18 祈り
聖夜は神に祈りを捧げる日。
エヴァとドノヴァンはデルウィンザー公爵夫妻と合流し、王宮内にある礼拝堂へ向かった。
祈るための順番を待つ長い列ができているが、身分の高い者の方が優先される。
デルウィンザー公爵家で公爵位内での序列も高いことから、すぐに祈る順番になった。
「神への感謝をすればいい」
「はい」
エヴァは祈った。
神様、ありがとうございます……。
聖夜の祈りはこれまでを振り返る時間でもある。
契約結婚したことで家の借金がなくなり、生活や学費の心配がなくなった。
気苦労は増大した。未来への不安も強まっている。
それでも、多くの人々から見れば奇跡のような大幸運だった。
ドノヴァン様と結婚できて良かったです……。
一年限定でも、この経験は貴重だとエヴァは思っていた。
多くは望みません。望んでも無駄だとわかっています。でも、私……ドノヴァン様と仲良くできたらと思います。
最後、笑顔で別れられるように。
エヴァの胸に鋭い痛みが走った。
私にはどうしようもないことなのに……。
祈り終わったエヴァは、隣にいたドノヴァンに見つめられていることに気づいた。
「お待たせしました」
「行こう」
エヴァはドノヴァンにエスコートされて退場した。
「エヴァ、寒いのか?」
元気がなさそうだと思ったドノヴァンが声をかけた。
寒いです……体も心も。
すでに冬。
春から始まった季節は終りの季節へと突入していた。
聖夜が終われば新年。契約結婚の期間が刻々と近づいていた。
どんどん少なくなっていく……。
一生懸命勉強していれば、一年はすぐに終わる。貧乏でも、嫌なことがあっても耐えられる。
ずっとずっと一年ずつを耐え、それを繰り返して来た。
来年はきっと良くなると信じて。
だが、今のエヴァが感じるのは、来年が悪くなりそうだということ。
契約結婚が終わったあとにどうなるのかわからない。
慰謝料を貰えるが、不安はなくならない。
世の中には金よりも大事なものある。
金があれば安心ということではなかった。
これ以上考えてはダメ……。
エヴァはそう思うが、切り替えるのが難しくもあった。
「ドノヴァン様」
「何だ?」
「寒いです」
正直にエヴァは答えた。
「早く帰りたいです」
「昼食会が終わったらすぐに帰ろう」
「すみません」
「気にするな。私もそのつもりだった。王宮には長居したくない。王子も王女もいる」
「そうですね」
厄介な存在を思い出し、エヴァは深いため息をついた。
「私たちが夫婦であることをしっかりと示したい。いいだろうか?」
王子や王女を牽制するためだとエヴァは思った。
「私たちは夫婦です。ドノヴァン様に任せます」
「わかった。では、移動しよう」
ドノヴァンはエヴァの手を引いて別の広間へ向かった。
そこには多くのソファがある。
全て二人席のようになっていた。
「これって、中庭の噴水のような感じでしょうか?」
「そうだ」
ドノヴァンは空いているソファにエヴァを連れて行くと座らせた。
「今回は大丈夫だった」
「空いていましたね」
「私たちは公爵家だからこそ早く祈り終わった。ほとんどの者は祈る列に並んでいるか、広間で社交をしている」
「公爵家が有利なわけですね」
「夫婦なら一緒に祈ることができるが、婚約者や恋人だと家族と一緒に祈ってからでないと会えない」
「夫婦の方が有利ですね」
「夫婦の場合は社交をする。二人きりで座ろうと思う者は少ない。足が疲れていなければだが」
「この時間だとまだ足が疲れたという理由の方は少ないかもしれませんね」
「とにかく座れて良かった」
「そうですね」
「寒いと言っていただろう? もっと側に来るといい」
ドノヴァンはエヴァを抱き寄せた。
「外套も毛布もないが、私がエヴァを温める」
エヴァは顔を赤くした。
「恥ずかしいです……」
「夫婦だ。普通だろう。恥ずかしがることはない」
