第49話 赤面と誠意
夜明け前の執務室には、まだ暖炉の火が入っていなかった。
窓の外は白み始めているが、空気は張り詰めている。
呼び集められた面々は、いつもより少し早い時間に揃っていた。
ジルベールが椅子に腰を下ろし、顎髭を撫でながらにやりと笑う。
「ほっほ。こんな早朝から呼び出しとは……陛下、昨夜は王子殿下と、何かおありでしたかな?」
一瞬、室内の空気が止まった。
「……っ!」
ミリアの顔が、反射的に赤くなる。
「えっ!?」
隣に控えていたティエルまで、つられて目を見開き、耳まで赤くした。
「な、なにが……な、何があったんですか……?」
「……ジルベール様」
マグリットが、にこやかだが一切笑っていない表情でジルベールを睨み据えた。
「朝一番の会議でございます。陛下を動揺させるのはお控えくださいな。」
「おお、これはこれは」
ジルベールは肩をすくめ、わざとらしく咳払いをする。
「失礼。年寄りの悪癖でしてな」
ミリアは一度、深く息を吸った。
赤みが残る頬を軽く押さえ、視線を上げる。
夜明けの光が、執務室の高窓から差し込み始めていた。
集められたのは、女王陣営の側近たち――ジルベール、マグリット、ティエル、アシェラ、ダリオ、ボンネル。
サイファは外で警戒している。
ミリアは卓の上に両手を置き、静かに口を開いた。
「……まず、ご報告します」
一同の視線が集まる。
「王子殿下より、私との婚約について、前向きなお気持ちを確認できました」
一瞬、室内の空気が緩んだ。
「ほう」
ジルベールが顎髭を撫でる。
「それは重畳。して、そのお言葉は――どのような形で?」
「……」
ミリアの動きが、ほんの一拍止まった。
マグリットは黙っている。
ボンネルが事務的に追い詰めた。
「大切な点です。正式な意思表示か、それとも含みのある表現かで、こちらの出方も変わりますので」
「え、ええ……そうですね……」
ミリアは一度、咳払いをした。
「その……殿下は、『結婚したら』という言葉を用いられました」
「ほうほう」
ジルベールの目が、きらりと光る。
「『結婚したら』とな。はっきりとしたお言葉ですな。これは確かに、意思ありと見てよろしいかと」
「……」
ミリアの頬が、じわじわと赤くなっていく。
「具体的には?」
ティエルが、悪気なく首を傾げた。
「どういう文脈で出てきた言葉なのかが、気になります」
「……ティエル」
アシェラが小さく制するが、遅かった。
「前後の文脈によっては意味が変わる可能性も」
「ええと……」
ミリアは視線を逸らし、指先をきゅっと組む。
「……私が、殿下に……『私のことを、どう思っていらっしゃいますか』と、お尋ねして……」
「それで?」
ジルベールの追撃。
「……その返答として、『結婚したら、もっといろいろなお顔が見られると思うと楽しみだ』と……」
一瞬の沈黙。
そして。
「……」
「……」
「……えっ」
ティエルが、ぽかんと口を開けた。
「そ、それは……」
「ずいぶんと、踏み込んだお尋ねをなさいましたな、陛下」
ジルベールは、肩を震わせている。
「ち、違います!」
ミリアが慌てて顔を上げる。
「そ、そういう意図ではなくて……!その、状況的に、追い詰められて……!」
顔はすでに真っ赤だ。
「だって、マグリットが『若い美しさも武器ですわ』なんて言うから!」
「色仕掛けのアドバイスではありませんわ」
即座に返すマグリット。
「い、ろっ……とか、そういうこと言わないで!」
「まあまあ」
ジルベールが手を振る。
「そう誤解するのも無理のない助言じゃて」
「陛下は、いつも少し頑張りすぎなんです」
マグリットは、どこか楽しげに言った。
「ですから、緩んだ時の素顔の魅力も知っていただきたい、と思っただけですわ。ふふ」
