第18話 偽鏡の姿
瓦礫の王座から見下ろすオーラの白銀の髪が、湿った風になびいた。彼が一歩を踏み出すたびに、周囲の空間が「清められて」いく。瓦礫の汚れは消え、血の臭いはかき消され、そこには人工的な、あまりにも清潔な聖域が構築されていく。
「見なさい、アルス。これが『正義』です。人々が望み、私が形にする、汚れなき世界だ」
オーラの剣『極光』が、音もなく空を薙ぐ。それは物理的な斬撃ではない。オーラを支持する数百万の民衆の「合意」という名の圧力が、多重的な断罪の檻となってアルスを全方位から圧殺しにかかる。
「……ぐ、ぅ……ッ!!」
アルスは瀕死のアルベラを背後に隠し、正面からその圧力を受け止めた。骨が軋む。肉が爆ぜる。だが、今のアルスを突き動かしているのは、魔王としての憎悪ではない。頬を伝い続ける涙の熱、そして指先に残るアルベラの、消え入りそうな鼓動だ。
「……みんなが望む、だと? ……ふざけるな」
アルスの掠れた声が、聖域の静寂を汚すように響いた。彼は血に濡れた己の胸元に、自ら指を突き立てた。心臓のすぐ傍。そこには、彼が「悪人」として振る舞うたびに、内側に溜め込んできた「抑えきれなかった人間性」の澱が凝縮されていた。
「お前が作っているのは世界じゃない。……ただの、巨大な鏡の部屋だ。自分たちの醜さを見たくない奴らが、お前という鏡を見て、自分たちが美しいと錯覚しているだけの……空虚な箱庭だ!」
「鏡に映るのはいつだって虚像だから!!」
アルスが自らの胸から引き抜いたのは、どす黒い光を放つ「血の刃」だった。
それは【略奪者】としての能力に、彼自身の「涙」という因果が混ざり合った、かつてない異形の術理。
「……汚らわしい。その『情』という名の不確定要素、排除しなければなりませんね」
オーラの表情から、初めて余裕が消えた。彼が最も恐れるのは、強力な武力ではない。自分の「美しく正しい物語」を、生々しい「個の痛み」で汚されることだ。
オーラが地を蹴った。光速を超える踏み込み。聖剣と血の刃が激突し、廃墟全体を揺るがす衝撃波が走る。
激突の最中、アルスは敢えてオーラの剣を、己の左胸で受けた。
「――っ!?」
「……捕まえたぞ、偽善者」
アルスは刺さった剣を掴み、己の「血」を、オーラの白銀の右腕にそのまま浴びせかけた。血が触れた瞬間、オーラの腕が、まるで強酸を浴びたかのようにどす黒く変色し、爛れていく。
「あ、ああああッ! 私の、私の腕が……汚れる、ゥアアアアアアアアアアア!!」
オーラの絶叫。それは英雄の断末魔ではなく、醜い悪ガキの、浅ましい悲鳴だった。アルスの血が、オーラの体内に流れる「誘導」の魔力を逆流させる。空に浮かぶ魔法映像が、オーラの苦悶の表情を全世界に映し出す。美しく整えられた聖者の面影が崩れ、剥き出しの選民意識と恐怖が、その顔を醜く歪めていく。
「見ろ、オーラ。……これが、お前が『滅菌』しようとした、人間の本当の姿だ」
アルスは血を吐きながら、なおも微笑んでいた。その微笑みは、もはや魔王のそれではない。すべてを失い、それでもなお一人の女を守り抜こうとする、狂おしいほどに「正しい」男の顔だった。
背後で、アルベラが微かに目を開ける。彼女の千里眼に映るのは、もはや因果の糸ではない。自分を抱きしめ、泣きながら世界と戦う、一人の不器用な男の、あまりにも「美しい」背中だった。
「……アル、ス……」
彼女の指が、アルスの背中に触れる。その瞬間、アルスの内側の闇と、アルベラの千里眼の光が一つに溶け合い、オーラという害悪の「核」を、明確に射抜いた。




