第56話 デサン・キアロ:祝福
春の祝祭が終わって間もない頃。
戴冠式と婚礼の儀の前夜のことだった。
王都の片隅にある仕立て屋の工房には、まだ灯りが残っていた。
イザークは作業台の横に腰掛けて、何度目とも知れぬ溜息をつく。
台の上には平たい木箱。その中に入っているのは——
店の表の扉が開いて、誰かが入ってきた。
「……あ」
気づいて思わず声が漏れる。
ナギ商会主、デサン・キアロ。今日は——また一人だ。
「遅くにすまないな」
それだけ言って、デサンは店内へ足を踏み入れる。
イザークは奥へ案内しようとしたが、デサンは軽く手で制した。
「すぐに済む」
そう言ってデサンは懐から手形を一枚取り出し、カウンターの上に置く。
イザークはそれを見て、息を呑んだ。思考が止まる
。――あまりに高額だった。
「良い仕事をしてくれた」
デサンは穏やかに言った。
「正当な対価だ」
イザークは思い出す。
あの色。
あの布。
あの刺繍。
胸の奥に、言葉にできない不安が渦を巻く。
――本当に、あれを。
デサンは、そんな様子を気にも留めず、鼻で小さく笑った。
「心配はいらない」
まるで、すでに答えが出ているかのような口調だった。
「今の女王には、一番相応しい姿だ」
淡々と、確信だけを込めて言う。
「ファルロスの色と、ナギ商会の布に包まれて――あの娘は、王冠を被る」
祝福の言葉には聞こえなかった。
かといって、嘲りでもない。
ただ、“そうなる”と知っている者の声だった。
「明日は、いい日になる」
そう言い残し、デサンは踵を返す。
扉が閉まり、工房には再び静寂が戻った。
イザークは奥へ入り、木箱をそっと開けた。
”戴冠衣装”の残り布。深い緑。レグリアングリーン。
――この色が、王家の色になる。
デサンのその言葉がずっと、耳に残っていた。




