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1-9 黒狼のくちづけ


『――つまり、どういうこと?』


 マハは尻尾をゆらゆらと揺らし、首を傾げた。


(無闇にもったいぶった喋り方しちゃったかも)


 モニカは少し恥ずかしくなり、口元に手を当てる。

 自分では冷静なつもりだが、超常的な出来事に浮足立つ気持ちもあったのかもしれない。


「えっとですね、簡単にまとめると、『聖女システィーナの聖遺物・六連星の鏡があればなんとかなるよ』って、夢の中で神様っぽい人に言われました」


 モニカは真面目な顔を作り、ぴっと人差し指を立てた。


(……さすがに今度は馬鹿っぽいかも)


 言った直後に後悔した。

 どうも今日は情緒が安定しない。


『ありがとう。わかりやすい』


 マハは鼻先でちょんっとモニカの手に触れた。


(狼に気を遣わせちゃった……)


 モニカは申し訳なさで眉尻が下がる。


『でも聖王国って面倒なんだな。神様の言葉にまでいちいち決まりがあるなんて』

「神聖判定課が定義する奇跡を体験すると、『聖人』の称号をもらえますからね。それだけで貴族と同等以上の地位になれちゃいますし」


 レイフォルド聖王国の成り立ちには、初代聖王と主神との契約が深く関わっている。そのため、神秘的・超常的な事柄が重要視され、定義や取り扱いも厳重だ。


(厳重……だったはずなんだけどな)


 自分に対するあまりに軽い扱いを思い出し、モニカは心を沈むのを感じた。(おご)るつもりはないが、聖女に対してもう少し配慮や酌量があっても良かったのではないか、と思ってしまう。


『うなじの傷って、今もあるのか?』


 マハの前肢がウィンプルのヴェールに触れた。


「自分では見られないので触って確認しただけですけど、ありますよ。見ます? その方がさっきの話の信憑性も増しますよね」


 モニカはウィンプルを外し、頭を軽く振った。背の半ばまで伸ばしたローズピンクの髪が揺れ、ほんのりと甘い花の香りがふわりと広がる。


(あの香油気に入ってたんだけど、もう使えないのよね)


 手ぐしで髪を整えていると、ため息がこぼれた。

 聖王城で暮らしていた時は、スズランで香りづけした香油で髪の手入れをしていた。これからしばらくは、身だしなみに気を遣う余裕もないだろう。


『綺麗な髪の色だな。良い匂いもする』


 耳元で囁かれ、モニカはどきっとした。

 マハの狼顔が思ったよりも至近距離にあり、違った意味でも鼓動が速まる。


(気が変わって急にガブッ! ――なんてことはない、よね?)


