第52話 伝統と象徴
戴冠式と婚礼の儀は同日に行うことをミリアは決めた。
予算削減と祝祭からの盛り上がりの両面から見て最適と判断したからだ。
戴冠式はともかく、婚礼は急に決まったこともあり、準備は慌ただしいものとなった。婚礼衣装や式典の段取り、来賓の宿泊や動線、宴席の準備や飾り付け、警備の配置などやることはいくらでもあった。
必要な物資も相当な数と量になる。国内最大手であるナギ商会に頼らざるを得ないのが現実だった。
今日も必要物資と来賓の宿泊施設についての打ち合わせで、ナギ商会デサン・キアロは助手のリースを連れて王城へ来ていた。
予定されていた物品関係の打ち合わせが終わったところで、リースは見慣れないやや大きめの布包みを開いた。
現れたのは、反物。
長机の中央に、デサンが布を広げる。光を受けた瞬間、そこにいた全員が息を呑んだ。
深い緑。深いのに暗く感じない、むしろ鮮やかな緑。内側から淡く光を返すような、不思議な光沢を帯びている。
よく見ると細かな模様が織り込まれており、最高級の布地であることがわかる。
デサンが慣れた手つきでドレープを作ると、深い緑から虹色を帯びた模様浮かび上がる。
「これは……」
誰かが、思わず漏らした声だった。
「ファルロスの媒染液によってのみ得られる特別な色です。素晴らしい色でしょう?」
デサンは静かに言った。
「ファルロスの?」
ミリアが不思議そうに言った。
「ファルロスは染料になるのですか?」
デサンはゆっくり説明する。
「染料自体はよく知られた植物ですな。植物で染めたあと、ファルロスを液体に溶かしたものを使うと、このように発色するのです。染料ではなく、発色剤になるとお考えください」
「そういうものなのですね。それにしてもこの色は」
「良い色でしょう? 私はこれを、レグリアングリーンと名付けました」
布の上を、彼の指先がなぞる。そしてサラッと言った。
「女王陛下の戴冠衣装を、この布で仕立てさせていただきたい。併せて、式典で用いられる装飾布、壁掛け、儀礼用具のクッション類もすべて、この色で統一を」
その言葉が終わるより早く、マグリットが立ち上がった。
「——そんなこと、できるわけがありません!」
張りのある声が室内に響く。
「戴冠式は王家の儀式です!
王家の色は“湖底の青”。
染めは王室指定の工房、
仕立ては王宮の針子。
それが何百年と続いてきた決まりです!」
デサンは、微動だにしなかった。ただ、穏やかに視線を向ける。
「承知しておりますとも」
そして、まるで談笑でもするかのように続けた。
「ですから、王家の色を無くせとは申しておりません。『湖底の青』は婚礼衣装でお使いになれば良い」
デサンは布を軽く持ち上げる。
「次代を象徴する、新しい、ファルロスの色を——率先して、戴冠なさる陛下にお纏いいただきたいのです」
沈黙が落ちた。
ジルベールが咳払いをして、慎重に口を開く。
「……軽い問題ではありませんな。議会に諮る必要があるでしょう」
「では、そうなさってください」
即答だった。
その言葉の意味を、ここにいる全員が理解していた。議会の多数派は、すでに商会寄りだ。諮ったところで、意味はないということだ。
「新しい時代にふさわしいデザインにさせていただきますよ」
決まったかのように語るその声には、迷いも不安もなかった。
「——時代が、変わるのですから」
ミリアは、黙って布を見つめていた。
デサンが名付けたレグリアングリーン。
ファルロスの色。そしてこの生地は、ナギ商会の象徴とも言える「セリム織」。
母マルセラの声が、胸の奥で蘇る。
――『王族の着るものには、意味と役割があるのよ』
これは、ただの衣装の話ではない。
この国の支配がどこにあるかを、示すということだ。
視線を上げると、デサンと目が合った。
その眼差しは、勝者のものだった。
だが、嘲りはない。
あるのは、現状理解と確信だけ。
——逃げ場はない。
ミリアは、ゆっくりと息を吸った。
「……ジルベールのいう通り、議会に諮った上で検討します」
その一言で、場の流れが決まった。
マグリットが唇を噛みしめ、ジルベールは目を伏せる。
デサンは、いつものように、慣れた手つきで布を畳んだ。




