第47話 焦りと暴走
暖炉の火が、ぱちりと小さく音を立てた。
議会の派閥構成と商会の動きについて、現状を話し終えたところだった。
もう随分と遅い。談話室の外には侍女と護衛が控え、空気は自然と「お開き」を待っている。
エルナンは書類から顔を上げ、穏やかに言った。
「随分、話し込みましたね。今日はこの辺りで――」
その言葉に、ミリアの胸がひやりとする。
(まずい)
残りは、あと二日。
この一週間、二人きりでいる時間は確かに多かった。
だが、王子は終始礼儀正しく、紳士的で、穏やかで、真剣だった。
それゆえに――この国に対して、自分個人に対して、どう思っているのかが掴めない。婚約の意思があるのどうかが、見えてこない。
(このまま、何もないまま帰られたら……)
焦りが、思考を押し流す。
脳裏に、ふとマグリットの声がよみがえった。
――姫様の若いお美しさは、殿方の心を捉える大きな武器ですのよ——
武器。そう、武器。
だが使い方が、分からない。
「陛下?」
エルナンが立ち上がりかけた、その瞬間だった。
ミリアは勢いよく前に出て、
――ガバッと、王子の膝に縋りついた。
「……っ!?」
一瞬、世界が止まる。
エルナンは固まり、ミリア自身も固まった。
(なにやってるの私!?)
だが、もう止まらない。
ミリアは王子の手を両手で包み込み、必死に上目遣いで見上げる。
声を、甘く。
精一杯、甘く。
「で、殿下……。……わ、私のこと、どう思っていらっしゃいますか……?」
沈黙。
暖炉の火の音だけが、やけに大きく響く。
エルナンの目が、点になっていた。
(終わった……)
ミリアの顔が、みるみる赤くなる。
恥ずかしさが遅れて押し寄せ、頭が真っ白になる。
そのときだった。
「……っ、は……」
エルナンが、耐えきれないように息を漏らした。
次の瞬間、思わず吹き出す。
「……ぷっ、ふふ……失礼……」
ミリアは我に返り、ぱっと手を離して立ち上がった。
「そ、そんなに笑わなくても……っ!」
「いえ、失礼しました」
エルナンは姿勢を正し、しかし口元の笑みを隠しきれずに向き直る。
「大変可愛らしいお姿を拝見できたので……嬉しくて」
「――っ!」
その一言が、追い打ちだった。
ミリアの顔がさらに赤くなる。
頭の中で、ぷしゅう、と音がした気がする。
エルナンは、にこりと優雅に微笑んだ。
「結婚したら、もっといろいろなお顔が拝見できるかと思うと……楽しみです」
「も、もう遅くなりましたのでっ!!」
ミリアは叫ぶように言った。もはやエルナンの声は聞こえていない。
「こ、これでっ、しっ、失礼しますわっ! ごきげんよう!!」
礼儀も何もあったものではない。
ほとんど逃げるように談話室を飛び出す。
外で控えていた侍女たちが、何事かと慌てて後を追った。
談話室に残されたエルナンは、しばらくその背を見送り――ようやく息をついた。
そこへ、扉が控えめに開く。
「……殿下。まさか、女王陛下に失礼なことを?」
入ってきた侍従ユリウスに、エルナンは慌てて首を振った。
「違う違う。僕は何もしていないよ。ただ……陛下が、あまりにも可愛らしくてね」
ユリウスは一瞬だけ沈黙し、やがて静かに言った。
「……それは、良かったですね」




