第40話 クラヴィス・ノクス:執念
炉の火を落ち着かせ、俺は作業場の奥へと足を向けた。
工房の中でも、さらに奥。
立ち入り禁止の札が下がる区画だ。
ここから先は、村の連中には見せられない。
ガラス工房の裏手、川音が少し遠のくあたりに、木々に紛れるように建てられた数軒の建物がある。
意識して見なければ、ただの倉や作業小屋にしか見えない。
最初の建物の前で、助手の男が樽を運んでいた。
「おい、クラヴィスはどこだ」
男は一瞬こちらを見てから、顎で奥を指す。
「手前の実験棟です。今日はずっと、そっちに」
礼も言わずに進む。
このあたりに来ると、空気が変わる。炭と砂の匂いじゃない。
湿った鉄と、薬品と、焦げた何かが混ざった、重たい匂いだ。
水力装置が回る低い唸り音が、地面の下から伝わってくる。
規則正しいが、落ち着かない音だ。
実験棟の扉を押し開け、俺は怒鳴った。
「おいクラヴィス、どこだ!」
返事はない。
代わりに、紙の擦れる音と、何かを叩く金属音。
少しして、脇の部屋からもう一人の助手がひょいと顔を出した。
「……こっちです」
俺はそのまま、ずかずかと中へ入った。
助手にかかえてきたカゴを渡す。
注文にあった試験管と薬瓶だ。
貴重なガラス容器だがこいつらに言わせれば消耗品らしい。
言われた部屋の半開きのドアを蹴り開けると、床に散らばる紙が足元で舞う。
文字なのか図なのかも分からない走り書きが、風に煽られて転がる。
拾って読む気にもならない。どうせ、読めやしない。
部屋の奥、机に向かって、ぶつぶつと何かを呟いている男がいた。
背が高く、ひょろりとして、いつ見ても汚れてクタクタの作業着姿。
もじゃもじゃ頭で背を向けたまま、何か書き付けている手は止まらない。
クラヴィスだ。
俺は丸め直した紙切れを机に叩きつけた。
「おい」
ようやく、顔がこちらを向く。
目の下には、相変わらず濃い影。
「寸法の数字が読めねえ」
俺は紙を広げて数字と思しき部分を押さえつけた。
「それに、ここだ。こんな角度で曲げて、しかも均一にこの細さ?ふざけてんのか」
クラヴィスは紙を引き寄せ、しばらく眺める。
読めるレベルの数字を書き加えると、眉一つ動かさずに言った。
「問題ない」
「あるに決まってんだろ」
俺は紙の線をなぞる。
「この径で、この長さを保て? 炉の前に立ったことあんのか」
「ある」
即答だった。
「ラストリアにはあった」
……は?
「この形のガラス器具、使ったことがある。大学の実験室で」
ラストリア大学の実験室……そんなハイレベルなモンをウチの工房で作れってのか。
「だから?」
「できる」
「……」
クラヴィスは一瞬だけ眉を動かした。
怒っているわけでも、怯んでいるわけでもない。
ただ、考えている。
「必要だ。だから作れ」
欲しい、って言えば目の前に現れるとでも思ってんのか。
苛立ちながらも視線が図面の上を走る。
紙の上の線が、落書きじゃなくなっていく。
緻密な厚み調整、曲げ角度に耐熱……しかし、どうすれば良いかが見えてこない。
「……ふざけんな」
そう言いながらも、紙は突き返さなかった。
言葉とは裏腹に、頭の中ではもう計算が始まっている。
砂の配合。炭の質。炉の温度。引き方の順。
クラヴィスは黙ったまま、俺を見る。
「……やってみるけどよ」
自分でも、なぜそう言ったのか分からない。
「すぐにできるとは思うなよ。割れる。歪む。何本も無駄にする」
「なら急いで作れ」
相変わらず、無茶苦茶だ。
俺は紙を掴み、背を向けた。
「ふん、保証はしねえぞ。期待せずに待っとけ」
返事はなかった。だが、それでいい。
工房へ戻りながら、俺は思う。
あのヘンテコな形のガラス管を何に使うかなんて分からない。何のためにやってるのかもさっぱりだ。
だが、あいつは本気だ。
金のためでも、命令のためでもない。
いつも命を削るように何かと向き合ってる。
だったら――応えるしかねえ。
工房に戻ると、炉の前はいつも通りだった。赤い火。砂の匂い。汗の混じった空気。
だが、頭の中だけが落ち着かない。
——「ラストリアには、あった」——
そいつらが作れたモノなら俺にできねえはずはねえ。
俺は作業台に紙を広げ、炭の粉がついた指で、必要なものを書き殴った。
細い鉄材。
厚みの違う板。
留め具。
特注の金具。
失敗分を見越した数量。
それから最高級の木炭を山ほど。
村から買い上げる分では到底足りない。
書きながら、舌打ちが漏れる。
俺の稼ぎの何年分だ?
「……クソが」
横に控えていた弟子に紙を突き出す。
「これ、すぐに商会に回せ」
弟子は紙を受け取り、目を走らせた瞬間に顔を引きつらせた。
「親方……また、こんな……」
声が小さくなる。金額を見たんだろう。
俺は吐き捨てるように言った。
「金はいくらかかってもいいって話だからな」
弟子は何か言いかけたが、結局黙って紙を畳んだ。その背中に、俺は言い足す。
「どうせあっちは断りゃしねえ。ケチって失敗するよりマシだろうよ」
弟子は一礼して、足早に工房を出ていった。
炉の火が、ぱちりと音を立てる。俺はもう一度、設計図を見下ろした。
——できるかどうかじゃねえ。
やれと言われたから、やるだけだ。
商会館の執務室は、いつも通り静かだ。
厚い絨毯が足音を吸い込み、窓ガラスからゆらりと差す光は柔らかい。
リースは机に並べた書類を見つめ、ふぅと息を吐いた。
……またか。
紙の端を指で押さえ、金額の欄を見直す。
見間違いではない。
この桁数、他では滅多に見ないものだ。
デサンの視線を感じてリースは視線を上げる。
「例の場所からの注文書です」
デサンの視線が続きを促す。
「……眩暈がしますよ。こんな額で、毎月ですからね」
リースは注文書を見せて、指先で合計額の欄を示した。
「この投資は……本当に回収できるんですか?」
その問いに、デサンは興味深そうにリースを見つめ、ほんの少し口角を上げる。不安なのか?と。
「……ふむ」
その口元が、わずかに歪んだ。
優雅に、楽しみを待つようにイタズラっぽく笑う。
「回収できなければ……そうだな。我々の、負けだ」
リースは言葉を失った。数字の重みと、その軽やかな声音の落差。
——負け、か。
彼は再び注文書を手に取った。
この人が見ている「ファルロス」とは、それほどに大きなものなのか。
毎月の巨額の出費が積み重なったとしても、何の影響もないほどに。
掴みきれない自分がもどかしい。
リースは注文書に認可のサインをして、処理済みの箱へ入れた。




