19 聖夜
王宮での昼食会が終わると、エヴァとドノヴァンはすぐに屋敷に帰った。
デルウィンザー公爵夫妻は王太子夫妻のお茶会に出席するために別行動になり、夕方になると帰宅した。
だが、聖夜はこれから。
家族全員で豪華な夕食を食べる。
そのあと、デルウィンザー公爵夫妻は二人きりのデートに出かけた。
聖夜を祝うために特別上演されるオペラを鑑賞したあと、最高級ホテルのスイートルームに宿泊する予定だった。
ドノヴァンとエヴァは留守番。
エヴァは部屋に戻ろうと思ったが、ドノヴァンに呼び止められた。
「エヴァ、一緒に図書室で過ごさないか?」
「図書室?」
エヴァは目をぱちくりさせた。
「エヴァは図書室に行っていないと聞いた。図書館に行くと必ず上限まで本を借りている。だというのに、なぜ屋敷の図書室にいかないのか不思議に思っていた。遠慮しなくてもいい。立ち入り禁止の場所ではない。それとも、場所がわからないのか?」
「図書室があったのですね」
エヴァは初めて知った。
そして、ドノヴァンも知った。
「図書室があることを知らなかったのか」
「気づかなくて申し訳ありません。よくよく考えれば、デルウィンザー公爵家はお金持ちです。ドノヴァン様もたくさんの本を注文されていますし、図書室があってもおかしくはないですよね」
「私も気づかなかった。エヴァの実家は裕福ではない。本を買うのは難しい。図書室がなかったのだろう?」
「小さい頃はありました。おじい様が生きていた頃は」
祖父がいた頃は貧乏ではなかった。
だが、祖父が死んだあとに貧乏になってしまった。
「嬉しいです。図書室に誘ってくださったことも、図書室があるとわかったことも」
「私も気づくことができて良かった」
二人は図書室に向かった。
「ここだ。いつでも自由に使える」
大きな両扉を開けた先に広がる光景を見て、エヴァは驚愕した。
「図書館みたいです!」
「そうでもない。蔵書は入れ換えている。ただの本置き場だ」
デルウィンザー公爵家で代々受け継ぐような貴重な本は領地にある城の方に保管されている。
王都の屋敷にあるのは公爵家の者が購入した本を置くためにある部屋。
最初は自分の部屋の方に置いておくが、読まなくなると邪魔になる。そこで図書室に移すことが説明された。
「母上が読んでいた本もある。古いが、恋愛小説もある」
「ぜひ、読みたいです!」
「先に案内する」
広い図書室だけに、ドノヴァンはどこにどういった本があるのかを説明した。
「大きなソファがあるだろう? 寝転がりながら読むこともできる」
「贅沢な読み方ですね!」
「書き物机もある。気分を変えるために、私もここで勉強することがある。小さい頃はここで勉強していた。宿題もここでしていたため、なんとなくはかどる気がする」
「立派な書き物机です」
「自由にしていい。私は本を読む。退屈なら自分の部屋に戻っても構わない」
「退屈なんてとんでもない! じっくりと図書室を楽しみます!」
エヴァは子ども用の本を見つけた。
それはかつて自分が子どもの頃に読んだことがあるものだった。
「懐かしい……」
小さい頃にあったものは全部売られてしまった。
エヴァは絵本を取り出すと読み始めた。
「エヴァ」
ドノヴァンが名前を呼んだ。
「座って読めばいい」
「絵本なので、すぐに読み終わります。何度も往復するのは手間なので」
「そこに座ればいい」
「そこ?」
エヴァは周囲を見回した。
「絨毯の上ですか?」
「違う。本棚の一番下は扉がついているだろう?」
「埃がたまりやすいからですよね?」
「そうだ。そして、少しだけ出っ張っている。一時的に腰かけたり、高い棚の本を取る時の足台にするためだ」
エヴァは理解した。
「ここでしたか。確かにちょっとだけ座るのにいいですね」
エヴァは出っ張っている部分にちょこんと座った。
「エヴァの知っている絵本があったのか?」
「あります。これはお気に入りの一冊でした。でも、屋敷にあったものはどんどん売られてしまいました。絵本も売られてしまいました」
「そうか。恋愛小説よりも絵本を取るとは思わなかった」
「恋愛小説ばかり読んでいるわけではないですよ?」
「わかっている。だが、図書館で人気がある恋愛小説を率先して借りているだろう?」
「そうですね」
「エヴァは……子どもがほしいか?」
「え?」
エヴァは突然の質問に驚いた。
「子ども?」
「恋愛小説を読んでいる。男性と結ばれて幸せになりたいと思っているはずだ。子どもを産んで温かい家庭を築きたいのではないか?」
「そうですね。でも、安定した生活ができることの方が優先です」
「生活が苦しいと子どもを育てられないと思うのか?」
「子どもは好きです。でも、苦労をかけたくはなくて……私と同じような目にあわせたくないのです」
「そうか」
「ドノヴァン様も子どもがほしいですよね?」
