第16話 決壊と泥の涙
銀の刃がアルベラの細い肢体を貫き、その衝撃が肉の裂ける鈍い音となって廃墟に響き渡った。飛散した鮮血が、アルスの頬を熱く濡らす。
「――ぁ」
アルベラの唇から、短い吐息が漏れた。千里眼で世界のすべてを見通してきたはずの彼女が、今、自分の足元さえおぼつかぬまま、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。アルスは砕かれた身体を震わせ、泥にまみれた腕で彼女を抱きとめた。
「……逃げろと、言った……死ぬぞ、アルベラ……」
掠れた声が、喉の奥で血に溺れる。だが、アルベラは苦しげに喉を鳴らしながらも、アルスの頬に血のついた指を伸ばした。その眼差しには、死への恐怖ではなく、得体の知れない充足感が宿っている。
「……ふふ。……貴方、今……すごく、人間くさい顔をしてるわ……」
脇腹から溢れ出す赤が、灰色の外套を容赦なく汚していく。アルスは、その温かすぎる液体の感触に、数年前のあの夜を思い出していた。裏切られ、故郷を焼かれ、何もかもを奪われたあの日。絶望が深すぎて、泣くことさえ忘れていたあの空白。
だが、今、腕の中で失われようとしているのは、自分という怪物の唯一の「余白」だった。
視界が、急激に滲んだ。眼球の奥からせり上がってくる熱い塊が、頬を伝い、アルベラの傷口へと落ちる。それは、略奪者としての冷徹な機能が、あまりにも巨大な喪失の予感に耐えきれず、内部から瓦解した音だった。
「あ、……あぁ……、あぁぁぁ……!!」
アルスの喉から、獣のような、あるいは産声のような慟哭が漏れ出した。一筋の涙が、血に汚れた肌を割って流れ落ちる。
それは共感を拒絶し、孤独を貫いてきた男が、どうしても捨てきれなかった「人間性」の残滓。この数年間、一度も流れることのなかった滴が、皮肉にも最も残酷な瞬間に溢れ出した。
その光景を、三人の聖騎士たちは、金縛りにあったように見つめていた。オーラが語っていた「血も涙もない魔王」の姿は、そこにはない。目の前にいるのは、愛する者を失う恐怖に打ち震え、無様に、あまりにも無様に泣き叫ぶ、一人の男の姿だった。
「……な、なんだ、これは。……俺たちは、何を……」
レイドの手から、鉄球が滑り落ちる。アルスの涙。その「嘘のなさ」が、彼らの脳内に張り巡らされたオーラの洗脳(社会的誘導)という名の薄氷を、無惨に叩き割っていく。自分たちが蹂躙していたのは、怪物ではない。自分たちと同じ、痛みを知る「人間」だった。
空に浮かぶオーラの魔法映像が、微かに歪んだ。アルスの涙は、オーラが築き上げた「完璧な正義の物語」に、修復不能な亀裂を入れたのだ。
「アル、ベラ……死ぬな。……俺から、奪うな……っ」
アルスは泣きながら、自分の傷口から溢れる血を、アルベラの傷口へと押し当てた。
略奪の力ではない。ただの、呪わしいほどの生への執着。
その血と涙が混ざり合い、二人の境界を曖昧にしていく中で、アルスの魔力が異常な脈動を始めた。
悲しみを知らぬ偽善を殺すための、真実の毒。アルスの内側で、「悪」に徹しきれなかった人間性が、皮肉にも史上最強の「略奪」を起動させようとしていた。




