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第34話 女王と商人

謁見の間の北側、玉座より一段下がった台に女王ミリアは立っていた。


黒い喪衣を纏い、飾りの控えめな冠をいただいたその姿は、まだ若く、けれど毅然と王国の頂に立つ者のそれだった。


玉座の前には、故皇太后マルセラの弔問に訪れた者たちの列が続いていた。廷臣、貴族、近隣国の大使たち、地方の有力者たちがひとりずつ頭を垂れ、祈りを捧げていく。やがて、その中に目を引く男が現れた。


デサン・キアロ。ナギ商会の主。

今やこの国の隅々にまで影響を及ぼす大商会を率いる男。

その顔を見た瞬間、ミリアの記憶がざわめいた。


——この顔。思い出した、あの時の——


色とりどりの布が広げられ、母とヴェラの笑い声が響いていた。

優しく穏やかな声で語る男。母のお気に入りの布商人として城に出入りしていた、あの人懐こい笑顔。

あの時は誰も、まさかこの男が国を混乱に陥れるなど思いもしなかった。


静かに深呼吸をひとつ。

今、この場にいるのは王国の主としての自分。策は授けられている。

翻弄されてはならない。

デサンは定形通りの弔問挨拶を述べている。

言葉が終わるのをじっと待つ。


ミリアは視線を真っ直ぐに向け、初手から刃を投げつけた。


「あなたがデサン・キアロですか。……私をどうするつもりですか?」


穏やかならぬ異例の返答に、列席していた宰相や議員たちがざわりと動揺する。場が凍りついた。

デサンは一瞬だけ目を細めた。哀れむような表情で神妙に答える。


「それは一体……なぜそのようなことをおっしゃるのですか」


穏やかで、宥めるような声音。悲しみのあまり正気を失った娘、とでも見せるつもりか。


だが意表は突けた——そう感じた。

ここからだ。

デサンの思惑通りにさせてはならない。


理知的で冷静な声色を意識して、改めて問い直す。


「父も、母も、いなくなりました。次は私なのでしょう?」


優雅な笑みを湛えたまま、続けて刃を放つ。

誰もが息を呑み、視線を交わしながらそのやり取りを見守っている。

デサンは表情を変え、困惑を表に出してきた。


「なぜそのような。」


「答えられないのですか?あなたは知っているはずです」


証拠もなければ、命じて捕らえる力もない。

だが、この場で彼の虚を突き、揺らぎの隙間から真意をわずかでも引き摺り出す。


それが今できる最大の抵抗だ。

ミリアは視線を逸らさず反応を待つ。


デサンはしばし沈黙した。

周囲の目を意識しているのか、慎重に返答を練っているようにも見える。


その隙を逃すまいと、ミリアは問いを重ねた。


「デサン・キアロ。反論なさらないのですか?」


「……違うと申し上げても、信じてはいただけないようですので」


その言葉には、感情の色がほとんどなかった。

ただひとつ、ミリアが戦う意思を見せたことに確かに応じた気配がある。


「王女様を、微力ながらお支えしたく馳せ参じました。ですが——」


言葉の端をわずかに伏せ、寂しげな調子で続けた。


「身に覚えのないことでございますが、なんらかのお疑いが晴れぬとなれば、他国へ移ることになりましょう。私も命は惜しく、娘もおりますので」


——命が惜しいときた。

それは、こちらの台詞だ。

子煩悩な父親の仮面を上手く使い、脅しをすり替える。


”他国へ移る”


それは他国と手を組み、この国を武力で征服するという意味だ。

この男——今のナギ商会ならば難しいことではないだろう。ミリアの背に、ぞっと冷気が走った。


「私があなたを処罰するかもしれないと?」


「……」


言葉なく、怯えたような目。

だが、それは芝居に過ぎない。


「私には何もできないとわかっていているのでしょうね」


「滅相もございません」


礼儀正しく、神妙に。

だがその表情には微かに、しかし確かな余裕がにじんでいた。


ミリアは方針を転じた。

今度は父と母を失い、哀しみと恐怖に囚われた姿に。


ミリアは悲しげに目を伏せて、声を弱めて問いかけた。


「どう思いますか? 誰かが王と王妃を弑したとしたら、その者はなぜ私を殺しに来ないのでしょう?」


デサンはゆっくりと顔を上げ、憐れむような表情で答えた。


「国王陛下は不慮の事故で亡くなられました。王妃様はその心労から衰弱され、病に伏されたと聞いております。続けてご両親を亡くされた殿下のご心痛、察するに余りあります」


