第11話 王族と衣装
白い石床に広げられた反物の山。
陽に透けるような薄布が、桃色や藤色にきらめいている。
王城の広間では王族の衣装に使う布選びが行われていた。
侍女たちに衣装管理官、そして王妃と王太女が見守る中、商人は流れるように語る。
「こちらは今年の港便の新色でございます。アラシルクの中でも糸目の細いものを選びまして──透け感と張りを両立させてございます」
商人は次々と布をひるがえしては軽く手元で払って見せ、絶妙の間合いで話を挟んでくる。
「少し濃いめの色と組み合わせますと、奥行きが生まれまして。たとえば──こちらの銀糸を刺して重ねますと……ほら、王妃様のような優しいお色味の肌がいっそう映えましょう」
「まあ……ほんとに素敵だわ、この光沢!」
ヴェラが目を細めてはしゃぐ。
「姫様の夏装束にもぴったりだと思いません?お色がすごく今風で、それでいて品があって」
ミリアは少し離れた椅子に座って、そっと息をついた。
──また贅沢な布を。
いったい何反あるんだろう。
たった一反で、街ではどれだけの子どもが冬をしのげるか。
薬も、毛布も、まともな靴だっていくつも買えるのに。
ミリアは視線を落とし、膝の上で指を組み直した。
「ミリア、王族の衣装はただの飾りではありません」
王妃は、柔らかくたしなめるように言った。
「場にふさわしい姿であることは、務めのうち。あなたがどう見えるかを、民はよく見ていますよ」
「……はい」
ばつが悪そうに小さく答えたミリアに、商人が笑みを向けた。
「まことに、その通りでございます。皆様の装いがあってこそ、この布地も生きるというもので」
言葉は丁寧で、身なりもきちんとしている。布を扱う手つきや流れるような語りは見事で、王妃が気に入るのも無理はない。
「ではご注文のお品は三日以内に納品いたします。他にもご入用の小物などございましたら、何なりとご注文を」
帳面を閉じて、軽く頭を下げて下がる商人を、王妃もヴェラも笑顔で見送った。
ミリアは目を伏せたまま、声を出さなかった。
部屋には、さっきまで広げられていた布の香りと、残された会話の余韻だけが漂っている。
──たしかに、王妃の言うことも正論だし、ヴェラが機嫌よくしているのもわかる。あの商人のおしゃべりも、仕事熱心なだけ。
でも、それでも……どこか、胸の奥がざらつくのはなぜだろう。
王族としての務めを穏やかに語る王妃も、
「ほんとにお上手」と笑うヴェラも、
見事な口ぶりで売り込む布商人も──
今日のミリアには、皆、遠く感じられた。
広間を離れ、王妃の私室へと戻る回廊は、先ほどまでの賑やかさが嘘のように静かだった。
布商人の持ち込んだ鮮やかな色彩は、扉の向こうに置き去りにされ、ここには落ち着いた空気だけが残っている。
「……姫様は、心ここに在らず、というご様子でしたね」
扉が閉まってから、ヴェラはそう切り出した。
「華やかな布地を前にしても、どこか複雑なお顔をしていらして」
王妃マルセラは、私室の椅子に腰を下ろし、ゆっくりと手袋を外した。
「なんというか……考え込んでいらっしゃったご様子でしたね」
「ええ、そうね。あの子は民の暮らしを見てきたばかりだから。城での暮らしと、外との差が、どうしても気になるのでしょうね」
マルセラは、小さく息をついた。
「私の言葉に頷いてはいたけれど、納得していないのが顔に出ていて、ね?」
「……はい」
ヴェラは一瞬、視線を伏せた。
「よっぽど街歩きがお気に召したようで。先日も、書庫にこもって勉強なさるとおっしゃって、ですが……窓から、こっそりと」
「ええ」
「あれでバレないと思ってらっしゃるあたりが……私は、少し心配ですわ」
マルセラは、その言葉に苦笑した。
「自由だと信じている気持ちも守ってあげたいの。あなたの心配通り、変装もお忍びもあの子一人の力ではお粗末。護衛がついていることは、いずれ知れるでしょうね。でも……今は、見守りたいの。あの子に外を歩ける自由を味わってもらいたいのよ」
ヴェラは、その言葉を聞きながら、ふと遠い記憶を辿っていた。
——トアマールから嫁いできたばかりの、まだ十二歳の少女。
神託により選ばれた聡明な姫君。
覚悟はしていても、異国の城、重すぎる立場、見知らぬ言葉と習慣。
夜更けに一人で泣いていた姿を、ヴェラは忘れていない。
「……王妃様も」
ヴェラは、慎重に言葉を選んだ。
「こちらへお越しになった頃は、とてもお若くていらして。」
マルセラは、わずかに微笑んだ。
「ええ。子供だったわね」
「王太子妃というご身分で、街へお出になることもありませんでしたから」
十四で婚礼を迎え、十五で出産。
多感な時期を、城の奥で過ごした日々。
「王太子殿下は、とても大切になさっていましたが……それでも、あの頃の、宮廷の事情は……」
言葉は、そこで途切れた。
「……ええ」
マルセラは、静かに頷いた。
「私は自分の過去を不幸だと思ってはないのよ。ただほんの少し、思い残しっていうのかしら?あの頃、外に出たいという気持ちがあったことは覚えているのよ」
彼女は、窓の外に広がる王都を見つめた。
「それにね、次に王となるあの子には、世界を知ってほしい。私は王妃だけれど、あの子は王になる。その責任の重さは比べようがないわ。だから、人の暮らしを知って、喜びも違和感も、世界のありようを知って……王冠を受け取ってほしいの」
民と直接触れ合って、その目線から国を見ることは確かに意味があることだろう。
けれど。と、ヴェラは少し困った顔をする。
「姫様には、次代の王として学んでいただくことが山積みです。教師たちからも色々と進言が上がっていて」
「ええ。分かっているわ」
その声には、迷いはなかった。
「でも、今しか許されない自由がをあの子が望むなら……私は、できる限り、それを奪いたくない」
ヴェラは、その言葉の重みが理解できた。
自分が叶えられなかった願いを子に託す、それは親の勝手な思いかもしれない。
けれどマルセラの願いは個人的な思いを超えて、国の未来も見ている。
幸い、即位したばかりの王は若く健康で、精力的に執務をこなしている。
王太女の縁談も、決まるまでにまだ時間はあるだろう。
「その自由が、いつか……王としての力になると、信じているわ」
ヴェラは、深く頭を下げた。
「……王妃様のお気持ち、心に刻みました。姫様のご成長を、これからも見守ってまいります」




