22 愛の日
「ついに愛の日だわ」
エヴァは緊張していた。
落ち着かなければと思うが、落ち着けない。
そもそも、愛の日のために用意された衣装が、落ち着かなかった。
真っ赤なドレス。
愛の日は愛をあらわすため、赤い衣装を着たり、赤いものを身につけたりする。
その慣習はエヴァも知っていたが、とにかく貧乏。
恋人がいるわけでもないため、特に何もしてはこなかった。
「エヴァ様、外出のお時間です。正面玄関のホールにご移動ください」
「わかりました」
愛の日の朝食は自分の部屋で軽めに取り、昼食はデルウィンザー公爵夫婦とレストランに行くことになっていた。
だからこそ、外出着に着替える必要があるというのはわかるが、真っ赤なドレスを用意されるとは思っていなかったというのがエヴァの感想だった。
ホールに行くと、エヴァはデルウィンザー公爵夫人に笑顔で迎えられた。
「素敵よ! まるでバラの妖精ね!」
「デルウィンザー公爵夫人こそ素敵です。バラの女王のようです」
デルウィンザー公爵夫人はエヴァ以上に豪華な赤いドレスと赤い宝飾品を身につけていた。
「愛の日は赤で揃えないとね。愛が溢れている証拠だわ」
「そうですね」
「でも、残念だわ。ドノヴァンがいないなんて」
官僚試験の日程が愛の日にかぶっていたため、ドノヴァンは朝早くから王宮に行っていた。
「私の方こそ申し訳ありません。お邪魔ですよね」
愛する夫婦だけで過ごせたというのに、自分がいることで三人になってしまったことをエヴァは申し訳なく思っていた。
「そんな風に思う必要はないのよ」
デルウィンザー公爵夫人は微笑んだ。
「私たちの子どもはドノヴァンしかいないでしょう? だから、エヴァがいてくれて嬉しいの。娘が増えたからよ。今日はたっぷりと甘えてほしいわ。家族愛をたくさん示したいの」
「わかりました。どうすればいいのか教えていただけると助かります」
「そうね。まずは三人で楽しみましょう。ねえ、貴方?」
「遠慮しなくていい。エヴァは私たちの娘だ」
デルウィンザー公爵がエヴァの手を掴んだ。
そして、逆側をデルウィンザー公爵夫人が取る。
「行くわよ!」
三人手をつないでの出発から始まった。
レストランで豪華な昼食を取ったあとは、三人で買い物に出かけた。
愛の日は愛を示すようなことをする。
デルウィンザー公爵家の伝統としては、夫婦円満や家族円満を示すためにあちこち外出する。
行く先々で笑顔を振りまき、夫婦愛や家族愛が強くあること、結束していることを示すのが恒例だった。
「ドノヴァンは子どもの頃から感情をあまり出さなかったの。父親の真似をしていたのよ」
デルウィンザー公爵夫人はため息をついた。
「大人しくて賢いのは嬉しいのだけど、子どもらしい無邪気さがないというか……幸せそうな様子をアピールするのはもっぱら私の役目だったの。夫と息子があれでしょう?」
「なるほど」
デルウィンザー公爵もドノヴァンも冷静沈着。いかにも幸せだと笑顔でアピールするような人物ではない。
「エヴァには買い物を楽しんでほしいの。ようするに、これがほしいとおねだりしてほしいのよ」
デルウィンザー公爵に笑顔を振りまくように言っても無理。できない。
そこで、愛があることを度量の深さ、買い物を許すということで示す手法であることが説明された。
「店員は高額なものをすすめてくるけれど、相手にしないこと。店員のいいなりになる必要なんかないわ。とにかく自分の好みのものを探すこと。でも、値段はわからないはずだから、私にどれがいいと思うのか相談して。目利きでだいたいわかるから」
さすがデルウィンザー公爵夫人だと思った。
「そして、一番気に入ったものを買ってもらいましょうね!」
「デルウィンザー公爵家揃っての買い物だ。ふさわしい買い物でなくてはならない」
「気に入ったものが安い金額だと、もっと買わないといけないの。ノルマの金額に届かないとね」
「ノルマ……」
「大丈夫よ。私がいれば、簡単にノルマを達成できるわ!」
デルウィンザー公爵夫人はお洒落も買い物も大好き。
頼もしいとエヴァは思った。
そして、夜。
屋敷で晩餐会が行われ、ようやくドノヴァンが姿を見せた。
「どうだった?」
「面接官が国王陛下と王太子殿下とアンドール王子でした」
ドノヴァンが答えた。
「私が官僚を目指しているのはご存知です。配属先については私の意見を聞いてから決めたいと思ったそうです」
