、恐怖による支配ではなく、「共通の敵への増悪」による共鳴だった。
「ギ……ガァァァッ!!」
ゴブリンたちの瞳が漆黒に染まり、その肉体がさらに歪に膨れ上がる。アルスのスキル【因果書き換え】により、彼らの拘束を解くための「鍵」の情報が共有された。一番大きなゴブリンが、その怪力でアルスのミスリル鎖をねじ切った。
「……よくやった。さあ、宴の時間だ」
◇◆◇
自由になったアルスは、楔を引き抜き、傷口が塞がるのも待たずに立ち上がった。背後には、知性を失い、ただ「セーラを犯し尽くす」という本能だけを極限まで増幅された十数体の強化ゴブリン軍団。アルスはセーラの私室へと続く隠し通路を、影に溶けながら進む。
その頃、セーラは最上階の豪華な寝室で、ワインを片手にアルスの解体図を眺めていた。
「まずは四肢を切断して、再生の限界を測りましょうか。それとも……」
カチリ、と部屋の鍵が開く音がした。
「あら、もう我慢できなくて逃げ出してきたの? 懲りない人……」
セーラが振り返り、魔法を放とうとした瞬間、彼女の表情が凍りついた。開いた扉の隙間から溢れ出してきたのは、アルスではない。自分が実験体としていた、最も汚らわしいと思っていたはずのゴブリンたちの、耐え難いほどの腐臭と――。
「……ギ、ギギヒッ……ギヒヒヒヒ!!」
「な……!? なぜ、実験体がここに……!? 結界はどうしたの!?」
慌てて杖を手に取ろうとするセーラ。だが、背後の影からアルスの手が伸び、彼女の細い手首を掴んだ。
「残念だったな、セーラ。お前の結界の『数式』は、さっきゴブリンたちが喰いつぶしたよ」
「アルス……! やめなさい、こんな汚い獣を放して何をするつもり!? 私は王宮魔導師よ、私がいないとこの国の魔法体系が――」
「そんなこと、知ったことか」
アルスはセーラの杖を奪い取り、目の前で粉々に叩き折った。そして、彼女の脚の腱を『腐食の霧』で焼き切る。
「あ……あぁぁぁッ! 私の足が……私の魔法が……!!」
「お前が最も見下していたこいつらに、その高貴なプライドをズタズタにされる気分はどうだ?」
アルスが合図を送ると、飢えたゴブリンたちが、涎を垂らしながらセーラを取り囲んだ。
「やめて……来ないで、この化け物! 触らないで!!アルス、助けて! 何でもするから、お願い!!」
セーラの悲鳴が、防音の施された贅沢な寝室に虚しく響く。アルスは冷徹な瞳で、彼女が最も屈辱を感じる瞬間を見つめていた。
「助けてやるさ。……お前が、こいつらの子供を産み落とし、人間としての心を完全に壊した後に、な」
アルスは部屋を出て、重い扉を閉めた。背後からは、セーラの絶叫と、肉が擦れる音、そして獣たちの下卑た歓喜の声が響き続けていた。




