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NTR勇者、我が道を征く〜闇に堕ちた英雄は、復讐を誓う。〜  作者: アルファベータ
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第12話 揺らぐ聖域の産声

 

 アルスの血が、白銀の盾に触れた瞬間だった。じり、と焼けるような音がして、リュークの視界が歪んだ。


 「……っ、何をした、アルス……!」


 叫ぼうとしたリュークの喉が、引き攣る。オーラが植え付けた「清廉な騎士」という仮面が、アルスの放つ生々しい「人間」の波動によって、内側からひび割れていく。意識の深淵。そこには、彼が「正義」を狂信することで、あるいはオーラの洗脳を甘んじて受け入れることで、何十年も奥底に沈めてきた泥濘があった。


 ――雨が降っていた。いや、あれは雨ではなく、空から降り注ぐ絶望の匂いだったのかもしれない。


 東方の貧しい辺境。幼いリュークは、床板の隙間からそれを見ていた。


「う…うっ……やめて。やめてよぉ……お兄ちゃん…たすけ……」


 目の前で、たった一人の妹が魔物の群れに蹂躙されていた。人間を食料としか見ていない、肥え太ったオークどもの汚れた手が、妹の細い手足を掴み、おもちゃのように振り回す。彼女の上げ続けていた悲鳴が、ぷつりと、何かが壊れる音と共に途絶えた。


 「く、くそ……ッ」


 リュークは動けなかった。ただ、震えていた。指一本動かせば自分も見つかるという恐怖が、兄としての愛を容易く凌駕した。その「自己嫌悪」という名の猛毒が、彼の魂に最初の消えない傷を刻んだ。


 雨と共に魔物は去っていき、結果だけがそこに残った。


 魔物が去った後、村に戻った両親は、生き残ったリュークを抱きしめることはなかった。


 「なぜ、お前が生きている」


 父親の目は、狂気に染まっていた。それからの日々は、地獄という言葉ですら生ぬるい、果てしない否定の連続だった。食事は与えられず、ただ「守れなかった罪」を贖わせるための暴力が振るわれた。父親が振り上げる太い杖。母親が向ける、死んだ魚のような、軽蔑に満ちた眼差し。


 『お前が弱いからだ』

 『お前が臆病だったから、あの子は汚され、殺されたんだ』

 『お前が、お前が』

 『お前がお前がお前がお前がお前がお前が……』


  虐待の痛みは、やがて麻痺した。だが、心の中に空いた空洞だけは、どれだけ殴られても埋まらなかった。彼は泣き崩れることさえ許されず、ただ「強さ」という実体のない救いを探し続けた。


 虚しい。


 何を食べても味がせず、誰と笑っても腹の底は冷え切っている。親の愛を、妹の命を、自分自身の尊厳を。すべてを奪われた彼が、最後に簒奪されたのは、「自分の意志で立ち上がる」という選択肢だった。


 そこに現れたのが、オーラだったのだ。


 『君は悪くない。悪いのは、この不条理な世界だ』


  差し出されたオーラの白く美しい手。それは、親にも、神にも見捨てられたリュークにとって、唯一の正解に見えた。オーラはリュークに「正義」という名の麻薬を打った。「お前は聖騎士だ」「お前は正しい」「お前は愛されている」。そう信じ込むことで、リュークはようやく、妹を見捨てた自分という汚物から目を背けることができた。


    ──────────────────────────────


 「……ああ、ああああッ!」

 リュークの喉から、獣のような嗚咽が漏れた。アルスの血が触れた箇所から、清廉な「正義」のメッキがどろどろと剥がれ落ちていく。視界に映るのは、返り血を浴びてなお、慈母のような静謐さを湛えて自分を見つめるアルスの姿だ。


(おかしい。何かが、決定的に狂っている)


 脳の奥底で、警告音が鳴り響いていた。オーラは言った。アルスは魔王に魂を売った、血も涙もない怪物だと。だが、今、自分の頬に触れているこの掌の熱はどうだ。自分の醜い過去を暴きながらも、それを嘲笑わず、ただ事実として受け止めるこの瞳の透明度は何だ。


 対して、自分に剣を授けたオーラの笑顔。あれは、本当に「温かかった」か?思い返せば、オーラの言葉には常に「みんな」という隠れ蓑があった。「みんなが望んでいる」「みんなが幸せになる」。そこに、リューク個人の痛みに対する救いなど、最初から無かったのではないか。


 違和感。それは、小さなひび割れだった。妹を見捨てた罪悪感。親から受けた暴力の痕。それらを「正義」という麻薬で誤魔化し、思考を止めていた。違和感を覚えるたびに、オーラの神々しい光を浴び、自らの意志を殺してきた。


 「……アルス。教えてくれ。お前は……お前は本当に、世界を滅ぼす悪魔なのか?」


 リュークの声は、震えていた。縋るようなその問い。己のアイデンティティを、再び「他者」に委ねようとする弱さ。それに対し、アルスは悲しげに、しかし残酷なほど明確に首を振った。


 「善か悪か。そんな空っぽなラベルに何の意味がある。リューク、お前が今感じているその『吐き気』こそが、お前自身の魂の形だ」


 アルスはリュークの耳元で、囁くように言葉を置いた。


 「オーラが何と言おうと、世界がどう叫ぼうと関係ない。お前が妹を見捨てたことも、親に殴られたことも、すべてはお前の因果だ。それをどう定義するか、自分の意志で決めろ。……誰かの操り人形として死ぬか、一人の人間として地獄を歩むか」


 自分の、意志。その言葉が、リュークの脳内に巣食っていたオーラの「社会的誘導」の呪縛を、内側から爆破した。

 

 「……ああ。そうか。私は、逃げたかっただけなんだな」


 リュークの瞳に、数十年ぶりに「個」としての光が戻った。彼は血に汚れた盾を投げ捨てた。白銀の甲冑が重く感じられる。オーラの洗脳という名の鎧を脱ぎ捨て、むき出しの人間として、彼はアルスを見た。


 「ありがとう、アルス。お前は悪魔なんかじゃない。……お前は、誰よりも――」


 その瞬間だった。リュークの首筋に刻まれていた目立たぬ聖印が、どす黒い光を放った。


「が、はっ……!?」


 改心の言葉は、鮮血と共に霧散した。オーラは「みんなの善」から外れる個体を許さない。彼の洗脳は、精神の転向を感知した瞬間に発動する、物理的な抹殺術式でもあったのだ。


 「あ、……あ……」


 リュークの身体が、内側から焼き切れるように崩壊していく。崩れ落ちるその身体を、アルスは迷わず抱きとめた。

 

 「……アル、ベラ。……見て、いるか」


 アルスが、空を仰ぐ。その瞳からは、本人の意志とは無関係に、一筋の涙が零れ落ちていた。もっともらしい善人の顔をしたまま、アルスは今、初めて「自らの意志で光を選ぼうとした人間」を、その腕の中で失った。


 丘の上で、それを見ていたオーラが、冷ややかに告げた。


 『哀れなリューク。彼はアルスの邪悪な術中に嵌り、自ら命を絶った。……やはり、アルスは一刻も早く滅ぼさねばならない「毒」ですね』


 民衆の怒号が、遠くで波のように押し寄せてくる。アルスは冷たくなったリュークを横たえ、ゆっくりと立ち上がった。抑えきれない人間性の残滓が、彼をいっそ神々しく、凄絶な「善」へと塗り替えていく。その胸中に燃え盛るのは、もはやただの憎悪ではない。「個」を圧殺する世界そのものに対する、絶対的な拒絶だった。


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