「そうか。それで、なんと答えた?」
「内務省の地方監察庁を希望しました。将来に備え、新人のうちに地方勤務を経験したいことも伝えました」
国王たちは驚いた。
通常は重要省庁に配属されることを希望する。
ドノヴァンはディアドラ王女との婚姻を避けるため、外務省を希望し、海外赴任勤務を希望するかもしれないと予想されていた。
だが、実際の希望先は内務省。地方監察庁で地方勤務を希望するのは予想外。
当然、難色を示された。
しかし、配属が希望通りにならなければ、領主業を補佐するために官僚にはならない。官僚になったあとに配置を変えた場合も同じ。辞めるとドノヴァンは伝えた。
国王も王太子もアンドール王子も、ドノヴァンには官僚になってほしい。
そこで、ドノヴァンの希望を考慮するということで、面接が終わった。
「お茶会に誘われ、出席しました。王妃、王太子妃、王女も同席だったため、エヴァとののろけ話をしておきました」
「のろけ話ですって?」
デルウィンザー公爵夫人は目を輝かせた。
「どんな感じの話なの?」
「大学祭を一緒に見て回った話です。二つで一組の腕輪を買ってエヴァと分け合ったこと、それをつけて出し物を見に行ったことを話しました」
「なるほど」
「学生らしいエピソードね!」
「父上も母上を連れて大学中を練り歩いたとか。全く同じようにはしませんでしたが、貴重な体験ができました」
「そうか」
「エヴァの話を聞きたいです。気になっていました」
ドノヴァンはエヴァを見つめた。
「父上と母上と外出してどうだった?」
「大変でした」
エヴァは正直に話した。
「デルウィンザー公爵家がどう思われているのがわかった気もしました」
普段のエヴァは屋敷と学校を往復するような生活ばかり。
外出先は王宮の行事とそれに合わせた買い物をデルウィンザー公爵夫人とするためだった。
今回はレストランや宝飾品店、特注の帽子店に行ったが、店側が最上級の対応をしたのはもちろんのこと、一流の店とはどんなものかを学ぶ機会になったことエヴァは話した。
「デルウィンザー公爵夫人と一緒に行った店とはまた違う雰囲気というか……重厚感があり、一流の店であるという誇りのようなものを感じました」
「母上だけで行く店と、父上と一緒に行く店では全く違う」
デルウィンザー公爵夫人が行くのは裕福な女性が買い物を楽しむ店になる。
店員は客に気に入られるような商品を売り込むが、すぐに正式な注文することにはならない。大抵は見積書を先に出させる。
見積書を見て決裁権のある者、客の夫、父親、恋人などが金額を見て冷静に決めることになる。
一方、デルウィンザー公爵と一緒に行く店は、すでに決裁権がある者が一緒にいるため、すぐに注文や購入になる。
それを考えると、たとえデルウィンザー公爵夫人やエヴァのものであっても、重要なのはデルウィンザー公爵がどう思うか。
「男性は褒め言葉だけでは満足しない。自分や同行者が歓待され、素晴らしい品を薦められ、本当に喜んでいるかどうかを冷静に判断する。女性の機嫌を取るよりはるかに難しい」
「大変な客が来たと思っていそうです」
エヴァはそう思った。
「実際に大変な客でしょうね」
デルウィンザー公爵夫人は夫に視線を向けた。
「だけど、大金の決済を承認させた時の達成感も増えるでしょう。大物の客に期待に応えるだけの力があってこそ、一流の店である証よ」
「デルウィンザーは一流だ。私たちも一流でなくてはならない」
デルウィンザー公爵は視線をエヴァに向けた。
「エヴァはデルウィンザーの一員として問題なかった。娘としてはもっと積極的に買い物を楽しんでほしい気もしたが、嫁であることを考えれば遠慮するのも当然だ。ドノヴァンと一緒に買い物をする時は、私の妻を参考のようにするといい。男性は女性に頼られたい。もちろん、全員がそうとは言わないが、ドノヴァンは私の息子だけに、エヴァに頼られたいだろう」
「そうね。私もそう思うわ」
デルウィンザー公爵夫人はにっこり微笑んだ。
「頼んだわよ、ドノヴァン。私たちは出かけてしまうけれど、しっかりね」
「言われるまでもありません」
晩餐会が終わると、デルウィンザー公爵夫妻はオペラ鑑賞に出かけた。
ドノヴァンとエヴァは屋敷で留守番。
だがしかし。
「エヴァ、夫婦で過ごそう」
しっかりと予定が組まれていた。




