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1-7 第二王子フィンレイに降りかかった悲劇


 事の発端は、第二王子フィンレイが一人で城から抜け出そうとしたことだった。


 好奇心旺盛で身体を動かすことが好きだったフィンレイは、狩猟を趣味としていた。

 季節外れの長雨が続いたせいで何度も狩猟が中止になり、鬱屈(うっくつ)していたのだろう。ある晴れた日、供回りの制止もきかず、フィンレイは馬に乗って単身で狩りに行こうとした。


 だが乗りなれているはずの愛馬の機嫌が悪く、フィンレイは馬から振り落とされた。地面に叩きつけられる寸前で従者が身を(てい)してかばったため、大事には至らない――はずだった。


 直後、フィンレイの愛馬が激しくもがき苦しみ、息を引き取った。突然のことに従者たちが呆然としていると、フィンレイの身にも災禍が降りかかる。


 フィンレイの右足首から下が異常に膨れあがり、変色していた。


 原因は毒蜘蛛によるものだとすぐに判明した。厩舎(きゅうしゃ)に毒蜘蛛の巣があり、フィンレイの愛馬以外にも数頭が冷たくなっていた。


 モニカがフィンレイの元に派遣されたのは、膝下の切断手術後のことだった。


 何故このタイミングで自分が遣わされたのかモニカにはわからなかった。聖女の治癒術に解毒の効果はない。手術の痛みを和らげることも、ましてや欠損を再生させる力もない。


 誰もが知っているはずなのに、奇跡を期待して皆がモニカに縋った。

 どうかフィンレイ殿下をお救いください、モニカ=システィーナ、と。


 目に見えない重圧に潰され、いるかどうかもわからない神に祈ったのがいけなかった。


 モニカの祈りに応えたのは、神だったのか、悪魔だったのか。どちらにせよ意地が悪いことは間違いない。


 その場にいた全員が耳を塞ぐほどの慟哭(どうこく)と引き換えに、フィンレイは足を取り戻し、モニカは聖女としての未来を失った。



(あらゆる傷を治すのだとしても、とてつもない痛みを伴うのではまっとうな使い道はないわね)


 レイフォルド聖王国では、環境を著しく変質させる術や、人間の精神に悪影響を及ぼす術などが「禁術」に指定されている。

 モニカの使った治癒術は過去に前例がないが、後者に当てはまるのではないか、という議論になった。


 しかし、その結論が出る前にどこかの誰かが「モニカが使用したのは禁術であり、意図してフィンレイ殿下を傷付けた」と声高に吹聴した。


 その結果、数日もしないうちにモニカが断罪されることとなった。


(思い出したら腹立ってきた。絶対にあいつ王太子から引きずりおろしてやろ。もちろんマグノリアも一緒に。失脚するのなんて待ってやらない)


『……怖い顔してるけど、なんかあったのか』

「え? ええ、まあ。ほとんど弁解の機会なく追い出されちゃいましたから」


 指摘されるほど表情に出ていたのかと反省し、モニカは笑顔を急造する。


『大変だな』


 マハはモニカの頭に鼻先をすりすりと擦りつけた。


(もしかして慰めてくれてる?)


 モニカはくすぐったいような気持になり、感謝を込めてマハの頬を撫でる。


「今度はあなたのことを聞かせてください、マハ。確か、痛覚を取り戻すために聖女を探していたんですよね」


 夜が明けるまでの暇潰しではなく、真剣に話を聞こうとモニカの中で心が変わった。


『ああ。少し前、ある魔物を倒した時に呪いのようなものを受けてしまって。痛覚って言ったけど、正確には熱さや冷たさもあまりわからない』


 マハの金色の瞳に影が差す。


(痛覚がないから、あんなひどい怪我を負っていたのに動きまわれてたんだ)


 あの時マハが急に倒れたのは体力の限界が来たからだろう。痛覚というストッパーがないと無理が利きすぎてしまう。


「でもアンタ――モニカは、俺に痛みをくれた。今も、こうしていると少し暖かい」


 マハは身体を丸めるようにしてモニカに寄り添う。


 モニカはなんとなく気恥ずかしさを覚えた。


 どこからどう見ても、マハはまごうことなき狼だ。にもかかわらず、ときおり人間と接しているかのような錯覚に陥る。聞き取りやすい、低めの青年の声をしているからだろうか。


「わ、私ができるのは怪我を治すくらいで、解呪とか解毒はできませんよ。男性はそもそも治癒術使えませんし、准聖女や修道女の中にも、そんな奇跡を起こせる人はいないと思います。私がトップだったくらいですから。……あ、別に自慢とかじゃないですよ! まぁ、初代聖女のシスティーナなら可能だったかもしれませんけど」


 モニカは変に早口になってしまった。感情が波立っている。こんなことは初めてだった。


(私こんなちょろかったっけ? それとも人の優しさに飢えてる? 実は意外とメンタルにきてた?)


 モニカはマハの尻尾を忙しなく撫でまわしながら自問する。


『勝手に期待した俺が悪かった。負担になっていたらすまない』


 マハはかぶりを振り、地面に顎を付けた。

 いわゆる犬でいうところの「伏せ」のポーズだが、モニカにはマハがひどく落ち込んでいるように見えた。


 モニカはマハの胴体に腕をまわし、耳を押し当てる。

 体温もあるし、鼓動も聞こえる。

 痛覚がなく、温度を感じられないというのはどれほどつらいことなのか。モニカには想像することしかできない。


『モニカ?』

「マハは、今日出会ったばかりのよくわからない人間の女の言葉を信じることができますか?」


 今日の自分はつくづくおかしい、とモニカは思う。


「呪いを解く方法がある、かもしれません」


 マハの三角形の立ち耳がぴくりと動く。


「私も半信半疑――どちらかというと疑いのほうが強いけれど、護送される馬車の中で聞いたんです」


 いつもの自分なら、こんな確証のないことを口にしたりしない。


 無闇に気を持たせるようなことはしない。

 確率の低い賭けに出たりしない。

 私利私欲のために他者を利用するのだとしても、もっとうまく言葉を(ろう)する。


 ましてや、


「天啓を」


 目に見えない存在に期待などしない。

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