6-16 手を繋いで
「想定外のことばかり起きたせいでいささか疲れました。ボーナスでもいただきたいところです」
モニカが祈りを終えて立ち上がったところで、サイフォスが口を開いた。肩を押さえて首をまわしている。
「何言ってんの。これからが大変なんじゃない。アトラに操られた人たちや兄様の処遇、そのせいで荒れちゃった国内の立て直し。父様への報告やモニカの無罪証明、その他雑務色々、と、やることは山積みだよ」
フィンレイがサイフォスの腕をつかんだ。逆の手でダーロスをかかえ、サイフォスを急かすように引っ張って二人と一匹で聖王廟から出て行く。
あとにはモニカとマハだけが残された。
モニカは膝についた汚れを払い、姿勢を正してマハと向き合う。
「遅くなったけれど、元のマハに戻ってくれてよかったです」
あらためてマハの顔をしっかりと見る。付き合い自体は長くないのに、マハの精悍な面差しが懐かしく思えた。
肉体的には同じなのに、ダーロスが主導権を握っていた時とは別人ほどに違う。髪や目の色が異なっていただけでなく、顔つき自体がかけ離れていた。
「モニカ……」
マハは嬉しさと気恥ずかしさがないまぜになったような微笑みを浮かべ、モニカの首元に手を添えた。顔をややかたむけ、ゆっくりと近付ける。
「っ、何しようとしてるんですか!」
妙な雰囲気を察したモニカは、とっさにマハの口に手のひらを押しつけて塞いだ。
「キス」
マハは若干むっとした表情をし、モニカの手をつかんで唇を宛がう。
「なんで!?」
モニカは全力で手を振り払った。
「そういう雰囲気だった」
「微塵もそんな雰囲気ありませんでした!」
拗ねるマハにモニカは即座に切り返す。
「……もしかして俺のこと嫌い?」
マハの狼耳がしょんぼりと力なく倒れ、尻尾が怯えたように足に巻きついた。
「もうっ、さっきから極端すぎます! 嫌いなわけないでしょう! 急に倒れて心配したんですからね!」
モニカはあえてきつめに怒ってみせる。
あの時は、狼姿のマハを背負って逃げることまで覚悟した。
「ごめん。よりによってあんな最悪のタイミングで」
マハの言うように確かにタイミング的にはこれ以上ないくらいに最悪だった。今にして思えば作為的なものすら感じる。
もしかするとサイフォスあたりが何か手をまわしていたのかもしれない。聞いたところではぐらかされるだろうが。
「気にすることないですよ。毒のこと後回しにしちゃいましたし」
マハの負担にならないようにモニカは努めて明るく振舞った。
「気にする。手、貸して」
「?」
モニカは首を傾げながらも手を差し出した。要求の意味は分からないが、責任を感じるマハの気持ちはわからなくもない。
マハはモニカの手を取り、自分の頬に添えさせた。
モニカは反射的に手を引いたが、マハの手が重なっているため動かない。
「ちょっとマハ――」
「ダーロスだった時はモニカから触れてくれたのに、俺にはしてくれないの?」
寂しそうにねだるマハの表情にはイヌ科の動物特有のあざとさがあった。
「あー、あれは……あれでダーロスの温情もらえないかなーとか、もしかしたらマハが戻ってきてくれればいいなーとか思ってやっただけで……」
やましいところなどないはずだが、モニカはしどろもどろになってしまう。まるで浮気を問い詰められている気分だ。
「冗談だって。半分くらい」
マハはにこっと笑ってみせた後、ゆっくりと目蓋を伏せた。
「ありがとう。こうやってモニカと話せて、触れられるのが嬉しい。元に戻れて本当に良かった」
モニカは重なった手に力が込められたのを感じる。
「意識はあるのに自分の身体が他の誰かに動かされている」という状況どれほどつらいことか、モニカには想像することしかできない。だが一歩間違えば自分もそうなっていた。
「サイフォスさんにもお礼を言ってあげてください。色々引っ掻き回されたけれど、最終的にはあの人がいなければ解決しなかったので」
「もっと他に方法なかったのかとは思うけどな」
マハは眉間に皴を寄せ、唇をとがらせる。
それについてはモニカも同感だった。とはいえ、下手にサイフォスをつつくとやり返されかねない。
「……あの、そろそろ手を離してもらえません? 恥ずかしいんですが……」
「俺が狼の時はもっと好き放題してるのに?」
「だって……」
モニカは言葉に詰まり、目を逸らした。
頭では人間がマハの本当の姿であるとはわかっている。しかし触り心地の良すぎる毛並みを目の前にすると「モフりたい」という欲求が勝る。
「ま、モニカがちゃんと人間の俺のことを意識してくれてるって思うことにして、今日はこれで我慢する」
マハは自分を納得させるようにうんうんとうなずいた。
(意識してると言えばしてるんだけど……)
いったい自分が「なに」に対して意識しているのかはモニカ自身正確に把握できていない。
マハに対してだけこうなのか、それとも他の男性に対しても――
ふと、モニカの脳裏に銀髪の異端審問官がちらついた。慌てて頭を振り、ビジョンを追い払う。
「モニカ?」
マハは何かを察したかのように眉間に皴を寄せた。
「えっと、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしちゃって」
罪悪感をひしひしと感じつつモニカは笑顔を作る。
「……やっぱ先に既成事実作ろうかな」
マハは顔をしかめ、ぼそっと不穏なことを呟く。
「どうしてそうなるんですか! 少し考え事しただけじゃないですか!」
「何考えててもいいけどー、別にー」
拗ねたように唇をとがらせつつ、マハはモニカを解放した。
モニカはほっと息をつき、自分の手をさする。まだマハの体温が残っていてほんのり温かい。
「あまりみんなを待たせるのも悪いですし、もう行きましょう。歴代の聖王が祀られた霊験あらたかな場所ですから、長居すると罰が当たるかもしれません」
モニカはマハの背中を叩き、彼の手を引いた。
長居する原因を作ったのは自分だが、それについては棚上げする。
「手、いいの?」
マハはモニカの顔と繋がれた手とを交互に見た。尻尾がそわそわと落ち着きをなくしている。
「いつだったか、繋ぎたがっていませんでしたか?」
モニカは繋いだ手を持ちあげて小首を傾げる。
恥ずかしいことをしている自覚はあるが、マハの手が離れるのが名残惜しかった。
「いつでも繋ぎたい!」
マハの表情が見るからにぱっと明るくなる。
モニカもつられて笑ってしまう。
マハのこういう素直で陽性なところは好きだなと思った。まぶしくて、羨ましい。自分には作り笑いしかできない。
モニカはきゅっとマハの手を握り直し、いつもよりほんの少しだけゆっくりと歩き始めた。
そんな緩やかな足音と、モニカの歩幅に合わせたマハの足音が重なり合い、ホールに静かに反響する。
やがて冷たい石壁が音を吸い込み、聖王廟は深い静けさを取り戻した。
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