「でも、私たちは愛し合って結婚したわけではありません」
「結婚してから愛し合ってもいい」
エヴァにとって驚くべき言葉だった。
「私の両親もそうだった。結婚をしてから深く愛し合えばいいと思った」
「そうなのですか?」
意外だった。
とても仲が良さそうだけに、恋愛結婚だとエヴァは思っていた。
「母上には恋人がいたが、婚約できなかった。気落ちした母上を慰めた父上と結婚した」
「知りませんでした」
「王妃は身分血統主義者だ。今の王太子妃は伯爵令嬢で、公爵令嬢から選ぶべきだと言って反対した。だが、王太子が譲らなかった。友人として母上は王太子妃を支えた。結局、若い世代の圧倒的支持を取り付け、結婚にこぎつけた」
「いろいろあったのですね」
「そうだ。いろいろな人生がある。そして、私たちは夫婦として同じソファに座っている。私たちの人生が出会い、一緒になった証拠だ。夫してエヴァを安心させてやりたい」
エヴァは全身を預けるようにドノヴァンの胸に寄り掛かった。
「ドノヴァン様のおかげで安心できます」
「良かった」
「どうしてですか?」
「どうして?」
「なぜ、そんなに素敵なのですか?」
ドノヴァンは困った。
「それは主観的な意見だ。主観は人によって変わる」
「私の友人もドノヴァン様のことを素敵だと言っていました。きっと社交界でも大勢の女性たちがそう思っています。だから、私に嫉妬したり嫌がらせをしたりするわけですよね」
ドノヴァンは否定できなかった。
「どうしてですか? 女性に興味がないのに、おかしいですよね?」
エヴァは不思議だった。
「普通は素敵な女性になりたいって思って、素敵な女性になるための努力をします。本を読んだり、誰かに教えてもらったり。男性も同じだと思うのです。でも、ドノヴァン様は素敵な男性になるための本を読んだり、誰かに教えてもらったりしたのでしょうか? 正直、そんな感じがしないのです。謎です」
「謎ではない」
「いいえ、謎です! 大いなる謎です!」
「エヴァの言いたいことはわかる。私は父上を手本にするよう言われた。心から父上を尊敬している。父上のようになりたいと思ってきた。そのせいではないか?」
エヴァは考え込んだ。
「デルウィンザー公爵は若い頃に女性にモテたのでしょうか?」
「相当モテたと聞いている。母上の言葉だけに、本当かどうかはわからないが」
「なるほど」
エヴァは頷いた。
「謎が解けました」
「良かった」
「親子で女性にモテモテなのですね」
「一途だ」
ドノヴァンは答えた。
「父上は母上を心から愛している。他の女性には目もくれない。私も同じだ」
「素晴らしいです。ドノヴァン様に愛される女性は幸せですね」
「私の妻はエヴァだ」
エヴァはハッとした。
「私に女性が近寄ろうとしても、妻にはなれない。なぜなら、私の隣にはエヴァが座っている。他の女性は座れない。夫婦とは二人だけで座る特別なソファのようなものだ」
ドノヴァン様……。
エヴァはドキドキした。
自分を見つめるドノヴァンはいつも通り。にこりともしていない。
だが、その言葉から感じるのは愛のような強さだった。
勘違いしてはダメ。だって、これは牽制だから。
エヴァとドノヴァンが夫婦になったことを喜ばない者が大勢いる。
邪魔しようとする。
だからこそ、うまくいっていると思わせる必要がある。
誰が何と言おうが、夫婦なのだとアピールする。
そのためにカップルが座るソファに座り、寒さを感じないように抱きしめ、愛を感じる言葉を口にしている。
「嬉しいです。ドンヴァン様の隣に座ることができて」
エヴァはそう答えると、自らの気持ちを落ち着けるように息をついた。
そして、表情と心を隠すようにドノヴァンの胸に顔をうずめる。
ドノヴァンがエヴァを見つめる瞳は優しい。
愛情深さがにじみ出ていた。




