6-12 第二の争いはくちづけで始まる
アトラは黒糸を自切し逃げようとしたが、肢に何かが絡まり、わずかに体勢が崩れる。
肢にまとわりついていたのは、脱ぎ捨てたマグノリアの皮とドレスの残骸だった。偶然にしては、肢にしがみつくような絡まり方をしている。
マグノリアが稼いだ一瞬は、アトラの身体に赤金の炎が到達するのに充分な時間だった。
轟音を立ててアトラの身体が炎に包まれる。炎の中で黒いシルエットが不気味にうごめき、甲高くひずんだ悲鳴が空気を震わせた。
モニカは堪らず固く目蓋を閉じ、両手で耳を覆った。
聖王国の聖女として、かつて准聖女として肩を並べた身として、アトラとマグノリアの最期をきちんと見届けなければならない。だが、生理的な忌避感と恐怖が先に立ってしまった。
「……ぁあ……熱い……どうして、わたくし……焼かれて、いる、の……?」
炎の中から、か細い女性の声が聞こえた。
モニカは反射的に顔を上げる。
外骨格がどろりと溶け落ち、沈むようにアトラの体勢が崩れた。焼かれながらも懸命に上体を起こし、モニカに向かって手を伸ばす。
「マグノリア……?」
モニカは吸い寄せられるように燃え盛る炎に近付いた。
不用意に近付くべきではないと、頭ではわかっている。それでもマグノリアの声に誘われ、足が勝手に動いてしまっていた。
「ぁ……あ……モニカ、さん……? わたくし、あなたが羨ましくて……妬ましく、て……」
炎と熱気で口腔を焼かれながらもアトラ――マグノリアは言葉を紡ぐ。
(アトラが焼かれたことによって肉体の支配が解けて……?)
モニカがもう一歩、歩み寄ろうとしたその時、
「お気を確かに」
サイフォスが後ろからモニカを抱き止めた。
直後、炎の中から黒糸が伸び、モニカの眼前に迫る。黒糸はひゅっと風を切り、モニカの前髪を宙に散らした。
サイフォスが止めていなければ、顔を切られていたか、絡め取られていただろう。
「残念ですが、人間の部分は、同情を引くために残されていただけのようです」
淡々と感情なくサイフォスは告げる。
「どこまでも小賢しい。素直に舞台から降りてください」
モニカを抱いたまま、サイフォスは片腕を伸ばし、手のひらをアトラに向けた。
「これ以上は、死に際を見苦しくするだけですよ」
サイフォスの唇が、人の耳では聞き取れない音を紡ぐ。
予兆のようにぴりっと空気がひりつき、その直後、紫に明滅する雷がまっすぐアトラに落ちた。
凄まじい閃光と爆音が轟く。光と音の奔流がアトラの存在をかき消した。
モニカは思わず、サイフォスの身体に顔を押し付けるようにしてしがみつく。
「――もう目を開けても大丈夫ですよ」
しばらくして、とんとんと優しく、モニカは背中を叩かれた。
「そのまま抱きついてもらっていても、僕としてはやぶさかではありませんが」
声にからかうような色が混じり、モニカは突き飛ばす勢いでサイフォスから離れる。
「てめえには耳がついてねぇのか陰険野郎!」
モニカが文句を口にする前に、ダーロスから怒声が飛んできた。
「余計なことすんなって言ったよなぁ! 二度もやるか普通!」
ダーロスは狼耳をピンと立て、ガラ悪くサイフォスに詰め寄る。
「マハヴィル殿下の力を引き出したにもかかわらずあの程度だとは、とんだお笑い種ですね。あなたがきっちり火葬しないから、僕が手を下さざるを得なかったんですよ」
サイフォスはアトラが燃えていた方へと視線を向けた。
アトラの姿も燃え盛る炎もすでになく、ひと掬いほどの白い灰の小山だけがそこにあった。
あまりにあっけない幕引きに、モニカは胸のつかえを覚える。
だが、状況がモニカを感傷に浸らせてはくれなかった。
「マハヴィルの中から見てた時も思ったが、性格悪いなてめえ」
「お褒めいただきありがとうございます」
サイフォスとダーロスとの間に火花が散るのがモニカには見えた。
(なんか面倒なことになりそう……。サイフォスさんはどうするつもりなのかな)
モニカは巻き込まれないよう、そっと後退る。
残る問題は、ダーロスがマハの身体を乗っ取っていることだ。サイフォスにはなんらかの考えがあるようだが、相変わらず詳細は教えてくれない。
「……まぁ、お前なんかどうでもいい。モニカ、行くぞ」
ダーロスはサイフォスから目線を外し、にらむような強さでモニカを見た。
「は、はい?」
どきっとしてモニカの足が止まる。
「お前の手が気に入ったと言ったろう。オレと来い」
ダーロスはモニカに向かって手を差し出した。
「聖女の御手は罪作りですね」
サイフォスは意味ありげに微笑む。
「別に、私なにもしてません!」
居たたまれなくなったモニカは、両手を背中側にまわして隠した。
「マハヴィル殿とはまた違った意味で面倒な犬ですね。モニカさんを欲しているという意味では行動に一貫性がありますが」
サイフォスは遮るようにモニカとダーロスの間に入った。
「無闇に煽らないでくださいよ……」
モニカは頭を抱えずにいられない。
「冥神の匂いがするのは気に入らねえが、モニカを渡せばオレを犬呼ばわりしたことを含めて見逃してやる」
ダーロスは思ったよりも冷静だった。
「おや、ずいぶんと寛容なことで」
サイフォスは首を傾げ、目を丸くする。
「サイフォスさん……」
モニカは服の胸元を握りしめた。
このままダーロスに引き渡されてしまうのかと不安に駆られる。
サイフォスは穏やかな笑みを浮かべ、
「僕はもう二度とあなたを裏切ることはありませんよ」
モニカの耳に唇を寄せて囁いた。
距離の近さのせいか、声の響きのせいなのか、モニカはどきっとしてしまう。
サイフォスの手が、モニカの握った手を優しくほどいた。しっとりと指を絡ませ、手のひらを合わせる。
「サイフォスさん?」
サイフォスは空いているほうの手の人差し指を立て、「しっ」と唇に押し当てた。
モニカは素直に口を引き結んだ。何かしら策があるのだろうと思ったが、正直やるまえに説明をしてほしい。
「大事な未来の花嫁を、犬ごときにくれてやるわけがないでしょう」
サイフォスは清々しいほどの笑顔で言い放ち、モニカの腰に手をまわして抱き寄せた。モニカの顎を軽く持ちあげ、覆いかぶさるように唇を重ねる。
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