第31話 真実と覚醒
城門をくぐった瞬間、城の気配がいつもと違うのを感じた。
城下の騒ぎで兵が出払っているのか、城の中は妙に静かだ。
廊下には人が行き交い、侍女や官吏が低い声で指示を交わし、何かを運び、何かを書き留めている。
つい先ほどまで、石や怒号が飛び交っていた。
恐怖も混乱も、まだ体の奥に残っている。
だが城は、静かに、しかし慌ただしく進んでいた。
恐ろしい予感がして胸がざわつく。
「……姫様!お戻りになったのですね」
見知った侍女が小走りに近づいてきた。そして俯き、つぶやくような声で告げた。
「王太后様は……先ほど、崩御なさいました」
「——!」
間に合わなかった。
私が市場で何もできずにいる間に、母は逝ってしまった。
すでに通夜の準備に入っているのか、灰色の服を着た女官が近づいてきた。
女官は深く頭を下げ、それ以上は何も言わなかった。
導かれて、母の部屋へ向かう。
今朝、久しぶりに元気そうに笑顔を見せていた母が。
天蓋の下に横たわる母に近づく。顔はすでに白く陶器のようだ。
柔らかい金の髪は変わらないのに、もうその目が開くことはない。
信じられない思いで、そっと手に触れる。
それはすでに人の熱を失っていた。
「お、かあ、さ、ま」
気が遠くなる感覚がして倒れそうになった時、侍女から声がかかった。
「今晩は通夜となりますが、明日以降の儀式の準備を今から……」
喪服の用意。
公式の発表。
弔問の準備。
儀式の日程。
亡くなった母のすぐ後ろで、そんな言葉が飛び交う。
「……ちょっと、待って」
ミリアは思わず声を上げたが、誰も止まらない。
止まれないのだ、と気づいた瞬間、胸の奥が軋んだ。
「少し、休ませて」
それだけいうとミリアは自室に戻った。
ドアを閉めると静けさが戻る。
ミリアはソファに座り、俯いた。
「……ヴェラ」
気づけば、その名を呼んでいた。
返事があるはずだと思っていた。そういえばあの場に、母の寝室にはいなかった。
「ヴェラ?」
扉が開く音がして、入ってきたのは女官長マグリットだった。
「……ヴェラは?」
マグリットは一瞬、言葉を探すように視線を伏せ、それから静かに言った。
「ヴェラは……もう、いません」
「いないって、どういう……」
理解が追いつかない。
ミリアは立ち上がろうとして、膝が震えた。
マグリットは何も言わず、付き添っていたサイファに近づき、耳元で短く囁いた。
サイファは一度だけ頷き、部屋を出ていく。
「……何を?」
「人払いです」
マグリットは窓際のソファに俯いて座るミリアの前に立ち、声を落とした。
「姫様。……辛い話になります」
ミリアは顔を上げられなかった。
「ヴェラは、亡くなりました」
うそだ。聞きたくない。
「皇太后様は、病で亡くなられたのではありません。毒を盛られました」
何を言っているの?毒?殺されたってこと?
「……誰が」
「毒を盛ったのは、ヴェラです」
耳鳴りがした。
「ですが、それはヴェラの望んだことではありません。彼女は、ある男に支配され、逆らえない状態にありました。……私も、それに気づけなかった」
マグリットの声が、僅かに震える。
ミリアはその言葉の意味がわからない。
耳が拒否する。
「ヴェラは、罪の重さに耐えきれず……死を選びました。私は、何もできませんでした」
「……待って」
ミリアは両手で耳を塞いだ。
「やめて。そんなの……わからない。嘘でしょう?」
マグリットは一歩踏み込み、ミリアの腕を掴んで無理やり下ろさせた。
「ミリア様。お辛いのはわかります。私も、……辛い。けれど」
もう一段声を強くする。
「ここで泣き崩れたら、相手の思う壺です!」
「マグリット……」
「先ほど、暴動は鎮圧されたと報告がありました。ナギ商会の私兵が動き、主だった扇動者を捕縛したそうです。そのとき、ようやく私も確信しました」
マグリットの声は鋭く、早口で、強かった。
ミリアは理解が追いつかない。
さらに一歩近づいて、マグリットは断言した。
「すべては、仕組まれていたのです」
「……なんの、こと?」
「ナギ商会の主、デサン・キアロ。ヴェラを使って王太后様を亡き者にし、同時に暴動を起こし、自らの兵を使って鎮圧させた。目的は分かりません。ただ——」
言葉を区切り、マグリットは低く告げた。
「姫様が、今、非常に危険なお立場にあることは間違いありません」
「……デサン・キアロ?……危険?」
聞いたことのある名だった。
たしか、母の周囲に出入りしていた商人。
「お母様を……殺した? ヴェラが?」
現実感が、崩れていく。
「嘘よ……そんな……」
ミリアは再び耳を塞ごうとした。
「ミリア様!」
マグリットはその腕を掴み、強引に引き立てた。
「こちらへ」
バルコニーの扉が開かれる。
夜風が、涙で濡れた頬を冷やした。
「ご覧なさい」
マグリットはミリアを前に立たせ、無理やり顔を上げさせた。
城下のあちこちから、まだ細い煙が立ち上っている。昼間の怒号を思い出す。
灯りは多く、いつもより明るい。
けれど、遠くを見れば、町並みは穏やかで、湖も川も月光を映して静かだった。
海へと続く川。広がる農地。
そこには、暴動も、王族の死も知らぬ人々の、変わらぬ営みがある。
毎日見てきた、コルレド王国の姿。
「これが、あなたの国です」
マグリットの声は、涙で掠れていた。
「あなたが守るべき国。この国を、この美しい国を、外国人商人の思うままにさせていいのですか!」
外国人商人。
その人物が、全てを仕組んだ。
母を、ヴェラを。
民を苦しめ暴動に導いた。
(あ……)
ミリアは気づく。
調べてもわからなかった。
議会が通さなかった。
そういうこと——。
「今、この国の正当な王は——あなただけです」
マグリットを見る。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。目も真っ赤。
必死で声を尽くして——私を頼ってくれている。
「どうか……女王陛下」
懇願するような掠れ声で、マグリットが呼ぶ。
胸の奥で、何かがはっきりと形を持つ。
「……この国の、王」
「そうです。」
ミリアは天を仰いで目を閉じる。
熱い涙が溢れた。
ああ、そうだ。
私は、王だ。
遠く穏やかに見える景色も、
怒りに呑まれた民も、
すべて——。
私の国、私が守るべきもの。
他の誰にも、譲ってはならない。
この国は、カンザ王家のものなのだから。
ミリアの胸の奥に、はっきりと何かが立ち上がった。