設定は変えないという意思表示だ。

口惜しいが今は逆らう力はない。


(しかし、王女様、殿下、とは)


すでに即位している以上「陛下」と呼ばれるべき立場を、デサンはあえて「殿下」と呼んだ。

言い間違いに見せかけた侮蔑。

そう受け取られることもおそらく計算されている。


「事故。そうでしたね」


ミリアが頷いた瞬間、デサンの目の奥が僅かに光を宿した。


「今、この国は王女様に託されております。どれほどお辛いことかとお察しいたしますが、どうかこらえていただきたいのです」


「……私に、何を望むのですか」


「僭越ながら申し上げます。女王として、この国を導いていただきたいのです。殿下は正当な後継者であらせられます。先の暴動以降、民も不安に思っております。喪が明け次第、ご戴冠を」


——戴冠。


やはり操るつもりか。

殺すより、生かして傀儡とする方が得策と踏んでいる。

権威の表面を維持しつつ、実権は他が握る。

よくあるやり方。


しかし一体何のために? まだこの男の目的が見えない。


「戴冠……そして?」


「宰相殿や元老院議員、忠実なる臣下の方々が、女王陛下をお支えになるでしょう。大国間に不穏な気配もございます。今、弱みを見せることはコルレド王国にとって危険なことかと」


自らが“支える”とは言わない。

商人は臣下ではない、という立場を巧妙に崩さないまま、裏から国政に介入するつもりなのだ。


ミリアは皮肉を込めて返した。

ここで会話を終わらせてはならない。


「そのようですね。このような混乱のうちにある我が国など、あっという間に消えてなくなるのでしょうね」


デサンは語気を強くした。


「そうさせてはならないと、外国人の私でも思うのです。この国は、素晴らしい」


饒舌に語るその言葉に、嘘くささは感じられない——それが、なぜか怖い。

しかしミリアはそこに引っ掛かりを感じた。


「ありがとう。でも、なぜそう思うのですか。『この世は弱肉強食、残酷なのが理』——あなたの言葉だと聞いています」


デサンの眉が、わずかに動いた。

ミリアの背筋にひやりとした緊張が走る。

反応があった。


もう一段踏み込む。


「なぜ、外国から来られた“あなたが”そこまでこの国を思ってくださるのでしょう?私の、大切なこの国を」


デサンはほんの少し、微笑んだ。ゆっくり息を整えてから語り出す。


「恐れ入ります。実は、この国で——大切なものを、見つけたのです。私ごとで恐縮ですが……誰にも奪われたくない。失いたくないと、そう思っているのです」


愛の告白のような言葉。

だが、その微笑みのもとである「大切なもの」が、愛や情ではないことは明白だった。


核心に近づいている。

もう少し、あと一歩踏み込めれば。


「では……その『大切なもの』が何か、教えていただけるのかしら?」


少し、間があって


「女王陛下の仰せとあらば、折を見て」


誠実な声音。

だがその瞳は、にやりと笑っていた。


教える、と言った。

つまり取引を持ちかけているのだ。


『女王』を生かして従わせ、危機を回避し『大切なもの』の権利をとる。

それがこの男の望みか。


ミリアはゆっくりと頷いた。


「いいでしょう。此度の喪が明け次第、戴冠式を。あなたの言う通りに。民の望むままに」


デサンは丁重に頭を下げる。


その上から、女王は声を落として告げた。


「ただ一つ……王と王妃の続けての崩御について——私は、真実を求める気持ちを手放してはおりません。そのことを、心に留めていただければと思います」


「……御意」


デサンは神妙な顔つきで退出した。

謁見の間の空気は張り詰めたまま、沈黙の中に収束していく。


ミリアは誰にも気取られぬよう深く息を吐いた。

そして一瞬壁際に目線を走らせる。


ジルベールが小さく頷いた。


(一番の目的は、達成できた)


そう思った時、ミリアは足が震えだすのを感じた。


だがまだ弔問の列は終わっていない。

先程のやり取りを聞いていたものたちが、皆それぞれに動揺しているのが伝わってくる。


各派閥の貴族、警備の兵たち、他国からの使者、文官、女官。

この中に、本当に信頼できるものがどれほどいるのか。


ミリアはもう一度静かに深く息を整え、謁見を続けた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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