第48話 枕と決意
廊下を、小走りに駆けた。
夜の王城は静かで、足音がやけに大きく響く気がして、ミリアは思わずスカートの裾を握りしめた。
後ろから侍女たちの気配が追ってくるが、振り返る余裕もない。
(もう……もう……!!)
自室の扉をくぐり、ほとんど飛び込むように中へ入る。
扉が閉まる音を確認した瞬間、ミリアはその場にへたり込み、次いでベッドに突進した。
「~~~~っ!!」
枕を掴んで、思いきり叩く。
「な、なにを……なにをやっているのよ私は!!」
もう一度、枕パンチ。
さらにもう一度。
(膝に、縋りつくって……!)
(上目遣いって……!)
(甘い声って……!!)
恥ずかしさが遅れて爆発する。
「あーあーあー思い出さない、思い出さないのよ……!」
枕に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめる。
頬が熱い。
耳まで真っ赤だ。
女王としての自分はどこへ行ったのか。
(終わった……絶対に終わった……)
そう思った、次の瞬間だった。
――結婚したら、もっといろいろなお顔が拝見できるかと思うと……楽しみです。
言葉が、頭の中で再生される。
ミリアはぴたりと動きを止めた。
「……え?」
枕を抱えたまま、ゆっくりと顔を上げる。
(結婚……したら?)
胸の奥で、何かがひっかかった。
(あれ?)
(今、確かに……)
枕を抱き直し、もう一度、慎重に思い返す。
(“結婚したら”……って)
(それって……)
「……そのつもり、ってこと……?」
心臓が、どくん、と跳ねた。
さっきまでの羞恥が、別の熱に変わる。顔は相変わらず赤いままだが、今度は理由が違う。
(からかってたわけじゃない)
(バカにしたわけでもない)
(むしろ自然な……)
「……あ……」
思い至った瞬間、背筋が伸びた。
(王子は……)
(……そういう、ことなのね)
枕を置き、ゆっくりとベッドから降りる。
胸に手を当て、深く息を吸う。
少女の混乱が、すっと引いていく。
代わりに、別の感情が前に出てくる。
(……なら)
ミリアは立ち上がった。
鏡を覗き込み、自分の顔を見る。頬はまだ赤いが、瞳ははっきりしている。
「……話さなきゃ」
逃げたままでは終われない。
曖昧なまま、選ばせることもできない。
これは、恋の話ではない。
国の命運の話だ。
ミリアは扉の外に声をかけた。
「マグリットを。今すぐ、こちらへ」
ほどなくして、控えめなノックの音。
「姫様――いえ、陛下。どうなさいました?」
入ってきたマグリットは、まだ赤いミリアの顔を見るなり、すべてを察したように小さく微笑んだ。
「……あらあら。ずいぶん、可愛らしいお顔ですこと」
「それは今、言わないで……」
ミリアは深く息を吐き、椅子に腰を下ろす。
「聞いて、マグリット。笑わないでね。……私、やらかしたわ」
短く、しかし包み隠さず。談話室での出来事を、夜の言葉を、逃げ帰ったことまでを語る。
マグリットは最後まで口を挟まず、静かに聞いていた。
話し終えたミリアは、まっすぐに言った。
「つまり……王子は、結婚を前提にしている。そうよね?」
マグリットは、ゆっくりとうなずく。
「ええ。間違い無いかと。でしたら――」
「うん」
ミリアは立ち上がった。もう迷いはない。
「明日の朝一番で、緊急会議を開きます」
「……例の件、ですね」
「そうよ」
ミリアの声は、はっきりとしていた。
「隠したまま、選ばせることはできない。知った上で、それでも共に立てるか――それを問うわ」
マグリットは、深く頭を下げた。
「承知しました。すぐに手配を」
一人になった部屋で、ミリアは窓の外を見る。
冬の夜空は冴え冴えと澄み、月が静かに輝いていた。
(……大丈夫)
そう、自分に言い聞かせる。
(私は、逃げない。そして……きっと、あの人も。)
その夜、コルレド王国は、静かに次の局面へと歩み出していた。