 最悪の想像を打ち消すように、モニカは頬をぺちぺちと叩き、微笑みを作った。


「ふふ、ありがとうございます」


 外見を褒められるのは嬉しい。生まれ持った部分もあるとはいえ、努力を認められた気がする。


 聖女の名に恥じぬよう、見た目にも磨きをかけてきた。どんなに疲れていても、髪と肌の手入れは欠かしたことがない。

 外見にほんの少しでも(かげ)りがあると、あらぬ憶測を呼んでしまう。聖女が化粧品にお金をかけることに難色を示す者もいたが、見目の美しさも聖女には必要なものだった。


「でも、犬って色の区別つかないんじゃなかったでしたっけ。っていうか鼻も人間より利きますよね。臭くないですか? 大丈夫?」

『犬じゃない!』


 マハは牙を剥き出し、尻尾を強く地面に叩きつける。砂埃がもうもうと舞った。


「はーい、ごめんなさい。マハは私を助けてくれた素敵な狼さんです」


 モニカは軽くあしらい、髪をひとまとめにして片側に流した。うなじに触れると、相変わらず嫌な感触がある。


「見えます?」

『うん。傷っていうか、なんか印? 黒っぽい焼き印みたいなのがある』

「焼き印って、罪人みたいで嫌ですね……」

『これ本当に神様がつけたのか? なんか嫌な臭いするけど』


 しっとりとした何かがモニカの首筋に触れ、くんくんと鼻をすする音が聞こえる。


「きゃあっ、嗅がないでください!」


 モニカは身体を反らし、髪の上から首を手で押さえた。


『ごめん! その、やましい意味とかじゃなくて……!』


 マハはぶるぶると顔を左右に振る。


「食べられるのかと思ってびっくりするじゃないですか!」

『たベ……俺は同意なしにそんなことしない!』

「食事する時、いちいち食材の同意を取るんですか?」


 モニカは眉をひそめた。

 聞いたことのない習慣だ。そもそも狼に食事における習慣や作法があるとも思えない。


『いや、あー……んー……そういう時も、ある』


 マハは急に歯切れが悪くなった。

 先ほどまでの威勢の良さが消え失せ、どこか気まずそうに見える。


(なんか変なこと言っちゃったかな)


 これ以上突っ込んで困らせても仕方がない。モニカは話題を変えることにした。


「ちなみにマハだったら、今の話を聞いて探す気になりますか。六連星の鏡」


 モニカは足元にあった小枝を折り、たき火に投げ入れた。ぱちぱちと()ぜ、火の粉が散る。


『探す』


 一瞬の迷いもなく、マハは力強く答えた。


『俺は、早くこの身体を治して国に帰らなきゃならない。治す方法があるなら、なんにでも縋る』


(どこかに喋る狼の国でもあるのかな?)


 つくづく人間っぽい狼だなとモニカは思う。


「名前しかヒントがないのにですか?」

『天啓だったんだろ。なんとかなるんじゃないか?』


 火の神の裔を自称するだけあって、マハは神の存在を素直に受け入れているようだ。


『俺にとって聖王国の聖女がそれだった。俺の身体を治せる存在がいるかもしれない――そんな不確かな情報だけでこの国に来たけど、ちゃんとモニカに会えた。だから、そのなんとかの鏡もちゃんと見つかる』


 信心深いというより、ものすごく前向きで楽観的なだけだった。


「根拠は何ひとつないけれど、マハがそう言うなら見つかる気もしますね」


 モニカは顔をマハの被毛に(うず)めた。マハの毛で寝具一式を作りたいくらいに気持ち良い。


(現状では禁術判定を覆す方法も思いつかないし、探してみようかな。動かないでいるより、可能性はある)

『俺も手伝う! モニカには怪我を治してもらった借りがある!』


 狼にしては妙に義理堅いことをマハは言い、わぅっ、と威勢よく吠えた。


「いやそれはいいです。他で返してください」


 モニカはマハの厚意を即座に却下する。

 追放された聖女が喋る巨狼を連れていたら、魔女に転向したのだと思われかねない。


『なんで!』

「じゃあ別行動にしましょう。マハと一緒じゃ街に入れませんし」

『大丈夫大丈夫! 平気平気!』

「どの面下げて言ってるんです?」


 モニカはマハの顔に手を添え、わしゃわしゃと揉みしだいた。

 マハは嬉しそうに目を細め、耳を寝かせる。

 初見では完全に獰猛(どうもう)な獣だったが、慣れてしまえば大きなわんこだ。


「ありがとう、マハ。あなたに会えて良かったです」


 もふもふを存分に堪能したモニカは、毛流れを整えるようにマハの頭を撫でた。

 独りで過ごしていたなら、もっと鬱々とレイドールとマグノリアに対する復讐心を募らせていただろう。


『モニカ』


 名前を呼ばれたのとほぼ同時に、モニカの頬に濡れた鼻と口吻(こうふん)が触れた。

 心臓が跳ねる。

 人間にされるのと同程度、むしろそれ以上の恥ずかしさに襲われた。顔が熱くなっているのが自分でもわかる。


(いくら婚約者(馬鹿王子)に捨てられたからって、狼に慰められて照れるなんてどうかしてる!)


 モニカは思いっきり叫び散らしたくなった。行きずりの狼に人間性を見出すなど、情緒不安定が極まっている。


「も、もう寝ます! おやすみなさい!」


 モニカはマハの尻尾を抱きしめ、固く目蓋を閉じた。

 今までに聞いたことのなかった音を刻む鼓動が、早く治まってくれることを願いながら。

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