6-14 教育とは痛みを伴うもの
「あとサイフォス! アンタもモニカに何してくれてんだ!」
マハは筋が浮き出るほど強く握った拳に陽炎をまとわせる。
「将来を約束した仲であれば挨拶みたいなものでしょう」
サイフォスは涼しげかつ挑発的に微笑み、唇に指をあてがった。
「無意味にマハを煽らないでください! さっきは何もしてません! ただの振りです、振り!」
モニカはマハの気を逸らそうと両手を大きく振り、大声で弁解する。こんな状況下で二人に争ってもらっては困る。
「モニカがそう言うなら信じるけど……とりあえず今はお前が先だ、ダーロス!」
こそこそと逃げ出そうとしていたダーロスに向かって、マハは体当たりをしかけた。ダーロスが体勢を崩したところをすかさず組み付き、屈強な腕で首を絞めあげる。
(野生動物を腕力だけで押さえつけてる人はじめて見た)
驚きと感心でモニカは思わず小さく手を叩いた。
見るからに弱体化しているとはいえ、拘束具なしに狼を捕まえようとは思わない。
「呪いを解く方法を教えろ!」
マハの言葉を聞き、モニカはようやく彼の思惑に気付く。
そもそもマハが聖王国にやって来たのは、失った痛覚を取り戻すためだ。その呪いをかけた張本人がいるなら、解呪方法を聞き出すのが手っ取り早い。
『呪い? 知らねえよ』
ダーロスはふてぶてしく顔を逸らした。
「しらを切るなら、前みたいに灰にするだけだ」
マハの目がすっと据わる。
ダーロスの身体の至る所からぶすぶすと黒煙があがり、毛が焦げる嫌な臭いがした。
「まぁまぁ、マハヴィル殿。完全に焼ききってしまっては後が厄介ですよ。基本的に、眷属は神同様に不死です。肉体を失い、再び思念体に戻られては困るでしょう」
笑顔のサイフォスがマハの肩を叩いて制止する。
「……それは、そうだけど」
マハは不服そうに眉間に皴を寄せた。黒煙が収まる。
「身を焼かれながらも声ひとつ上げないのはダーロスの意地でしょうか。僕は彼の意地に敬意を表します。その意地をどこまで張り続けることができるか見届けましょう。ということで、僕に良い考えがあります」
サイフォスはモニカに向かって手招きした。
「モニカさん、彼の傷を治してあげてください」
「はぁ」
笑顔の下にどす黒いものを感じつつ、モニカは二人と一匹の所に駆け寄った。
『傷を治すだと? はっ、余計なことすんじゃ――うぎゃああああああっ!?』
予想通り以外のなにものでもない反応をするダーロスを見て、モニカは申し訳ないと思いつつ苦笑を禁じ得なかった。
モニカが治癒光を灯した手をかざすと、焼け焦げてちぢれた赤毛は瞬時に元のしなやかさを取り戻した。人間だけでなく、眷属にもモニカの治療術は有効であるらしい。
『はぁっ、ひっ、ほ、本当に治してんのかこれ!?』
ダーロスの呼吸は乱れ、全身を痙攣させている。マハが押さえつけている必要もなさそうだった。
「聖女の力を疑うとは失礼な」
サイフォスはダーロスの頭に拳を振りおろす。
「おや、たんこぶができてしまいましたね。モニカさん、お手数ですがもう一度お願いします」
殴った部分をそっと撫で、サイフォスは手振りでモニカを促した。
「はぁ」
モニカは言われるままに治療を続行する。
(サイフォスさん、加虐趣味でもあるのかな……なんかいつになく楽しそう……)
サイフォスの腹積もりはだいたいわかった。
今おこなわれているのは治療ではなく拷問だ。しかも通常の拷問と違い即座に傷が治ってしまうため、半永久的に続けられる。
『ぎゃあああああああっ!! やめろっ! 治されるほうが百倍痛いっ!!』
喉を傷めてしまいそうな悲鳴がダーロスの口から迸る。
最初こそマハはダーロスをにらみつけていたが、だんだんと憐れになったのか押さえつけるのをやめた。何か言いたげな視線をサイフォスに向ける。
「言葉遣いがなってないですね」
サイフォスはダーロスの上下の顎をつかんで押し広げた。
『お願いしますやめてください! 痛みで死んでしまいます!』
ダーロスは起き上がる気力もないのか、仰向けに倒れたまま前肢をちょいちょいと動かして訴えかける。
「おやおや、眷属なのですから死にはしないでしょう。はい、もう一声」
サイフォスは終始楽しそうだ。
「……いつまでやるんですかこれ?」
モニカはおおげさにため息をついてみせた。念のため治癒光は絶やさない。
「調きょ……教育とは、身に付くまで繰り返し何度もおこなうのが肝要です」
サイフォスは説法でもするようなもっともらしい身振りと声色で言う。その間も、ダーロスの額を爪弾きにしたり頬をつねったり治療術で治す必要のないダメージを与え続ける。
「なんでコイツ聖職者やってんの? それとも聖王国の聖職者ってこんなのばっかなの?」
マハは疑わしそうにサイフォスを見た。
「あくまでサイフォスさんはイレギュラーかと。そもそも異端審問官自体が特殊ですし、ルカルファス家は世襲なので……」
モニカはフォローになるようなならないようなことしか言えなかった。
なんだかんだ教育という名の拷問兼調教を十数分ほど続けた結果。
『それがし、モニカ姐さんのありがたい薫陶により、目が覚め申した。今後は姐さんの犬としてお使いください』
古式ゆかしい口調で礼儀正しく平伏する赤狼ができあがった。
モニカを見る目が不自然なほどきらきらと輝いている。
その様子を見て、サイフォスは両腕を組み、満足げにうなずいた。