「……ってことは」
ティエルが、恐る恐る言う。
「マグリットさん、確信犯じゃないですか」
「皆、そこまで。陛下がお困りだ」
低く、落ち着いた声。
アシェラだった。
「結果的に、殿下のお気持ちを確認できたのであれば、それでよろしいかと」
「……」
ミリアは深く息を吐き、赤くなった頬を手で押さえた。
「……ともかく」
顔を上げた時、その表情は引き締まっていた。
「王子殿下は、軽い気持ちでこの国に来ているわけではありません。だからこそ――次の話を、避けては通れません」
一同の空気が、再び張り詰める。
「例の件です」
ジルベールが静かに頷いた。
「ナギ商会が隠してきた、“大切なもの”。ファルロスについて――どこまで話すか、ですな」
ミリアは、まっすぐに皆を見渡した。
「はい。隠さずに、話します」
その声には、もう迷いはなかった。
その一言で、場の空気が一変した。
ティエルが背筋を正し、アシェラは静かに頷く。
サイファは壁際で腕を組んだまま、視線だけを動かした。
ミリアは机の端に指先を置き、ゆっくりと言った。
「私は、今わかっていることは……できる限り、すべてお伝えしたいと思っています」
「“すべて”となりますと」
ジルベールが言葉を引き取る。
「十分な量が採れて、軍事利用が可能な段階に研究が進んでいる、ということまで、ですな」
ティエルがすぐに口を挟んだ。
「ですが陛下。我々が実際に鉱脈や武器を確認したわけではありません。あくまでナギ商会――デサン・キアロの申告に基づく情報です」
「ええ、そうですね」
ミリアは頷いた。
「ですから、“確認していない”という点も含めて、正直に話すべきだと思っています」
「ふむ……」
ジルベールは顎に手を当てる。
「ラストリアに漏れれば、軍事的介入は避けられん。ヘルガンに知られれば……この国は、戦場になる」
重い沈黙が落ちる。
その中で、アシェラが一歩前に出た。
「これは最重要機密です。殿下と話す場所を、慎重に選ぶべきかと」
全員の視線が向く。
「城内の執務室は避けたい。人目がなく、音が漏れず、万一の際にすぐ対応できる場所がいい」
アシェラは少し考えて、続ける。
「外がいいですね。見張りを置きやすく、聞き耳も立てにくい」
「……庭園、か」
ジルベールが呟く。
ミリアは静かに頷いた。
「冬の夜にしか咲かない花がある、と言って誘います」
マグリットが、わずかに微笑む。
「風情があって、よろしいですわね。お二人の暖かい上着を準備しますわ」
「ですが」
ティエルがまだ迷いを残した声で言った。
「本当に……そこまで話して、いいのでしょうか」
ミリアは、はっきりと答えた。
「隠したまま、選ばせることは不誠実よ。そして危険だわ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
「この国の命運がかかっています。それを知った上で、それでも共に立てるか――問わずに婚約を結ぶことは避けたいの」
ジルベールは、しばらく黙ってミリアを見つめていたが、やがて深く頷いた。
「……よろしい。ではこの老骨も、その賭けに乗りましょう」
「ありがとうございます」
ミリアは小さく頭を下げた。
ダリオがすぐに警備配置を提案する。
「外周の警備は近衛隊に、声が届く範囲の警戒はサイファに」
ダリオが配置図をさっとメモする。
「お二人の護衛には、私が。」
ミリアを安心させるようにアシェラは微笑む。
マグリットは一歩下がり、静かに告げた。
「では、皆準備を。――陛下、もう後戻りはできませんよ」
ミリアは、しっかりと頷く。
「エルナン王子殿下に『ファルロスの秘密を保ったまま』我が国に婿入りしていただく。これが勝利条件です」
「はい!」
コルレド王国の、決断の朝だった。




