第13話 虚像の瓦解、聖別の濁流
リュークの死体から立ち上る黒い煙が、雨上がりの湿った空気に溶けていく。アルスの腕の中で絶命した第一騎士の無残な末路は、すぐさまオーラの「神託」によって、最も劇的で、最もおぞましい『悲劇』へと書き換えられた。
『見なさい、同胞たちよ。リュークは、あの怪物の呪いによって魂を焼かれ、自ら命を絶たされた。救いはありません。あの男を野放しにすることは、世界に対する最大の冒涜です』
天を覆う魔法映像の中で、オーラは美しく歪んだ顔で涙を流している。その映像を見上げる民衆の目は、もはや理性の光を失っていた。怒りと恐怖。それはオーラが最も好む、大衆を操るための安価な燃料だ。
アルスは、冷たくなったリュークを瓦礫の傍らに横たえ、ゆっくりと立ち上がった。その瞳には、かつての復讐鬼が宿していた暗い情熱とは異なる、底知れない「静寂」があった。抑えきれない人間性の残滓はまるで、絶望の淵に立つ聖者のようだ。
「アルス、次が来るわ。……今度は三体同時ね」
傍らに立つアルベラが、不快そうに目を細めた。
彼女の千里眼は、丘の向こうから迫る三つの異なる殺意を捉えていた。
豪雨のごとき重圧を纏う重騎士、レイド。
冷徹な処刑人の眼差しを持つ暗殺騎士、テンペスト。
そして、狂信的な慈愛を謳う法術騎士、アルマー。
三人は、リュークの無残な死(とオーラに信じ込まされた光景)を目の当たりにし、各々の正義を極限まで沸騰させていた。
「逆賊アルス! 我が友リュークの無念、その命をもって償わせる!」
レイドが巨大な鉄球を振り回し、地響きと共に突進してくる。彼の正義は「力」だ。強き者が弱き者を導き、悪を粉砕する。オーラはその単純な自負を洗脳で肥大化させ、「自分より弱い者はすべて守るべき対象か、あるいは救いようのない悪か」という極端な二択を植え付けていた。
「……力、か。お前が守っているのは、平和か? それとも、自分の優越感か?」
アルスは避けない。 鉄球が唸りを上げて迫る直前、アルスは自らの左肩を敢えてその衝撃の軌道に晒した。ぐしゃり、と骨の砕ける嫌な音が響く。だが、アルスの顔に苦悶の色はない。ただ、子供を諭すような、悲しげな笑みだけがあった。
「なっ……! 何故避けない! 貴様、俺を馬鹿にしているのか!」
「いいや。お前の拳があまりにも軽かったからだ。……リュークが最後に背負った絶望に比べれば、お前の『正義』には、血の匂いさえしない」
アルスは砕けた肩から溢れる「人間すぎる血」を、レイドの鉄球に塗りつけた。瞬間、略奪の波動が鉄球を伝い、レイドの脳内にある『強者としての記憶』を逆流させる。彼がこれまで「正義」の名の下に踏みにじってきた弱者たちの悲鳴。オーラの誘導によって「悪」と決めつけ殺してきた無実の人々の断末魔。
「が、はっ……!? なんだ、この……声は……!」
レイドが膝をつく。その背後、影から音もなく現れたテンペストが、アルスの首筋に双剣を突き立てようとした。しかし、その刃が触れる直前、アルベラが放った魔力の糸がテンペストの手首を絡め取る。
「おいたわしいこと。貴方も、オーラという蜘蛛の巣に囚われた、ただの羽虫に過ぎないのね」
アルベラは微笑む。その微笑みは、アルスの絶望を傍らで愛でる共犯者としての、残酷なまでの美しさに満ちていた。
「テンペスト、お前の『速さ』は逃避の現れだ。真実を見るのが怖くて、ただ駆け抜けているだけだ」
アルスは首筋に刃を受けながら、テンペストの瞳を真っ向から見据えた。血が滴る。アルスの「善人に見える」その姿が、テンペストの冷徹な殺し屋としての理性を根底から腐食させていく。
「……貴様、本当に……あのオーラ様が仰るような……怪物なのか……?」
最後に残った法術騎士、アルマーが震える手で杖を掲げる。
彼の洗脳は、最も深かった。彼は純粋に、アルスを殺すことがアルス自身の魂を救うことだと信じ込まされている。
「救い……救いを! 貴方のその悲しい瞳を、光で焼き払ってあげます!」
アルマーが放つ極大の神聖魔法『聖別の濁流』。それは対象の「負の感情」を燃料にして燃え上がる、精神破壊魔法だった。だが、アルスはその光の中に、自ら一歩を踏み出した。
「ああ、焼けばいい、アルマー。……だが、その光の先に、お前の守りたかった『人』はいるのか?」
アルスの言葉に、アルマーの動きが止まる。かつてリュークが見た地獄の光景。それをアルスは【略奪者】の力で共有し、アルマーの脳内へ直接投射した。
三人の騎士たちは、光の中で立ち尽くしていた。自分たちが信じていた「正義」が、いかに脆く、いかに醜悪な偽装の上に成り立っていたか。アルスの流す血と涙が、オーラの社会的誘導という名の「虚構」を、確実に、そして残酷に溶かしてゆく。
「……アルベラ。準備はいいか。……この『正義』の連鎖、俺がすべて奪い去る」
アルスの影が、三人の騎士を飲み込むように、どす黒く広がっていった。