「跡継ぎが必要だ」
「男の子でしょうか?」
「女子でもいい。性別よりも人数の方が重要だ」
「もしかして、たくさんほしいとか?」
「二人以上ほしい。両親はできるだけ多くの孫がほしいだろう。本当は三人ほど子どもを作りたかったらしいが、私を産む時に難産だった。次の子どもは難しいと言われてしまい、実際に私しかいない。つまりはそういうことだ」
「そうでしたか」
デルウィンザー公爵夫妻は仲が非常に良さそうだった。
しかし、子どもはドノヴァンしかいない。
エヴァは不思議に思っていたが、深い事情があることを知った。
「そういうのもあって、ドノヴァン様に早く結婚してほしかったというか、いろいろと気にされているわけですね」
「そうだ。しつこい王女に手を焼いていたせいでもある」
「ドノヴァン様が結婚したのに、全然諦めていませんよね」
「そうだな」
「非常に言いにくいのですが、国王の命令で結婚するよう言われる可能性はないのでしょうか?」
「婚姻は十八歳からだ。正式な婚約も十六歳からになる。王女は十五歳。まだ無理だ」
「そうですね」
「私とディアドラ王女を無理やり結婚させても無駄だ。冷遇する。子どもをいないことを理由にして離婚する。誰も幸せになれない」
「なるほど……」
「王太子夫妻もディアドラには困っている。王妃が甘やかすせいでわがままになってしまった。しかも、身分血統主義者だ。結婚相手を見つけるのは大変だろう」
「そうかもしれません」
「私はエヴァと結婚している。心強い」
「頑張ります。縁談や女性避けとして。ドノヴァン様が無事良い成績で卒業できるように支えたいと思っていますので」
「エヴァ」
ドノヴァンはエヴァをじっと見つめた。
「提案がある」
「何でしょうか?」
「期間を延長してくれないか?」
「えっと……契約結婚でしょうか?」
まずは確認しようとエヴァは思った。
「私は飛び級で卒業したあと、官僚になることや地方勤務を希望している。だが、可能かどうかはわからない。確約されているわけではない」
「そうですね」
エヴァは考え込んだ。
「家族として一緒に過ごしてきた。いろいろなことがあったが、私とエヴァの関係はうまく言っているように思う。これからもそのようにして行けばいい。どうだろうか?」
嬉しい。でも、期間が長いほど別れる時がつらくなります……。
エヴァの胸の中にあるのは喜びだけではなかった。
「今のままでいいと思います」
エヴァは答えた。
「まずは大学をご卒業されることに集中されては? 官僚試験も受けないといけません。配属先も希望を出すでしょうし、それが叶うかどうかもわかりません。一つずつです。その結果を見て、また次を考えればいいだけでは?」
「わかった。そうする」
ドノヴァンは頷いた。
「だが、安心していい。エヴァは家族だ。婚姻は無効にできるが、一緒に過ごした時間や記憶は消えない。約束は守る」
「ありがとうございます」
「そろそろ休もう。気温が下がるばかりだ。夜更かしをして風邪を引いたら困る」
「わかりました」
エヴァはドノヴァンにエスコートされて部屋に戻った。
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」
だが、ドノヴァンは動かない。
エヴァを見つめていた。
「何か?」
「エヴァに聖なる夜の祝福を」
ドノヴァンはそう言うと、エヴァの額に口づけた。
「加護がある。安心して眠ればいい」
ドノヴァンはそう言うと、部屋から退出した。
エヴァは立ち尽くしたまま。
気配を消すようにしていた侍女たちは勇気を出した。
「エヴァ様、おやすみになられるお支度をしないと」
「寒くなるばかりですので」
エヴァはハッとした。
「そうですよね! 私が休まないと、私付きも休めないですよね!」
エヴァはすぐに寝るための支度に入った。
侍女たちが手伝ってくれるおかげで、めかしこんでいたにもかかわらず、あっという間に支度ができた。
「おやすみなさいませ」
「良い夢を」
「待たせてごめんなさい。ありがとうございました。おやすみなさい」
侍女たちは一礼すると、寝室から出てドアを閉めた。
エヴァは気持ちを落ち着けるように深呼吸した。
「見られてしまいました……」
ドノヴァンにキスされたのを。
「でも、ドノヴァン様だって知っていましたよね?」
だからこそ、間が空いたのではないかとエヴァは思っていた。
今夜は聖夜。だからこその挨拶がある。家族としての。
だが、侍女がいる。実行しにくい。しかし、跡継ぎ。伝統重視。
そこで聖夜の挨拶をして、エヴァの額に口づけをした。
「結婚式の時にもしていますしね」
家族だけが参列した結婚式で、ドノヴァンは誓約の口づけを額にした。
「大丈夫。普通。おかしくないです」
エヴァは自分を納得させるように何度も頷いた。




