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1-8 八枚羽の御使いと聖痕


 モニカが「天啓」を受けたのは、放逐(ほうちく)のために乗せられた、揺れのまったくない馬車の中でのことだった。


 聖都に走る大路は完璧に整備されているため、罪人の護送であっても道行は非常に快適だ。

 小窓から差し込む光にうつらうつらとしていると、突然、目の前が真っ白になった。


 いや、目の前だけではない。

 上下前後左右、どこまでも白で塗りこめられた空間が続いている。目印に出来るようなものも何もなく、距離感がまったくつかめない。


『……聖女モニカ=システィーナよ』


 当てもなく視線をさまよわせていると、不意に名前を呼ばれた。

 男女の声が幾重にも重なったような声色だった。


(誰……?)


 モニカは声に不快感を覚え、眉をひそめる。

 音の相性が悪いのか、下手な弦楽器の演奏にも似た不協和音を生じていた。きしきしとした音が耳の奥にこびりつく。


 声のした方に視線を向けると、フードのついた純白のローブを(まと)う者がいた。顔のあるべき位置には煌々(こうこう)と光り輝く球体が収まっており、モニカの認識を阻害する。


(何これ、どういうこと……?)


 モニカが戸惑いを覚えた瞬間、ローブを纏う者の背中から四対八枚の翼がばさりと伸びた。

 風圧でヴェールと髪が揺れる。

 光の翼のまばゆさに立ちくらみがする。


(光り輝く(かんばせ)に、純白のローブ、複数の翼――っていえば、建国神話に出てくる主神の姿そのものだけれど……)


 モニカは気持を奮い立たせ、目の前の存在に改めて目を向けた。

 見れば見るほど、経典や子供向けの神話絵本に出てくる「主神の御姿」に酷似している。


『聖女モニカ=システィーナよ』


 もう一度、呼ばれた。

 今度は調律でもしたかのように聞き取りやすい声だった。


『時間がありません。邪神の封印が解かれてしまう前に、あなた本来の力を取り戻すのです』

「……え?」


 モニカは思わず顔をしかめてしまった。いきなり、わけがわからない。

 ローブを纏う者は構わず続ける。


『聖女システィーナの聖遺物を用いれば、あなたを覆う魔の干渉を払うことができるはず』


 言いながら、ローブを纏う者はモニカに向かって手を伸ばした。

 モニカの眼前でばちんっと光が弾ける。まるで伸ばされた手を拒絶したかのようだった。


「っ……!」


 次の瞬間、モニカはうなじのあたりに鋭く熱い痛みを感じた。声にならない悲鳴を上げる。

 首の後ろに手を当ててみると、指先が不快な凹凸を感じ取った。かさぶたに似た質感だが、爪で引っ掻いても剥がれる様子はない。


 聖女として身だしなみには人一倍気を遣っている。人前に出る時は基本的にウィンプルを被っているが、普段見えないような場所であっても手を抜いたりしない。


 少なくとも昨日までは、うなじにこんなものはなかった。


(神の似姿に謎の啓示、突然現れた傷――これってもしかして、神聖判定課が定義する奇跡の一つ、『天啓』ってやつ? 香木と苦行をキメすぎた聖職者の世迷言だと思ってたけど)


 目の前の不可解な現象を理解しようと、モニカは思考を巡らせる。


 神聖判定課が定めた「天啓」として認められるための要件は三つ。


 一つ目は、現実非現実問わず、目の前に「主神」ないし「主神に準ずる超越的存在」が現れること。正直、これだけなら聖職者の大多数が経験しているだろう。


 二つ目は、現れた存在から、人の身では知りえない知識や道理が開示されること。


 要件の中でもっとも難しい三つ目は、身体のどこかに接触した証、聖痕(せいこん)の発現が確認されること。聖痕は神の痕跡であり、治療術でも治せない。


(でもこれって、本当に本当? 現実逃避したい私が作り出した都合の良い夢、って可能性もある)


 あまりに唐突で具体的な情報提供に、モニカは喜びよりも先に疑念を感じてしまう。敬虔(けいけん)な修道女であったなら、日頃の信仰の賜物(たまもの)と素直に受け取れたかもしれない。


『心ない仕打ちを受け、深く傷ついている時だというのに、申し訳ありません』


 ローブを纏う者の言葉に、モニカはぎくりとした。


『聖王と聖女が袂を分かつなど、決してあってはならぬこと』


 声に憐れみが帯び、光の翼が不安げに明滅する。


 超常的な存在にまであの茶番劇を見られていたと思うと、モニカは恥ずかしさで居たたまれなくなった。自分の間抜けさ加減もそうだが、あんな男が次期聖王だなんて、神にも民にも顔向けできない。


「……聖女でないと知りながらも、私のことをモニカ=システィーナと呼んだのはどうしてですか」


 モニカはうつむきながら尋ねた。


『何者かがあなたの力に干渉したということは、聖女として充分な力を有しているという証左(しょうさ)に他なりません。取るに足らぬ力であれば、誰も見向きなどしないでしょう』


 ローブを纏う者の答えは、モニカが想像していたよりも理に適っている。

 神というのは、甘美な言葉を弄し、抽象的なことしか教えない存在だと思っていた。


『あなたが(いぶか)しむのも無理はありません。人々が思うほど、私自身が万能でないことも歯がゆく思っています。言い訳にしかなりませんが、今こうしてあなたに接触したことが私にできる最善なのです』


(……だめだ。まだわからない)


 モニカは顎に手を当てた。


(確かに私は聖女だったけれど、極端な言い方をすれば他の人よりも治療術の効果が高かっただけ。邪神の封印とか言われても、全然ピンとこない。もちろん治療術の変調は治せるなら治したいけど……)


 ――キィィィンッ。

 悩むモニカの邪魔をするように、神経に障る甲高い音がした。

 モニカがはっと顔を上げると、ローブを纏う者の身体に亀裂が入っていた。


『ああ、時間が……』


 ローブを纏う者は自分の身体を見下ろし、か細い声を上げる。


『システィーナの……六連星(むつらぼし)の……鏡を……』


 ヒビは全身に広がり続け、硬質な音が声を遮った。


「ちょっと待って! まだ聞きたいことが!」


 モニカはとっさに手を伸ばす。

 裂け目が不規則な模様を描き、ローブを纏う者が蜘蛛の巣に絡め取られているかのように見えた。


『どうか、未来を……手繰り寄せて……』


 白い空間自体にもひび割れが起きた。二人を隔てるように、黒い裂け目がぱっくりと口を開く。


 呑まれる。

 耳鳴りがした。

 直後、すべての音が消え失せ、目の前が闇に染まった。


 次に目蓋を開けた時、モニカの目に飛び込んできたのは、午後の穏やかな陽光と、心配そうにのぞき込む護送の衛兵の顔だった。

 うなじには、じくじくとした深い痛みがまだ残っている。

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