第28話 カルナと暴徒
市場は、息を潜めたように静かだった。
いつもなら野菜の籠が並び、声が飛び交う広場に、店はまばらで、人影も少ない。人々は歩き回らず、数人ずつ固まって、低い声で話している。
その輪のひとつに、若い男たちが集まっていた。
——いた。
ダンは、輪の端に立っている。
腕を組み、俯きがちに、誰かの話を聞いている。
リアンも一緒だ。
口元だけを動かし、周囲を見回しながら、何かを煽るように言葉を挟んでいる。
アデラは一歩、足を踏み出した。
名前を呼ぼうとして、やめる。
距離は、そう遠くない。
けれど、ダンは――こちらを見ない。
気づいていない、はずがない。
人の少ない市場で、フードを下ろした女が近づいてくる。
以前なら、すぐに気づいて笑ってくれた。
ダンは、気づかないふりをしている。
胸の奥が、ひくりと縮む。
それでも、アデラは歩みを止めなかった。
今度こそ、話をしなければ。ちゃんと説明すれば。
国は動いている。物価の異常は一時的で――
リアンが、ふと顔を上げた。
その時、頭上から舞い降りてくる影。
朱色のカルナがアデラに向かって飛んでくる。
(どうして、今、プエラがー)
市場中の注目がその鳥に集まる。
滅多に身近で見ることのない鮮やかな色の鳥。——王侯貴族の鳥、に。
(来ないで、今はダメ!)
アデラの願いむ虚しく、朱色のカルナはアデラの肩にとまると嬉しそうに頬擦りした。
市場の空気は凍った。
この娘は「向こう側」の人間だ――
アデラは思わずダンを見た。
ダンは――眉を顰め、目を逸らした。
終わりだ。
これでもう、話もできない。
断絶の中でもはやアデラではいられなくなったミリアは動けなかった。
その時。
「おい! 大変だ!」
市場の入口の方から、荒い声が飛び込んできた。
「西の大橋で、貴族の馬車が物乞いの婆さんを轢き殺したってよ!」
「なんだって?」
「止まりもしねえで、走り去ったらしい!」
ざわり、と空気が揺れる。
若者たちの輪が一気に膨らみ、声が重なった。
「……は?」
「虫けら扱いかよ!」
「ふざけんな!」
「許せねえ……!」
怒号が、火花のように散る。
「ぶくぶく太った豚野郎どもが!」
誰かが吐き捨てるように叫んだ。
その言葉が合図だったかのように、群れが動き出す。
リアンが、走り出す。
ダンも、遅れて足を踏み出した。
「ダン――!」
叫ぼうとした瞬間、黒い影が、覆いかぶさった。
「こちらへ」
低い声。
腕を掴まれ、引き起こされる。
サイファだ。
いつの間に、こんな近くに。
群衆の流れから外され、壁際に押しやられる。
サイファの身体が、盾のように前に立つ。
石が飛び、怒号が渦を巻く中で、彼は微動だにしない。
そのとき、ミリアはようやく気がついた。
——私は、ずっと守られていた——
一人で来たつもりだった。
自由に歩いてきたつもりだった。
でも違った。
群衆がうねりになって進んでいく音が聞こえる。
怒号、悲鳴、たくさんの足音。
その中に、ダンがいる。リアンもいる。
話し合えなかった。
……皆が遠くへ行ってしまった。
サイファに連れられて馬のところまで戻ると、呼吸が、静かに整う。
気ままに空を飛んでいたプエラが戻ってきてまた肩に止まった。
プエラはクルル、とご機嫌な声で鳴くと嘴で足を差した。
——連絡用の足環がついている。
ミリアの背中に冷たい予感が走り、急いで小さな紙を読む。
『マルセラ様ご危篤、急ぎお戻りを』
目の前が真っ白になる。どうして?朝はあんなにお元気だったのに——
「……城へ急ぎます」
サイファが、無言で頷く。
暴徒たちのいる大通りを避けて、馬で城へ駆けてゆく。
通りの向こうで、何かが壊れる音がした。
悲鳴が上がり、怒号が重なる。
明るく優しかった人たちが、街を破壊している。
リアンもダンも、その中にいる。
荒れ狂う民衆の声に恐怖を感じながらも、ミリアの意識は収束していく。
胸の奥にあった柔らかいものが、音もなく消えていく。
代わりに、冷たい炎が目を覚ました。
……私は、あれを鎮圧しなければならない。
——王、として。
意識は城へ向かう。
どうか、お母様、生きていて。
ここまで読みつづけてくださっている皆様、本当にありがとうございます。
ミリアが大きな転換点を迎えました。ここから中盤の山場、怒涛の展開になります。
彼女がどう変わっていくのか、見守っていただけたら嬉しいです。




