第29話 侍女と男
マルセラ様が、亡くなった——
ヴェラは実感のないまま、王太后の寝具を整える。
触れた手は先ほどよりも冷たい。徐々に人の熱を失っていく。
具合の悪い日が続いていたけれど、今朝は久々にお元気だった。
『今日は調子がいいから、溜まった仕事を片付けるわ』
そう言っていつもより多めに薬酒を飲みたいとおっしゃって――お止めできなかった。
順調に午前中の政務を進められたあと、自室で少し休むとおっしゃって、そして――そのまま起き上がることはなかった。
急激に顔色が悪くなったのを見て、宮廷医を呼びに走り、出かけられたままのミリア様にお知らせしなければと――プエラの足にメッセージを託して空に放った。
身分が知れてしまう危険はあったが、それでも急ぎ知らせなければならなかった。
そして、マルセラ様の元へ戻ると、すでに――
宮廷医に囲まれて、マルセラ様は息をしていなかった。
哀悼の意を示す礼をとって宮廷医たちは出ていく。
侍女たちは啜り泣きながらも喪に服するための準備を始めた。
マルセラ様の手に触れる。
やつれたお顔が色を失っていく。
ああ、本当に逝ってしまわれたのか。
先ほどまでの声がまだ耳に残っている。
「今日は調子がいいの」
「民の飢えを少しでも和らげたいのだけれど」
お優しいマルセラ様。
……なんということに。
腕を整え髪をとかし、その姿を整えると、サイドテーブルの白い瓶が目に入った。
「…………」
ヴェラはその瓶を抱えて、自室に戻る。
体が鉛のように重い。
涙はまだ出ない。
部屋に戻って簡素なベッドに腰掛ける。
机に置いた白い瓶が小さな窓から入る光に照らされて、ヴェラを責める。
これがお前の罪だ――と。
ヴェラはぎゅっと目を瞑る。
脳裏に浮かぶマルセラの姿。
元気になれると言って薬酒を飲む量はどんどん増えていき、目の下の影は濃くなった。
気づいた時にはもうマルセラ様は痩せ細り、薬酒なしでは起き上がることもできなくなっていた。
飲み過ぎは良くありません、と何度も進言した。
けれど、その薬酒を手配し、杯に注ぎ続けたのはヴェラだった。
閉じた目から涙が溢れた。
その時、控えめに3回、ドアがノックされた。
ヴェラはゆっくり立ち上がり、ドアを開けた。
滑り込むように男が入ってくる。ヴェラは目を合わせない。
「王太后様の、ご冥福を」
男が低く落ち着いた声でそう言うのを聞いた瞬間、ヴェラは激昂した。
「あなたが!!あなたのせいで!……あの瓶のせいで!」
ヴェラは男に向かって手を上げたが、あっさりと手首を掴まれた。
「ああ、ヴェラ。辛かっただろう?少し……休むといい」
男はヴェラを抱き込んで耳元で囁く。
「あなたは王太后様の望みを叶えた忠義の侍女だ。何も悪くはない」
男のシャツから嗅ぎ慣れたいい匂いがする。
ヴェラは何も考えられなくなっていく。
「さあ、少し横になるんだ。私の可愛いヴェラ」
・・・・
散らばった衣服を拾い上げ、男は身なりを整える。
寝乱れた姿のままベッドに横たわるヴェラに、男は褐色の小瓶を握らせた。
「これを姫君に。少しずつ。多いと命を失う」
ヴェラはぼんやりと手の中の瓶を眺める。
男は長い上着を羽織ると白い瓶をその内に隠し、ドアを開けて去っていった。




