第3話 偽りの英雄、真実の絶望
奈落の底から這い上がったアルスの体は、もはやかつての「勇者」のそれとは異なっていた。皮膚の下をのたうつ黒い血管、夜の闇よりも深い漆黒の瞳。奪った魔獣の再生能力により、砕けた骨は歪に結合し、以前よりも強固な肉体へと作り替えられている。
アルスが最初に向かったのは、王都ではない。彼が生まれ育ち、そして愛するアリシアと共に歩むはずだった故郷――カナン村だ。
「……嘘だろ……」
村の入り口に立ったアルスの喉から、乾いた掠れ声が漏れた。視界に広がるのは、のどかな田園風景ではない。黒く焦げた家々の残骸、異臭を放つ家畜の死骸。そして、道端に転がる見覚えのある顔、顔、顔。
「村長……おばさん……リリィ……」
かつて自分を「村の誇りだ」と送り出してくれた老人。いつも焼きたてのパンを分けてくれた、恰幅の良い女性。勇者様に憧れると言って笑っていた、幼い少女。
そのすべてが、無残な物言わぬ肉塊へと変えられていた。
村の中央広場には、一本の旗が突き立てられている。そこには王国の紋章と、新勇者として祭り上げられたガイルの紋章が刻まれていた。
「『魔王の残党に襲われた』……だと?」
アルスは膝をつき、灰となった土を握りしめた。略奪者が、残留した魔力の残滓を捉える。そこにあるのは魔物の禍々しい魔力ではない。ガイルの放つ重厚な物理衝撃の跡と、セーラが最も得意とする広範囲焼却魔法の術理だった。
「……あいつらが、自分でやったんだ。自分の手で、この村を……!」
ガイルたちは「勇者の故郷を守れなかった悲劇」を演出するため、自らの手でアルスの帰る場所を焼き払ったのだ。アリシアもそれを知っていて、あの日、あんなにも冷たく笑ったのか。
「ああああああああああああああああッ!!!」
アルスの絶叫が、死に絶えた村に響き渡る。その慟哭に呼応するように、アルスの影が意志を持ったかのように蠢き、周囲の死体から「無念の記憶」を吸い出し始めた。
【スキル:死者の怨嗟を獲得しました】
【効果:死者の最期の記憶を読み取り、負のエネルギーに変換する】
脳内に流れ込む、村人たちの最期の光景。
「助けて、アルス様……!」と泣き叫ぶリリィの喉を、ガイルの斧槍が容赦なく貫く。
「汚らわしい平民ども。勇者の汚れ役として死ねることを光栄に思いなさい」と、
冷笑を浮かべながら魔法を放つセーラ。
そして、馬車の上から退屈そうにそれを見つめ、爪の手入れをしていたアリシア。
ブチリ、と。アルスの中で、人間としての最後の何かが千切れた。
「……救う価値なんて、なかったんだ。この国も、人間も。全部……全部、壊してやる」
アルスは立ち上がり、背後にいた「何か」に視線を向けた。
村の焼け跡から這い出してきた、数体の下級悪魔。魔王亡き後、野放しになったはぐれ者たちだ。
「ヒャハハ! 生き残りがいたぜ! こいつの肉も……」
悪魔が襲いかかろうとした瞬間、アルスの指先から黒い霧が放たれた。霧に触れた悪魔は、悲鳴を上げる間もなく全身を腐食させ、その魂をアルスへと吸い込まれていく。
「黙れ。お前たちの『命』すら、俺の復讐の糧にすぎない」
【略奪完了:スキル『影移動』を獲得】
【略奪完了:スキル『腐食』を獲得】
アルスは、焼け残った一軒の家――かつて自分とアリシアが将来住むためにと、少しずつ手入れをしていた家に入った。
床下に隠していた、古びた黒いマントを羽織る。それは、かつて魔王軍の幹部を討ち取った際に戦利品として得た、呪われた防具。かつての「光の勇者」には不要だったものだが、今の彼にはこれ以上なく似合っていた。
「まずはガイル。お前が手に入れた『公爵』の地位、その強固な『肉体』……。民衆の前で、ゴミのように削ぎ落としてやる」
アルスの姿が、影に溶けるように消えた。向かうは、祝宴に沸く王都。そこには、自分を裏切った恋人と友が、他人の血で贖った栄光に浸っているはずだ。




