11 呼び出し
デルウィンザー公爵夫人が王太子妃から聞いたところ、やはりエヴァに嫌がらせをしたのはディアドラ王女だった。
夏の夜会で行方不明者が出れば大騒ぎになる。
公爵家の跡継ぎの嫁である伯爵夫人であれば余計に。
ディアドラ王女はたっぷり怒られたということだった。
エヴァは王宮でのことは忘れようと思った。
夏休み中は屋敷で自習。礼儀作法、王宮や社交界の常識を講師から学ぶことになった。
つまり、夏期講習尽くし。
勉強はエヴァにとって苦ではない。むしろ、将来に備えるために必要なものであり、人生がかかっているものだった。
普通の貴族の令嬢のように夏休みの予定をあれこれ入れて学校や社交場で自慢することもないため、何も問題はないはずだった。
ところが。
デルウィンザー公爵夫妻が王太子夫妻に同行して避暑地に行ったあと、エヴァを呼び出す特使が来た。
ドノヴァンは王都にいるが、友人の屋敷に一泊するために不在。
そんなタイミングを見計らったように来た呼び出しに、エヴァは困惑した。
「外出は許可がないと無理なのですが」
「すぐにお支度を。高貴な方を待たせてはいけません」
エヴァはドノヴァンに急使を送ることにした。
避暑地にいるデルウィンザー公爵夫妻にも。
そして、外出用のドレスに着替えると、迎えの馬車に乗り込んだ。
迎えの馬車が到着したのは王宮だった。
「牢屋に閉じ込められてどうだった?」
エヴァを呼び出したのはディアドラ王女。
国王の孫で、王太子夫妻の娘。現在、十五歳。
「怖かった? 泣いちゃった? 恐ろしかったでしょう?」
エヴァはどう答えていいのかわからず、困った顔をした。
「誰もいない化粧室だって怖かったはずよ。幽霊に案内されたと思わなかった?」
「それはさすがに。足音がありましたので」
「幽霊だって足ぐらいあるわよ」
「そうなのですか。幽霊を見たことがないのでなんとも……」
「生意気だわ! 私は王女なのよ! 無礼だわ!」
何を言ってもそう言われそうだとエヴァは思った。
「もう一度牢屋に入れてもいいわ。不敬罪でね!」
王族ならではの特権。切り札。
「ドノヴァンと結婚するのは私なのよ! 別れなさい!」
それも予想の範囲内。
「ここにサインを書きなさい! 離婚の書類よ!」
離婚の書類……。
サインを書けば、王女の力で離婚が成立しそうではある。
だが、そもそもエヴァは契約結婚を一年間するだけ。
一年後には婚姻無効の手続きをする。
離婚よりも婚姻無効の方が……。
なんとか離婚書類にサインしないで切り抜けられないかとエヴァは思ったが、良い案が全く浮かばなかった。
ドノヴァン様、早く来てください!
王女の呼び出しを断れば不敬罪、捕縛されて連行される方に切り替わると言われてしまったため、呼び出しに応じて王宮へ行くことを伝えてある。
きっと助けに来てくれる。とにかく時間稼ぎをしないと!
エヴァはドノヴァンを信じていた。
「ディアドラ」
ドアを開けて入って来たのは、にこやかな笑みを浮かべた美青年だった。
「怒られたばかりなのを忘れたのかな?」
「お兄様!」
王女の部屋にノックなしで乗り込んで来たのは王太子の息子、アンドール王子だった。
「父上も母上もデルウィンザー公爵夫妻も避暑地の離宮に行ってしまった。だからといって、何でもできるわけがないよね?」
「お兄様は口出し無用よ! これは女性同士の話し合いなの!」
「話し合い? 離婚の強要が?」
アンドールはテーブルの上にある書類が何かを見逃さなかった。
「エヴァのためよ! 大勢の女性から嫉妬されているのは知っているでしょう?」
「ディアドラからもね。夏の夜会で行方不明騒ぎを起こすなんて愚行だよ。せめて、絶対に自分が手を回していると思われないようにしないと。化粧室だけなら曖昧にできた。近衛を配置して牢屋に入れたせいでドノヴァンに見破られてしまった」
「エヴァが悪いのよ! すぐに窓から出てしまうから!」
化粧室は何らかの事情で使用禁止になることがあるため、廊下側からドアに鍵をかけられるようになっていた。
閉じ込めるのには最適な場所。
ごく普通の令嬢であれば、閉じ込められたと知って混乱する。小窓はあるが、夜会用のドレスはボリュームがあるだけに通り抜けられないと感じる。
だが、エヴァは貧乏貴族でも学費免除で王立学校に入れるほど頭が良い。小窓から出られるかもしれないと思って試す可能性がある。
すぐに脱出してしまうとノーダメージ。かえって自分の力で切り抜けられるという自信が芽生えてしまうかもしれない。
そこで、窓を見張る騎士を配置した。
化粧室に閉じ込めた経過時間が少なければ牢屋に入れるプランでカバーすることにしたことをディアドラは話した。
「私が一生懸命考えたのよ? 絶対にうまくいくはずだったのに!」
完全な自白です……。
心の中でエヴァは思った。
「ディアドラよりエヴァの方が賢かった。窓から脱出できることにすぐ気づいた。牢屋に入る時に抵抗しなかったせいで、公務執行妨害を回避した。発見されると冷静に説明し、上位者の判断に任せた。そのおかげで責任免除。悪意ある罠を考えたディアドラが全て悪いということになった」
「だから? エヴァがドノヴァンに釣り合わないのは事実だわ! 貧乏男爵家の令嬢なのよ!」
ディアドラ王女は王妃のお気に入りの孫だけあって、生粋の身分血統主義者だった。
「デルウィンザー公爵夫妻はエヴァでいいと思っている。ドノヴァンも。だから、結婚できた」
「おかしいわ! もっとましな相手がいくらでもいるはずよ! 王女を妻にできるなんて最高なのに、なぜ嫌がるの?」
「ドノヴァンの結婚相手はデルウィンザー公爵家で決めることだ。ディアドラは口出しできない」
「王女なのに!」
「王女の我儘を簡単に許す王家では忠誠心が集まらない。国を傾けてはいけないよ。いずれ私の国になるわけだからね」
アンドールはにっこり微笑んだ。
「エヴァは私についてくるように。ディアドラに付き合う必要はないよ」
「仰せのままに」
アンドール王子が助けてくれた!
エヴァはそう思った。
だが、エヴァはわかっていなかった。
アンドールがどんな人物であるのかを。