第20話 晩夏と夢
人伝に聞いてたどり着いたバルト親方の家の軒先で、アデラは少し落ち着かない気持ちで立っていた。
今日は現場は休みだと聞いて、持ってきた差し入れを届けにきただけなのに、胸の奥がそわそわして仕方がない。
ダンもアルトもこの家に住み込みで働いている職人だ。
「ダンなら、裏で道具の手入れしてるよ」
そう言って奥から顔を出したのは、おかみさんだった。
事情を察したような、やさしい笑み。
「ダン!せっかくだから、あの花畑でも連れてってやりな。今が一番きれいだよ」
「えっ、俺も行く!」
そばにいたアルトがすぐに反応するが、
「お前は市場にお使いだよ。ほら、ついでに塩も頼んだよ」
と一蹴される。
お金の入った小袋を渡されて、アルトは不満気に口を尖らせた。
「ええ~?」
「いいから、つべこべ言わずに行っといで!」
アルトが半ば強引に追い出されていくのを見て、ミリアはますます頬が熱くなった。
気を利かせられているのがわかって、恥ずかしい。
――それでも、ダンと二人になれるのが嬉しい。
道具の手入れを中断したダンが、こっちに向かってくる。
心臓が勝手に跳ねる。
「……じゃあ、いくか」
ダンは少し照れたように頭をかきながら、裏手の先にある森の方へ歩き出した。
二人とも、何か話そうとしては、口に出せずに止まってしまう。
触れそうで触れない距離で、アデラは歩いた。
真夏の日差しに汗が滲む。
しばらく歩いて木立を抜けると、そこは小さな空き地になっていて、小さな白い花が一面に咲いていた。
夏の午前の光を受けて、花びらが淡く透けている。
「……きれい」
思わずこぼれた声に、ダンは足を止めた。
花畑よりも、隣で目を輝かせるアデラの横顔を、ぼうっと見つめてしまう。
「……ああ」
短く答えながら、視線を逸らす。
「春は別の花が咲くが、俺は、夏のこの花が好きだ」
二人は近くの岩に腰掛けた。花畑全体がよく見える。
風が吹くたび、白い花がさざめいた。
「俺、」
ダンがぽつりと口を開く。
「いつか自分の家を建てたいんだ」
「自分で?」
「おう。石も木も、全部自分の手で組んでな」
「全部一人で、は大変じゃない?」
アデラは笑って言う。
「そうだな……手伝いは多い方がいいな。大工も屋根職人も要る」
少しずつ言葉が弾み始める。
「入り口は南向きで、冬でも日が入るようにして。台所は広めがいい。暖炉も欲しいな。ちょっと贅沢だけど……冬でもすげえあったかいんだぞ。料理もできるし。」
アデラは、ただ黙って聞いていた。
「あったかい暖炉の前で」
ダンは遠くを見るように続ける。
「お前が縫い物してるんだ」
そこで、言葉が止まった。
「あ」
二人同時に、息を呑む。
沈黙。
風の音が、花畑を揺らす。
「……まあ、そんな家だ」
ダンは焦って話を終わらせた。
アデラは、胸の奥がいっぱいになって、苦しくて、嬉しくて、でもどうしていいかわからなかった。
嬉しい。
でも「アデラ」に未来はない。
この気持ちは本物でも、どうにもならない。
「……素敵な夢ね」
それだけ言うのが、精一杯だった。
ダンは何も言わず、ただ頷いた。
ひとり、城への帰り道。
思い出すと胸が締め付けられる。
暖炉のある小さな家。そこで暮らす二人の姿。
――絶対に、叶わない夢。
胸が痛くて、息が苦しくて、涙が出そうになるのを必死にこらえながら、馬を走らせた。
城に着き、部屋に戻ろうとするとヴェラが勢い込んで走ってきた。
「姫様っ!」
いつにない慌てよう。
何があったのか。
ヴェラは息を整えながら神妙な顔で言った。
「……国王陛下が、崩御されました」
クルル、とプエラが鳴いた。
世界が、音を立てて反転する。
恋の続きも、夢の家も、すべて置き去りにしたまま。




